第86話・再誕する

 この一ヶ月の日常に僕は戻った。朝起きて、ママと一緒に立花お姉ちゃんの家に行く。そして、放送だ。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん――! 今日も来てくれてありがとう――!」


 最近はこうやって、自分の声で挨拶もできるようになった。それでも、昨日が僕にとって大きな転換点だったんだ。


銀:リン君……声、すっごい出るようになってる!

デデデ:よかった、本当に良かった!

初bread:リンちゃんの声が、聞き取れる!

ベト弁:なんでだろう、涙が出てくるよ……


 そう、僕の声は昨日の間にすごく出るようになったんだ。もう、マイクを通しても伝わるほどの声量。一歩なんかじゃない、僕はもうここまで来たんだ。


「おいおい、俺たちもいるんだからな!」


「そうそう、今日もお母さんと一緒だよ!」


 僕が声を取り戻すのに、二人は本当にどこまでも協力してくれた。


「んでな、リンのやつはまたまた最高の曲を作りやがった。そこでだ、リン、やってみようぜ! 今日は俺がヴァイオリン、お前がギターだ!」


 つまりそれは、僕に歌ってみろって言っているんだ。でも、駄目で元々定国お兄ちゃんたちの海賊楽団はここに呼んでいない。完成版なんて披露する気はないのだ。


 そもそも、あの曲が完成するには歌声が必要だ。それも、Ryuお兄ちゃんに出せない音域のハイトーンが。


「うん――!」


 だったら、やるしかない。失敗を許容してくれるこの場所なら、声がかすれていようと、全力で歌おう。


「さてと、音源からはギターとヴァイオリンを抜いてある。合図の音も、音源に入ってるから……行くぞ!」


 そう言って、Ryuお兄ちゃんは再生ボタンを押した。


 ドラムスティックを叩き合わせる合図の音が鳴り響く。


 びっくりした。いつの間に、こんな音源を作ったんだろう。これはまるで、演奏を録音した生の音源だ。


 そこにRyuお兄ちゃんがヴァイオリンを合わせ、僕の手も勝手に動いてギターの音が合わさる。


 あぁ、音が言っている。ブチかませって。


 もう、歌うしかないじゃんか。


「追いかけた茜の――、太陽の残り火――。暮れゆく季節の中に――、灯る――、大きな篝火――!」


 曲調は一転、激しさを増す。この歌は、僕に炎を灯してくれた歌だから、その炎が燃え広がる様を表現したんだ。


「舞い落ちる赤い一葉、火の粉のように見えて。それを、追いかけて走る。息を切らせても!」


 あれ、声が出てる。歌えてる。


 歌だったんだ。


 思えばいつだってそうだった。僕を支えてくれたのは歌だ。歌っているとき、僕は一番胸を張っていた。だから、声が戻ってくるきっかけが歌だなんて、当たり前のことじゃないか。


「ざわめく森に耳澄ませ、舞い上がる火の粉と踊り舞う。さあさ、歌えや!」


 帰ってきた。僕の声。僕の世界。僕の独壇場。


「風よ、空よ、大地よ、山よ! 歌え! 踊れ! この世界! 無限の中、ただのひと雫!」


 あぁ、歌えるのがこんなにも嬉しい。こんなにも楽しい。またも世界は変わってしまったかのように、なんて鮮やかなんだろう。表現したい音が、手の届くところにある。これまでの僕じゃ届かなかったほどの、大きな、大きな世界が、なんて近くにあるんだろう。


 空を飛ぶ鳥になったかのようだ。世界を巡る風になったようだ。


 翻弄されるまま、僕は歌う。思い描いた通りの声で、表現で。


 戻ってきたんだ。僕の歌が。


 それを、歌い終わったあと、涙が頬を伝った。


「帰ってきやがった……」


 ふと、Ryuお兄ちゃんが呟く。瞳ににたっぷりの涙を貯めて。


「帰ってきやがったぞ! リンが、秋葉の歌姫が!」


 それは、奇しくも秋の紅葉の季節だった。


銀:もう聞けないって諦めてたのに……こんな嬉しいことあるかよ!

初bread:おかえり、秋葉の歌姫!

ベト弁:いい歌だ。畜生、いい歌だ!

里奈@ギャル:エモがすぎるよ。リン君おかえり!

さーや:あぁもう! 涙止まんないじゃん!

Alen:ずっと待ってた。

Mike:それに、別モンじゃん。表現力が上がってる……。

わー!ぐわー!?:再誕だ! 歌姫の再誕だ!


 僕のファンたちは、声が出なくなってから誰ひとりとして減っていない。その全員が、今僕を祝ってくれている。


「えっと……。うん! 出る! 声、出るよ! みんな、本当にありがとう!」


 歌だけじゃない、喋る声も、完全に復活したんだ。僕の声だ。でなくなる前と何も変わらない、いや、変わったかもしれない。でも、それはただただいい方に転んだだけ。僕は、まだまだ歌えるんだ。


「ひっぐ……えぐ……」


 気が付くと、半歩後ろでママが大泣きしていた。


「ママもありがとう! ずっと支えてくれてありがとう!」


 そんなママに僕は抱きついた。もう、この喜びをどうしていいかわからない。


「えーっと、てぇてぇの供給だ。今、リンがおふくろに抱きついてる」


 なんて、他人事をやっているRyuお兄ちゃんも他人事じゃないんだ。


「Ryuお兄ちゃんもだよ! 本当にありがとう! 二人共大好き!」


 だって、僕が声を失ってからの一ヶ月、二人共ずっと支えてくれたんだ。嬉しくて、本当に嬉しくてたまらない。涙が、どんどん溢れてくる。


 僕は、どこまでも幸せだ。


 Utubeのコメント欄はてぇてぇとか言ってる場合じゃなくて、みんな泣いている報告ばっかりだった。


「みんなも、大好き! ずっと、ずっと支えてくれてありがとう!」


 これが、僕が声を取り戻した放送だった。


 この放送は後に、伝説としてたくさんの切り抜きがUtubeのアップロードされることになる。


 声を失った頃から、放送の要所要所をつなぎ合わせたドキュメンタリー風のものも作成された。


 そして、いつしか僕は、不死鳥の歌姫と呼ばれるようになったのだった。

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