第78話・誘拐
ホルモン治療が始まった。注射は、これまでしたことのあるどんな注射より痛かった。針が刺さるときは全然痛くない、それは博お兄ちゃんだから当然だ。だけど、薬が体内に入ってくるとものすごく痛いのだ。
後、ホルモンの注射は恥ずかしい。注射を打つ位置が、肩とお尻で選べる。でも、肩はすごく痛いというから、僕はお尻を選んだ。だから、注射の度にスカートをめくられるのが恥ずかしい。
それはさておき、僕は今立花お姉ちゃんの家に向かっていた。今日は調律の日だ。調律を言い訳にして、遊びに行く日とも言える。
その道中、歩いていると、隣に一台のハイエーヌが止まった。
すぐにドアが開き、中から二人の男性が出てくる。どちらも金髪で、ガラの悪い人だ。
「わ!?」
「声出すんじゃねぇ!」
口を押さえられ、あっと言う間に僕は車の中に引きずり込まれる。
なかに入れられると、すぐに両手をガムテープでぐるぐる巻きにされた。マスクも取られ、口にもガムテープ。サングラスも奪われてかわりに目隠しをされた。
「ん゛ー!」
必死で叫ぶけど、息をもらせない口から大きな声は出ない。
「間違いないか?」
「あぁ、間違いねぇ」
そんな声が聞こえると、車のエンジン音と加速を感じた。
僕は今、誘拐されているのだ。
どうしてこんなことに。嫉妬なら、されるかもしれない。VTuberとしては世界一だし、ついでに芸能人でもある。
「つかよ……すげぇかわいくねぇか?」
「やめとけ、男って話だぞ」
そんな声が聞こえて、僕は暴れた。
この人たち、僕にそういうことをするつもりだ。
「暴れんな!」
ふと、その足がなにか肉質的なものに当たった。
「痛くねぇ……」
痛いとすら思わせられないなんて、僕はなんて非力なんだろう……。
自分の体を呪った。この状況から、助かるなんて無理だ。自力でどうにかするなんて無理だ。
足首を掴まれて、こちらもガムテープでぐるぐる巻きにされてしまう。
願った、祈った。叶うなら誰か助けてと。
だけど、走る車の中で誰かが助けられようはずもなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
しばらくして車が止まり、僕はどこかの部屋に放り込まれた。
「ふいー落ち着いた。ここならゆっくり……」
「だからやめとけっつってるだろ。男相手にどうするんだよ!?」
「ケツがあるだろ?」
そんな最悪な会話が聞こえてくる。
怖い、気持ち悪い。体が、ガタガタと震えだしていた。
生暖かくてぬるりとした感触が頬を撫でる。
……舌だ。
気持ち悪い。
気持ち悪くてたまらない。
「ん゛ー!」
叫んだ。声なんて、ほどんどでないけど、全力で叫んだ。
ドスっと音が聞こえた。
「うっ! 蹴ることはないだろうがよ!」
「舌でも噛み切られてみろ! 俺達は、金をもらえなくなるだろうが! だから、とりあえずこうするんだよ!」
口のテープが乱暴にはがされる。
そして、口を指でこじ開けられて、そこに布のようなものが詰め込まれた。そして、またテープだ。
「おぉ、あったまいいなぁお前!」
声もさらに出しにくくなった。舌も動かせない。
「でも、犯すのはやめとけ。俺たちが配当を得るには、こいつが稼ぐ必要がある」
「あーこんなんなら男でも構わねぇんだけどなぁ」
とにかく今の僕にできることは情報を集めることだ。僕がお金を稼ぐ手段。それは配信。配信をさせてくれるなら、暗号化した情報をばらまくことができるはず。
まずは情報を集めなきゃ。怖いなんて言ってられない。耳を研ぎ澄ませないと。
「ストックホルム症候群って知ってるか? 誘拐犯に恋しちまうことがあるらしい。だから、お前こいつに優しくしろ」
「へー? お前、頭いいなぁ」
「犯罪やろうってんだから少しくらい調べるもんだってんだ! それと、お前ここに立て」
「お、おう……」
その後、目隠しがはがされた。
「よぉ、気分どうだ?」
優しげな表情、そう見えて下心が全く隠せていない。気持ち悪いにも程がある。
僕は、目の前の男を精一杯睨みつけようと思ったがやめた。
冷静にだ。
震える体のことは無視しよう。
僕には武器があるじゃないか。この容姿が。ついこの前の配信で、視聴者さんが言ってくれたばかりだ。
だから、僕は微笑みかけた。
「くぅー! 可愛いねぇ……。俺ら、別にお前を殴ったり蹴ったりしようってんじゃねぇ。ただ、ちょーっとおとなしくして欲しいんだ。心配するな、俺らはお母さんの知り合いだ」
「馬鹿!」
馬鹿は二人だ。口裏を合わせておけば、それが嘘って線もあったのに、焦って否定した。そもそも、僕はそのお母さんを嫌っている。
微笑んだだけで効果があった。この件は、僕の母親が裏で糸を引いているということがわかった。カゲミツお兄ちゃんじゃないから絶対とは言えない。でも、これは刑事罰になると思う。
僕はもう、アレを親とは思わない。刑事罰だって、受ければいい。
でも、ショックだ。今にも泣き出したい。
成長しなければ切って捨て、いざお金を手に入れられるとなったらこんなことまでする。愛情なんてそこに一欠片もないじゃないか。
「いいだろバラしたって。カメラで映らないところで、これからも監視し続けるんだから」
「被害者に情報を与えるな!」
アレも馬鹿だよ。僕がお金を稼ぐ方法は配信。こんな、すぐにバレそうな犯罪を犯すなんて。それに、自分でやれば実の親だから罪が軽かったかもしれないのに。
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