第85話・炎の中から
「ただいま!」
「ただいま――」
家に帰って、いつもどおりの挨拶をする。
すると、すぐにママは言った。
「五線譜、印刷するね!」
ママはいつだって、どこまでも僕に協力してくれる。
ママは急いで、パソコンとプリンターを起動して五線譜の印刷を始めた。
「ありがとう――」
休んでる暇なんてないな。だって、僕の中に巻き起こった音が消える前に、全部記していかなきゃならない。
印刷されたそばから、僕はその五線譜に音符を書き込んでいく。
編曲の知識なんてない。そのそも音階の決まりごとすら知らない。全部が全部、感覚任せだ。
でも、心の中にある旋律は綺麗だ。それに、間違っていたならRyuさんや定国さんに直してもらえる。
僕一人の力は本当にちっぽけでも、僕にはたくさんの家族がいるんだ。
灯った、情熱の炎が導くままに僕は楽譜を書きなぐった。
印刷のセットを終えたママは、今度はその楽譜をスキャナーでパソコンに取り入れていてくれた。
だから、楽譜を全部書き終わった僕はすぐに立花お姉ちゃんに連絡することができたんだ。
『作ってみた曲があるんだ。よかったら、力を貸して欲しいんだけど。ダメ?』
その文面をダイレクトメールで送る。今更敬語なんて使うのは、失礼だ。あんなにも愛してくれた人だから、僕は甘えるような文面を送ることが出来る。
返信はその数秒後だった。
『ThisCode繋ぐぞ!』
ただ、短くそう書いてあって、それを僕が読むとThisCodeの通話がかかってくる。
僕はその通話を取った。
『よぉリン! 俺は、お前に頼られてクソほど嬉しい! それでな、さっさと楽譜を見せやがれ! 俺はウズウズしてるンだ! お前のセンスはとんでもねぇからな!』
嬉しいだなんて、そんなこっちが嬉しくなるような言葉は僕の背中を押した。
「今送るね――!」
僕が書いてる間に、ママが何も言わずに全部パソコンに取り込んでくれた。だから、今こうして送ることが出来る。
ママはデータをまとめてくれた。楽譜データを順番通りに整列させて、楽器ごとにファイル分けしてくれた。それを圧縮して、送信やダウンロードにかかる時間すら短縮してくれた。
『お、来たぜ!』
それが今、立花お姉ちゃんの手に渡った。
「よろしくお願いします――!」
緊張した。僕の作った曲が専門家の目にどう映るのか。
ダメ出しをされても構わない。それで、この曲がより良くなるのなら。
だけど、その答えは予想に反して全肯定から始まる。
『お前、天才だろ!?』
「え――!?」
『なんでこれがつながってやがる!? あぁ、これ勉強とかしちまったやつには作れねぇわ!
「うん、お願い――」
それが本当に僕の頭の中にある旋律そのままなのか、不安で仕方が無かった。
『定にぃにも声かけていいか? 俺の周りに、アイリッシュ楽器に詳しい奴がいねぇ!』
「ちょうど声、かけようと思ってたんだ――! できれば、僕から声かけたい――」
『よっしゃ、ここに定にぃブチ込む!』
何故だか、喋るたびに僕の声はどんどんはっきりとしていく。これまではゆっくりとだったのに、今日になって一気に声は戻っていった。それはまるで、幾重にも折り重なった殻を次々と突き破るかのようだった。
『おい、どうした? 急にかけてきて』
「定国お兄ちゃん――。これ、見てくれる――?」
改めて、僕は定国お兄ちゃんに楽譜を送る。
『それはもちろんだが。リン、声が』
僕の声は、失ったあの日とは別人であるかと思えるほどはっきりと出るようになった。
「うん――すごく、出るようになったんだ――!」
あとちょっと。もうちょっと。それだけ出れば、僕はまた歌える。思うがままに歌える。
『よかった……』
定国お兄ちゃんから帰ってきた声は、少し湿っていた。
『よし、楽譜読むぜ!』
結局このあと、定国お兄ちゃんまで協力を約束してくれた。僕の書いた曲を賞賛しながら。
Ryuお兄ちゃんはその間に、仮音源を完成させ、僕と定国お兄ちゃんに送ってくれた。
ここまでしてもらって、完成させないなんてありえない。絶対に僕は歌うんだ。この歌を。何があっても。
通話が終わると、ママはただ後ろで微笑んでいた。
「ありがとう――!」
その、ママに僕は抱きつかずにはいられなかった。全部協力してくれたママ。僕は本当に、ママが大好きでたまらない。みんな大好きだけど、ママが一番だ。
「わっ!? えへへ……頑張る凛くん、かっこよかったよ!」
なんて、ママは言ってくれたけど、僕に頑張ってるつもりなんてなかったんだ。だって、やりたいことに向かって猪突猛進を続けただけだから。
「そう――かな――?」
ただ、照れくさくて、そう問を返した。
「うん! すっごく!」
そう言いながら、抱きしめてくれるママに僕は安心感を覚えた。これでいいんだ。これが頑張るっていうことなんだ。好きに向かって猪突猛進、それに頑張っている自覚なんてついてこない。
「ふぁ――……」
遅れてやってくる疲労感だけが、それを実感させてくれる。
僕は頑張れたんだ。そう、安心すると、眠気に負けて、意識が微睡みのそこへと沈んでいった。
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