第64話・波乱の先触れ

 放送を終えて、息を吐くと。防音室のドアがノックされる。


「はい」


 ほかに誰がノックするだろうか、それは満さんだった。ただ、暗い表情をしていた。


「凛くん、ごめんね……。お母さん、勝手に追い返しちゃった」


 思えば、満さんはコメントをくれない時間があった。きっと、その間のことだろう。きっと、僕の放送中に実母がきたのかもしれない。


「本当にごめんなさい。迷惑をかけました」


 僕を見つける手段はたくさんある、それこそKidsMonMoにも乗ってるし、ネットにも僕のニュースがたくさんある。少し探せば、きっと僕にたどり着いてしまう。


 でも、この家まで特定されたのは最悪だ。


「迷惑?」


 出ていく覚悟をしたのに満さんはきょとんとした顔をしていた。


「だって、僕がいると僕の両親がここにきちゃいます」


 きっとまた来るんだろう。わざわざ調べてまでここに来たということは、なにか目的があるはず。


「なんで、敬語を使うの?」


 それは、詰問するような、強い疑問口調だった。


「えっと……出て行くつもりですから」


 適当に家を借りて、防音室を作って秋葉リンとして仕事を再開できるくらいのお金はある。


「言っておくけど、引越しするなら二人でだからね!」


 叱りつけるような、低い声の淡々とした口調。だからこそ、口が重くなる。


 本当に、こんな人にいつか子供が出来たなら、その子は幸せだ。感情じゃなくて理性で叱りつけてくれる。でも、そもそも満さんが僕のママなんておかしかったんだ。VTuberのママって意味なら変でもない。でも満さんは別の意味でもママになってくれる。僕の方が年上なのに、僕の心が未成熟だから。


 僕は、必死にその重い口を開いた。


「また、両親に嗅ぎつけられたらどうするんですか?」


「ねぇ、両親と会いたいの?」


 そんなの、答えは決まってる。


「会いたくないです……」


 両親は僕を捨てた。まだ凍死の危険もある初春にだ。それは、殺されそうになったと言っても過言ではない。


 裸足で放り出したのだ。そのせいで、歩くことすら痛かった。


 塩をかけたのだ。それは、わかりやすい追放のメッセージだった。


「私も会わせたくない。あの目、凛くんへの愛情なんてかけらも感じなかった」


「そう、なんですか?」


 一体、どんな話をしたのだろう。そもそも、どうして直接訪ねてきてしまったのだろう。


「うん。来たのはお母さんだけだったんだけど、七瀬凛という人がここにいるはずだと。私はその母親だから、彼に会いたい。そう言った。だけど、愛情なんて全く見えなかった」


 わかってたはずだ。お母さんは、僕が追い出されるとき嬉しそうな目をしていた。僕に塩を浴びせたのもお母さんだ。少しでも愛情があるなら、そんな事をされるわけがない。


 だったら、どうして僕を今更見つけたんだろう。どうして、引き返そうとするんだろう。


 考えても考えてもわからなくて、まるで思考が迷路にはまってしまったように動かなくんる。


「凛くん! ……迷惑だなんて考えるのはやめなさい。ママはママだから。迷惑なんていっくらかけてくれたってへっちゃら。むしろ、迷惑はどんどんかけて、甘えてくれればいい。そっちのほうが、嬉しいから」


 強く呼び止められて、意識は迷路を抜け出した。優しく諭されて、少しだけ安心した。


 でも、それでも、その迷惑は他人にかけるには大きすぎる。


 できることなら、こんな縁はなかったほうがよかった。僕の親は、僕を捨てた。なのにどうして放っておいてくれないんだろう。


「僕は……これ以上迷惑をかけられません」


 満さんと一緒にいられなくなるのは辛い。でも、嫌われるのはもっと辛い。


 そうか……僕は迷惑だからなんかじゃない。嫌われたくないからだ。僕は僕のエゴでここを出ていこうとしてる。


「ねえ、いつまでママと他人のつもりでいるの? あの人は何?」


 あの人は、きっとお母さんのことを指していて、何と聞くからには母とは答えさせたくないのだろう。


「わかりません」


 そもそも、親子の縁は塩をかけられた時に切れた。いや、向こうが断ち切ってきたのだ。


「こんなことは言いたくないけど、多分あの人は凛くんのお金を狙ってるよ。それ以外に考えられない」


「え?」


「凛くん、あなたが月に稼いでるのは、一般的なサラリーマンの年収以上。十分目が眩むような金額なの! だから、多分……」


 後から分かった。満さんのその推測はドンピシャにあたっていることが。


「そんな、そんなのって」


 あまりに反吐が出る。自分が捨てたヒヨコが金の卵を産む鶏になった瞬間拾いに行きたのだ。意地汚いにも程がある。


 いや、そういう面はあった。勝手に産んでおいて、邪魔になったら投げ捨てる時点で意地汚さは保証済みだ。


「本当にそうかはわからない。でも、向こうはきっと誰かを雇ってる。多分探偵で、違法スレスレになってるかもしれない。だから、ちょっとこっちも助っ人を使おうか」


 そう言って、満さんはどこかに電話をかけた。


 電話がつながると、満さんはそれをすぐスピーカーに切り替える。


『はい、こちらカゲミツ弁護士事務所です』


「あ、カゲくん? ちょっと、相談したいんだけど……」


『オーケーママ! 俺の知識と人脈でできることならなんでもしよう』


 電話の向こうの相手は弁護士VTuber秋葉カゲミツさん。Utubeなんでも法律相談チャンネルを開設した敏腕弁護士である。

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