第84話・灰はいつしか燃え上がり

 出ない声で歌う日々を、ママと立花お姉ちゃんは全力で支えてくれた。


 それが最高のボイストレーニングになっているのか、声は少し、また少しと、大きくなっていった。


「おはよう――ございます――」


 今となってはもう、スケッチブックも必要ない。かすれているけど相手に届くまでの声量に戻っていた。


 ここまで一ヶ月かかった。


 でも、まだまだ、僕の声は歌を表現するまでには戻ってない。


「おはよ、凛くん! 最近配信ばっかりだから、今日はお散歩行こっか」


 ママの言うとおり、最近の僕は放送ばっかりしていた。


 最近の放送は立花お姉ちゃんの家から行っている。楽器がたくさんあるから。そのために立花お姉ちゃんはマイクを二個も追加で購入してくれたのだ。


 その放送ばっかりの最近こそが、僕の声量を大きく伸ばしている。だから、悪いことではない。だけど息抜きも必要かもしれないと少し思った。


「うん――」


 だから、僕は答えた。


 それに、ママとのお出かけは楽しみな気持ちが僕には強くて、断れようはずもなかった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 とある自然公園。


 赤く色づき、まるで炎の山だった。


 秋が来たのだ。


 僕はとことんインドアで、そんなこと微塵も意識したことがなかった。


 真っ赤な紅葉が時折木から落ちて、それはまるで火の粉のようだ。


「わぁ――」


 声が十全なら、きっと感嘆の叫びをあげていただろう。


 そう思えるほど、その風景は美しい。


 風が吹き抜けて、今にも走り出したい衝動に駆られるほど、世界は広かった。


「綺麗でしょ?」


 ママはそう言って、笑った。してやったりという笑顔で。


 この感動は、してやられてしまった。


「うん――!」


 だから、僕は強く頷いた。


 また、声が少し強くなって、それに僕は驚いた。切っ掛けをくれたんだ。でも、それが悪いだなんて思わない。だって、ママはママなんだ。


「ありがとう――!」


 出る、声が出る。まだ少しかすれてるけど、昨日よりもずっと大きな声で言えた。


「追いかけっこしない? ママが鬼!」


「うん――!」


 ママが僕の手を離す。


 僕はその瞬間に走り出した。


 走り出してみると、次の瞬間には追いかけっこだとかどうでもよくなった。


 ただただ、気持ちが良くて、今なら空だって飛べそうにすら思った。


 手を広げて、真っ赤な木々の間を走り回る。


「まてー!」


 でも、ママは追いかけてきて。だから、追いかけっこ。僕は逃げた。


「あははは――!」


 力いっぱい笑いながら。


 声がかすれるのもどうでもいい。息が上がるのもどうでもいい。ただただ楽しくて、走るのに夢中だった。


「うわ――!」


 落ち葉に滑って僕は転んでしまう。


 だけど、僕は足が速くなくて、それに落ち葉のクッションが柔らかかった。


「大丈夫!?」


 心配して、追いかけっこよりも速い速度でママは僕に駆け寄った。


「うん――痛くない――!」


 乾いた落ち葉がまるで羽毛のように僕を受け止めてくれたのだ。だから、怪我なんてどこにもなかった。それどころか、少しふわりとしていて気持ちが良かった。


「よかった……」


 そう安堵するママに、僕は言った。


「ママも――寝転がってみて――!」


 シャッ――。


 寝転んだママの下で、乾いた落ち葉が音を立てて潰れていく。


「きもちいー!」


 涼しくて、そこに木漏れ日が暖かく降り注いで、えも言えぬ心地よさがあった。


 僕は、これを共有したかった。


 幸せを、共有するのが好きだ。表現するのが好きだ。それが、僕の本質だ。


 空に向かって手を伸ばす。キラキラとした木々の切れ間、木漏れ日を落とすそれが宝石のように見えて。


 でも、掴むことなんてできない。そもそも、持っていくなんて無粋だ。これは、ここにあるから綺麗なんだ。


「綺麗――」


 ただただ、そう思った。これを、僕はどんな言葉で表現できるだろう……。


 どんな音で奏でるだろう……。


 考えれば考えるほど、僕の中で音が踊る。


 だから、僕は起き上がった。


「どうしたの?」


「書き留めたくて――」


 いつ声が出なくなってもいいようにと持ってきたスケッチブック。僕はそこに、楽譜を書き込む。


 ピアノの音も欲しい。ギターとヴァイオリンだけじゃ足りない。それに、定国お兄ちゃんたちのアイリッシュ楽器も借りたい。


 歌も歌いたい。表現したい。


 いつの間に、僕の中にはこんなにたくさんの音色があったのだろう。本当に、世界は変わったんだ。


「楽譜?」


 僕専用の特殊な楽譜をママは見慣れている。僕が歌を作るときは、全部ヘルツで書くから。


「うん――!」


 また、声が大きくなった。


 もしかしたら、この歌を表現できるときは、もうすぐそこの未来なのかもしれない。


 焦ってなんかいない、希望に満ち溢れてる。


 頭の中で、声が木霊している。


 それを、そのまま紙の上に流し込んでいく。


 ママはそれが終わるまで、後ろからじっと僕を見守ってくれた。


「かけた――!」


 タイトルはまだ決まってない。でも、こんなに一気に楽譜を書き上げたのは初めてだった。


 これを、今度は五線譜に直さなきゃ。それで、今度は僕から声を掛けるんだ。立花お姉ちゃんに、定国お兄ちゃんに。


「見せて!」


 でも、スケッチブックは一旦ママに取り上げられてしまった。


 だけど、興味を持ってくれるのが嬉しくて僕は、ママがそれを見終わるのを待っていた。


「えへへ、わかんないや! でも、すっごく綺麗な歌詞! この歌、絶対完成させようね!」


「うん――!」


 今はまだ、かすれる声で返事をした。

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