第68話・薄情者
「僕の部屋、もうないんだ……」
思わず、ボソリとつぶやいてしまう。だって、連れてこられたのは僕の部屋だった場所だ。帰りたいとも思わないし、別に感慨もない。だけど、ただ感想としてそれが口から出てしまう。
「リン君、ここは君の部屋だった。間違いないかな?」
それをカゲミツさんは聞き逃さなかった。
母は何も言わなかったけど、何を言いたいのかわかる。余計なことを言うな、だ。
満さんが、半歩前に出て僕を隠してくれた。
「う、うん。僕の部屋だった場所……」
満さんのおかげで言えた。ここは、僕の人生のほとんどがここで完結していた場所だ。それがなくなっている。
「なぁ、ママ。抑えてくれよ?」
カゲミツさんが言うから、僕はふと満さんを見た。
拳を固く握り締めていた。怒っているのが、顔を見なくてもわかった。
「大丈夫だよ、カゲくん」
そういいながら、無理やり解いた満さんの手は震えていた。
「も、もう使わない部屋ですから、アハハ」
母は笑ってごまかしたつもりだ。だけど、またボロが出てる。
「凛くんとの思い出は……ないんですか?」
満さんの声は震えていた。
「えっと……」
もうごまかせない。母は言葉に詰まった。
それを救うように甘言を投げたのはカゲミツさんだ。
「とりあえず本題に行きましょう! 本日、私たちが来たのはリン君にお母さんが最接近した理由を訪ねに来たんですよ」
それは、まったくもって救いなどではないのに、母はそれに飛びついた。
「実は、夫が事故に遭ってしまいまして」
「それは困りましたね! それを息子さんに伝えるために?」
「はい、それと介護も手伝って欲しくて」
下手なことは言わなければいいのに。
「おかしいですね。介護が身体的に辛いのであれば、介護施設をご利用なされるはずです。息子さんは体が小さい。介護に向くとは思えませんね」
僕の体は小さくて非力だ。それこそ在宅介護のサポートをさせるなら涼の方が圧倒的にむいている。そこを、カゲミツさんは突いた。
「えっと、金銭問題で……」
確定してしまった。母が僕から巻き上げたかったのはお金だ。満さんの言うとおり、僕のお金が目当てだったんだ。
「金銭的扶助をするにあたって、まず、お二方の財産を全て当てて頂く必要があります。お父様は障害者に該当するので、まず障害者年金があります。次に、事故の賠償金も当然充てる必要があります。この段階で、国が保証するところの最低限文化的な生活を満たす可能性が高いですが、なぜ金銭問題が?」
うんざりした。カゲミツさんが言うとおりなら、贅沢がしたいのだ。
結局、ただ僕のお金に目がくらんで適当に理由をつけて、僕を探しに来ただけなのだ。
「えっと……その……」
「必要ないと判断される可能性が高いですがいかがでしょう?」
一歩、また一歩とカゲミツさんは母を追い詰めていく。十分僕は母を嫌いになった。だから、それが少しいい気味に思えてしまった。
「凛、あなたの親よ? 助けてあげようと思わないの?」
困った母は、僕に助けを求めようとした。
「ごめんなさい。思いません」
「この薄情者!」
僕が答えたとたん母は激昂した。
それを見て、立ち上がらんとする足を満さんは必死で抑え、カゲミツさんもそれを手で制した。
「あまり大きな声を出されないようにお願いいたします。えっとですね、何も命が脅かされているわけではないのですよ。最低限文化的な生活すらも保証されている。なので、これに関しては息子さんは一切薄情ではありません。そもそも、ご両親は、三月の上旬に息子さんを家から追い出されましたよね? 凍死の危険が有る温度は、気温10度以下で、この時期の最低気温はそれに達します。そちらのほうが、よほど薄情かと思われますが?」
あの日は、本当に寒かった。体の震えは止まらなかったし、足は凍ったみたいだった。その凍った足を、ゴツゴツとしたアスファルトが撫でるのだ。それは、本当に痛かった。
「どの口で……」
すごく、小さな声で満さんが呟いた。
「それは、この子がいつまでたっても働かないから!」
母の激昂は収まらない。自分は悪くないと、そう何度も言っているようだ。
「しかし、息子さんは、働く意思を見せていたのではありませんか?」
「それは……」
面接だって行っていた。もうちょっと自由になりたかったというのもある。ひとり暮らしになって、誰に
「就職活動に懸命に取り組む我が子に対して、働かない。それは、あんまりではないでしょうか?」
「でも、結局何年も就職できなかったんですよ!」
ヒステリックに母は言う。
「でも、その息子さんをあなたは追い出されましたよね? 薄情なのはあなたです」
それに対して、カゲミツさんは一切ひるまない。ただ、淡々と言い切った。
「でも……肉親ですよ?」
「ええ、あなたにとっても息子さんは肉親です」
そう、一刀両断し、カゲミツさんは母を黙らせる。
そして、居住まいを正して再び口を開いた。
「感情的になられる方のようなので、後日内容証明郵便を送らせていただきます」
「な!? なんでですか!?」
それを母は恐れた。内容証明郵便は裁判の準備のために送られることが多いものだから。
「息子さんへの接近の再発を防止するためです」
それ以上、母は僕たちに何かを言うことはできず、ただ恨めしそうに僕を睨んでいた。
一応の形式的な挨拶を済ませ、僕たちは僕の実家を後にするのだった。
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