第32話・おててないない中
朝食を終えて、午前中。いつもなら、歌の練習の時間だ。MalumDivaから始まって、いろんな歌を弾いて語る。でも、今日はギターなんて弾けない。だって僕の手は革袋の中だ。
「今日は、朝のチェックができてないから、そこからはじめよっか」
それだって、満さんにやってもらうしかなかった。
「あ、えと……そういえば、ツブヤイッターチェックしてなかったです」
ツブヤイッターのチェックはVTuberにとっては、もはや仕事の一環だ。やらないわけにはいかない。ツブヤイッターは満さんに見られても、何も問題はない。
だって、そもそもみっちーママと秋葉リンは相互フォローしているから、普段から筒抜けだ。
「ほら、また敬語だよ」
「あ、ごめんなさい……」
気を抜くとすぐ敬語になってしまう。中学校までは、友達もいたし、敬語以外も使えていた。だけど、高校になると、流石に体格の差が大きすぎて同級生を同級生と思えなくなっていったのだ。失礼な話だけど、同級生が怖かった。だって、身長180センチを超えてる人だっていたんだ。僕とは42センチも身長差がある。そのせいもあって、敬語は僕に染み付いている。
「じゃ、やり直しね!」
僕は頭の中で敬語を無理やり抜いていく。ですやますを消して、言葉を組み立て直した。
「ツブヤイッターのチェック、してくれる?」
考えに考えた結果、こんな言葉になってしまった。すごく恥ずかしい。
「うん、もちろんいいよ!」
そう言って、満さんは僕に貸してくれたパソコンを立ち上げた。
ツブヤイッターのアプリを起動すると、通知の件数は案の定1000以上。ほとんどがフォローされましたという通知だ。
だけど、ダイレクトメールの通知もあった。
「あ、定君からダイレクトメールだね……」
「うん、なんだろう?」
困難ながらもなんとかタメ口で話せている。
パソコンは満さんが操作してて、僕は見てるだけだ。
「えっと……『リン君へ……。定国です、秋葉海賊団の新曲が完成しました。リン君パートの楽譜と、オケを送ります。よかったら、歌ってみてください』だって」
満さんはそのメールを読んでくれた。定国さんはとても丁寧な言葉遣いで安心する。
「海賊って聞いてたから、もっと怖い人かと思ってた……」
だって、僕の中の海賊は、シミターとラッパ銃の人たちだ。だけど、定国さんのアイコンは、短いショットガンとコンバットナイフを持った、ガタイのいい髭もじゃのおじさんだった。カリブ海とかにいそうな海賊の武器だけを現代のものに置き換えた感じだ。それと、乗っている船がどう見ても現代の軍艦で、笑っちゃいそうになる。
「定君は、放送中以外は普通の優しいお兄さんだよ。放送中は、海賊だけどね!」
それが、Ryuさんとちょっと違って面白い。
「とにかく、聞いてみたいです!」
「じゃ、ヘッドフォンつけるよー!」
僕が言うと、満さんは僕にヘッドフォンをつけてくれる。その後、満さんも自分でヘッドフォンをつけた。
動画はUtubeの限定公開にしてあって、URLをクリックすると音楽が流れ始めた。
景色が変わったようにすら感じる、綺麗な旋律だった。船のヘリ腰掛ける船長と、お酒がたっぷり入った樽を囲む船員たちの幻が見えた。そこに、僕の歌う楽譜の音を重ねると、それはまさに海賊の歌姫だった。樽のすぐ横で、歌いながら踊る、それが僕の役割……。
船長の役のボーカルだけは収録されていて、多分これが定国さんの声だと思う。ただ、日本語に聞こえないのに、よく聞くと日本語の歌詞だ。そんな歌詞ながら、表現が美しく、あまりの巧さに僕は驚いてしまった。
「相変わらずだなぁ……本当に清々しい船乗りの歌……」
満さんがそんな風に言うなら、いつもこんな清々しい歌を作るのだろう。Ryoさんとは違った音楽の才能。それは、とても輝かしく思えた。
「で、でも……僕こんなパート歌えるか……」
みんなが囲む樽のとなり。それは、みんなの真ん中に立って歌うということ。つまり、この歌は僕を主役にしているのだ。
船長が歌うように焚きつけて、歌姫が歌い、船員たちと順番にやり取りをするような歌。それは、会話のようで、とても楽しげだ。
「できるよ! だって、MalumDivaだってすっごく難しい歌じゃん!」
「難しさが全然違う……よ。だって、MalumDivaは歌として難しい。でも、これって演技だと思う……よ」
ツギハギしてなんとかかんとかタメ口で話すのはちょっと大変だ。
「ふーん。でも、試してみないとわからないよね? そういうわけで、防音室に行こ!」
満さんはそう言って、僕を防音室に誘導した。
歌としては、MalumDivaとは比べようもないほど歌いやすかった。ただ、演技としての部分があって、僕は一ヶ月間それにものすごく苦しめられることになるのだった。
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