第20話・音の申し子

「り、凛くんの声は……き、綺麗な和音、な、なんだよ……。汚い声、それは、ふ、不協和音……」


 そう言いながら、立花さんはDAW音楽制作を実現するソフトウェアを立ち上げて、いろんな楽器の項目のマス目を塗りつぶす。そして、再生ボタンを押した。


『あ』


 びっくりした。楽器の音の和音なのに、五十音が聞こえる。


「こここ、声は、わ、和音なんだよ」


 そんなこと、初めて知った。だけど、その瞬間目が開けたような気がした。


「えっと……あー! あ゛ー!」


 一回目の発声で僕はあをたちまち理解する。その中の、音の一個を少しずらしてみた。それは、すごく集中力が必要で、喉にもこれまでに感じたことがない負担を感じた。


「ててて、天才! ど、どうして、ででで、できたの?」


「え? だって、和音だって教えてくれたから、音を分解できたんです!」


 そう、あという声を和音として捉えることができた瞬間に、僕の中にはその部品が一気になだれ込んできた。いろいろな高さの音が、それぞれの大きさのバランスを完璧に保って初めて声になっている。それを、僕は理解できてしまったのだ。


「ぜ、絶対音感! こここ、こんなに、精密な……」


 だからわかったんだ。僕がこれまで出してきた声は、それを完璧に調律した機械の声だったんだと。だから、綺麗な音でしかなかった。汚さは、調律のズレだ。本当に小さな小さなズレが、音を綺麗に歪ませる。


「凛くん、そんな才能があったんだぁ……」


 ポツリと漏らした満さんに、立花さんは掴みかからん勢いで言った。


「さささ、才能に、し、しても規格外! お、音の、ももも、申し子だよ!」


 その後、僕は立花さんからヘルツというものを教わった。音の周波数を指し示す単位で、音ってこんなふうにできているんだって僕はびっくりした。でも、言われてみるとどんどん理解できる。知らず知らずのうちに僕はそれを意識していたんだ。


「す、すごい……り、凛くんはHzヘルツ単位で音を把握できてる……ちょ、調律師にだって、な、なれるよ!」


 音感は悪くない気がしていたけど、僕の音感はものすごく鋭いみたいだ。だけど、こうなれたのだって立花さんのおかげだ。


 音楽の授業で使うピアノの音が、半年かけてゆっくりと変わっていく気がしたのはこのせいだったんだ。いきなりピアノの音が高くなって、声を合わせ損ねた気分になりながら賞賛されたのも全部これが原因だったんだ。


 僕の耳、すごくいいものを持って生まれたみたいだ。


「へー、凛くんはやっぱりすごいんだね!」


 満さんは、嬉しそうにそういった。


 意識して聞いてみると、やっぱり声は和音で、満さんの和音はすごく綺麗。逆に、失礼かもしれないけど立花さんの和音はちょっと汚い。でもRyuさんの声を思い出して分解してみると、かなり綺麗だ。


「う、うん……すすす、凄すぎる才能! だ、だから、う、歌が、じょ、上手なんだよ」


 でも、二人して褒められるのはちょっと恥ずかしかった。


「あ、そうだ! 楽器も触らせてあげてくれない?」


 満さんが、急に言い出した。僕も、いろんなことを勉強して、ちょっとだけ楽器に興味が出てきたところだ。


「も、もちろん……ど、どの楽器から、は、始めようか?」


「じゃあ、僕、ギターがやってみたいです!」


 かっこいいの象徴はギターだ。そんな不純な動機から、僕はギターに興味を持っていた。


「ど、どれにしよっか……さ、三本あるよ……え、エレキと、ふぉ、フォーク、く、クラシックギター」


 ギターにはそれぞれブランド名が刻まれている。後で知ったけど、このブランド名全部有名なものだったらしい。ギターって結構高かった気がする。気軽に触らせていいのだろうか。


「え、えっと、よければ、フォークで」


 僕が触ったことがあるのは、フォークギターだ。それと、クラシックギターは押さえる部分が広くて僕の手じゃ届かなそうだ。


 クラシックギターとフォークギターの違いは弦だと思う。クラシックギターは透明なプラスチックの弦で、フォークギターは金属の弦だ。だから、フォークギターの方が硬い音がする。


「じゃ、じゃあ座って。で、こ、こう、持って……。こ、ここ、ネックを握って……」


 押さえる部分、僕が勝手にそう呼んでいた部分はネックというらしい。


「鳴らしてみてもいいですか?」


「も、もちろんだよ!」


 僕は恐る恐る一番細い弦を鳴らした。659Hzの音が一番目立つ。さっきまでヘルツを勉強していたせいで、そう聞こえる。確か、ミの音だった気がする。


 それから、ネックの一番左側を抑えてみる。そして音を鳴らすと、698Hz。今度はファの音だった。


 記憶にある、コードも試してみた。といっても、覚えているのは一番簡単なEmマイナーのコードだけ。


 かき鳴らすと、綺麗な和音が鳴り響いた。


「い、Emマイナー覚えてるんだ……。え、Aはどう?」


 Aは覚えてないけど、でもA……ラの和音はMalumDivaにも出てきた。ギターでやるなら……。


 僕は推測で指を動かして、かき鳴らした。


「そ、それ、え、Amマイナー7。MalumDivaに、で、出てくるやつ……」


「えっと、実は覚えてなくて……」


 だって、もう十年以上前のことだ。だから、仕方がないと思う。


「で、でも。え、AはAだよ……。正解。こ、COSMOS、で、できる?」


 僕はちょっとだけ、考えた。


「できる気がします……」


 どうやればどんな音が鳴るのか、想像ができる。だから、音を分解して、コードと主旋律を混ぜて運指を考えていく。


 でも、ちょっと指がこんがらがった。だって、両方やろうとするとすごく複雑だ。指が届かない部分もすごく多い。


「む、難しいです!」


 もう悲鳴だった。だって、頭の中の僕は指が伸びたり縮んだりしている。


「え、えと……こ、こうやって、ここ……ふ、フレットを叩いても音が出る」


 そう言いながら、立花さんは、指で押さえる部分、フレットを指で叩いた。


「あ、なるほど……それなら!」


 やっぱり僕の思い描く通りには弾けなくてギターは要練習だ。でも、すごく楽しい。ギターも、もっと弾きたい。


 あとで聞いたけど、フレットを叩いて音を出すのは初心者がやる技術じゃなかったそうだ。右手までフレットを叩くのに回したのを見て、立花さんはものすごく驚いたとか。


 それと、ギターは買うことになった。満さんが、僕が楽しそうだったから、欲しくなったそうだ。僕も是非触らせてもらいたいなとまで考えて気づいた。ギターは多分僕のために買うのだ。断らせないために自分が欲しくなったということにしたんだと思う。

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