第110話・黒の本社

 少し時を置いて、霜月霰さんとのコラボ当日。僕は、クロノ・ワール本社に居た。


「こんにちは、五期生担当マネージャーの葛城静音です」


「秋葉リンこと、七瀬凛です」


 オフコラボなんて、ママ以外としたことがない。だから、僕は緊張をしていた。クロノ・ワール事務所でコラボを行うのはきっとその緊張を解すためだと思う。


 僕は一時期自分の名前が嫌いになっていた。だけど、両親が反省することを前提で許した今は、そうでもない。だから、僕は臆することなく名乗った。


 今日はママがいない。クロノ・ワールにとって、ママは部外者だ。コラボ相手でもなければ、所属VTuberでもない。だから、ママを呼ぶわけにいかないのは当たり前だ。


「本日はお越しいただいてありがとうございます。早速ですが、本日使用許可の降りている施設についてご案内させていただきます。まずは、バーとして使う部屋ですね。こちら二階になりますので、どうぞエレベーターへ」


「はい!」


 促されるまま、僕はエレベーターに乗る。


 クロノ・ワール本社は大きなビルで、配信用の設備も複数ある。RTSとは別の旧来のモーショントラッキング設備も揃っている。秋葉リンのモデルデータはクラウドを通して、貸与されている。ダウンロードはできないが、一時的に利用可能な状態だ。

 このシステムが開発されて、VTuber同士のコラボはかなり活発になった。モデルの不正利用を完全に遮断できるシステムだ。それも当然だろう。


「本日のコラボですが、霰がカクテルと料理を得意としております。そこで、リン様が飲めるカクテルをみつけようという企画です。飲めないものは全部霰に押し付けてください。霰はお酒にとても強いので、遠慮は無用です」


「分かりました」


 お酒に強いといえば秋葉家にも二人いる。ママと定国お兄ちゃんだ。ママは本当にいくら飲んでも酔わない。定国お兄ちゃんはそこまではいかないけど、酔っ払うまでにかなりの量を飲める。


 エレベーターで登って、それが到着して、歩きながらその部屋に向かう。その道中も打ち合わせだ。


「中に霰がいます。リン様と似た清楚系のタレントですのでシズクより安心してお話ができると思います。では……」


 そう言いながら葛城さんは扉を開けた。


 キッチンが備え付けられた部屋にいたのは、物憂げな目をした茶髪の深窓の令嬢といった雰囲気の女性だった。


 一拍おいて、彼女の顔に笑顔の花が咲く。


「その子がリンちゃんですか!?」


 そして小走りで駆け寄ってくる霰さん。その姿は可愛らしくまさにアイドルといった印象だ。


「ええ、そうですよ! 秋葉リンその人です」


「初めまして! 霜月霰こと、成瀬美咲です!」


 VTuberはその性質上ふたり分以上の名前を持つことになる。だから、ややこしい部分は常についてまわる。


「初めまして、秋葉リンこと七瀬凛です! 瀬つながりですね!」


 親近感は、どんなところからでも湧いて出る。僕と霰さんの間には瀬という共通の文字が有り、それが僅かながら親近感を覚えさせた。


「そうですね! こんな可愛い子とお揃いの字なんて、少し嬉しくなっちゃいます!」


 あぁ、アイドルだ。本当のアイドルだ。シズクさんは自分でも言うとおり半分は芸人だった。だけど霰さんは100%アイドルに見える。


 この路線も秋葉家にはいないと思う。


 それはともかくとして……。


「可愛い……ですか?」


 その言葉が恥ずかしかった。


「可愛いですよ! こんなに、モデルそのままの子が来るなんて思ってみませんでした! 本当に男の子なんですか?」


「えと……はい……」


「きゃー! 男の子でこんな可愛いなんて! ゴスロリ着ちゃってもう、可愛いが過ぎます!」


 可愛いものに目がない、そこまでは清楚の範疇にとどまれるものだと思う。だけど、それを一歩踏み越えるとシズクさんの路線になってしまうのだ。


 霰さんは、そこを踏み越えない。だからこそアイドルなのである。


「僕、ゴスロリしか服持ってないんです」


 ゴスロリを着ていること自体、嫌なわけではないが、好んでいるわけでもない。


 正直に言うと、男モノが着たい。だが、サイズもなければママにも好まれないのである。


「マネさん! 聞きましたか!? おうちでもリン君はゴスロリだそうですよ!」


「はい、聞きました。さすがリン君ですね。一切キャラをブレさせません」


 それを霰さんは多分可愛いポイントとして受け取っている。そして葛城さんは、プロ意識として受け取っている。


 立場が違えば着眼点が違うのだ。


「そ、それはさておいて、もう一部屋ってなんの部屋ですか?」


「あ、ご案内しますね。そちら、仮眠室となっております。本日酔っ払ってしまった場合を想定して、お泊まりいただけるように準備をいたしました」


 その部屋は、仮眠室と言うよりホテルの一室だった。


 本社の設備が必要な配信であると同時に、酔っ払ってしまったり深夜の配信だったり。そんな二つの条件を満たした時にこの部屋が使われるそうだ。


 しかも、それはライバー用で、社員用はもっと質素な部屋らしい。かなりライバーを優遇する会社だと分かった。

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