第41話・師匠

「そ、そうだ。か、帰る前にサインが欲しい……」


「え!? サインですか?」


 ギターの基礎を一通り教えてもらって、常識的なギターを身につけた頃、立花さんは色紙を出して言った。


 だけど、困ったことに、サインなんてしたことがない。


「う、うん……。り、リン君の歌本当に好き。ま、MalumDivaも満月も……。さ、作曲家としてだけじゃなく、ふぁ、ファンとしても応援したい……」


 そういえば、よく考えてみると、Ryuさんの僕のライブへの出席率は100%だ。僕がいると、必ずRyuさんもいる気がする。Ryuさんはスパチャよりも貴重なものをいっぱいくれる。お金なんかじゃ買えないものだ。僕のための歌、音楽の知識、熱。だから、できることなら答えてあげたい。


「あの……名前書くだけでもいいですか? サインなんて作ってなくて」


 でも、それはファンにとって何よりも貴重なものだった。サインを作る前の本人の直筆サイン。そんなもの、絶対に手に入らないものだ。普通は……。


「う、うん……り、立花へで頼むよ……」


 僕は言われたとおり、自分の名前……秋葉リンと書いて、その下に『親愛なる立花さん、僕の音楽の師匠へ』と書いた。ついでに、洒落てハートマークなんて添えてみた。自分がそうされたら嬉しいから。


「はい」


 受け取ると、立花さんはワナワナと震える。


「ふふふふ……う、嬉しい。嬉しいよ!」


 そう言って、大急ぎでそれを額縁にしまった。


 こんなに喜んでもらえるなら嬉しい。それと、そういえばUtubeの収益が僕の口座に振り込まれたんだった。


「そ、そういえば作曲代お支払いします」


「作曲代は、す、スパチャだと思って……」


 そうは言われても、MalumDivaの再生回数は今や430万回。最初の100万回は収益化前だけど、その収益は、馬鹿にならない。


「スパチャにしても額が大きすぎます! あの一曲で三十三万円も稼いでるんですよ!」


 つまり、たいたい月給分を稼いでしまっている。


「じゃ、じゃあ、私の取り分はだいたい八万円弱だね……。そ、その分スパチャしたと思ってよ」


「あれ? 作曲家の取り分ってそんなもんですか?」


 もうちょっと、作曲家にお金が入ると思っていた。でも、よく考えたらそうかもしれない。


 でも、これは作曲家だけの取り分である。今回Ryuさんは作詞作曲だ。だから、ほぼその倍の印税が入ることを立花さんは誤魔化したのである。


「う、うん。さ、作曲家の、い、印税率は、に、23.5%だからね……」


 嘘の中に本当のことを混ぜる、それは嘘をつくテクニックだ。これをすると、嘘はぐっとバレにくくなる。


「わかりました。じゃあ、MalumDivaの収益はRyuさんのスパチャだと思うことにします。でも、次の曲からは払いますからね!」


「わ、わかったよ!」


 僕は有無を言わせない態度で、勝ちを掴み取ったつもりでいた。だけど、実際は、立花さんの手のひらの上だったのである。


「あ、あと……こ、これ……も、持って帰って」


 そう言って、立花さんが僕に差し出したのは、USBだった。


「これは……?」


「な、夏マケ用の新曲のデータ。ぜ、全部入れた。わ、私の、に、二ヶ月の、けけけ、結晶だよ……」


 これが、今月の僕の課題曲だ。その曲はRyuさんらしく、クラシックやオペラの要素とロックを組み合わせたものだった。曲のタイトルは、Monochrome。


「ありがとうございます。絶対に完全に仕上げてみせます!」


 その歌は、またしてもなんの奇縁か今の僕に重なった。色あせた過去を歌う追憶の歌だった。


「う、うん……。り、リン君なら、だ、大丈夫」


「そうですか?」


 信頼されることは、嬉しいことだ。でも、だからこそ答えたくもなるものだと思う。


 僕は、また全力で歌う。この曲の物語を全て歌声で表現するまで。


「そ、それじゃあ、き、気をつけて帰って。ま、また来月も、き、来て欲しい」


「次はヴァイオリンを習いに来ますよ!」


 ヴァイオリンもまだまだ中途半端だと思う。だって、音感で無理やり弾いているだけだ。だから、僕はヴァイオリンもちゃんと知りたい。


「も、もちろん。い、いくらでも、お、おしえる」


 だからこそ、立花さんは僕の音楽の師匠だ。


「ありがとうございます! じゃあ、また!」


「う、うん! ま、またね!」


 立花さんの家を後にする。今からなら、弾き語り枠の開始も間に合いそうだ。それに今日は日曜日。きっと視聴者さんもいっぱい集まってくれる。

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