第9話・覚悟

 役所から満さんの家に帰る途中、夕飯の買い物をした。今日の夕飯は、ビーフシチューというらしい。また、僕の知らない料理だ。


 それは、満さんが意図的にそうしてくれている。僕の知らない料理を優先的に僕に教えてくれるためにそうしてくれているのだ。


 家につく……。


「ただいまー!」


 誰もいないけど、満さんは言った。


 僕は、家に帰るときは静かに帰れと言われていた。ただいまなんて言おうものなら、文句が帰ってきた。


「どうしたの? 凛くん」


 満さんは、僕の顔を覗き込んで聞く。

 言ってもいいのか、不安だったのだ。だけど、多分、大丈夫。


「ただいま……」

 小さな声しか出なかった。だけど、それは長らくゼロの音量だったことを考えると大きな声だった。


「うん! おかえり、凛くん!」


 本当に大丈夫だったんだ。満さんは文句を言うどころか、満面の笑顔で僕のただいまを受け入れてくれた。


 それから、僕は満さんと一緒に夕飯の支度をする。

 その途中、僕は言った。


「満さん……僕、お金を稼げるようになりたいです。だけど、どうしたらいいかわからなくて」


 褒めてもらえるものは二つだけある。外見と声だ。だけど、どっちも年齢不相応のもので、僕はこれに苦しめられた。


 まず間違いなく子供だと思われる。そのせいで、僕は会社で働くことができない。多分、他にも理由がある。僕はどうやら、ちゃんと大人になることができていないのだ。


「うん……」


 そう言って、満さんは深く考え込んだ様子だった。だから、僕は答えが出るのを待った。


「芸能人ってどんな仕事かわかる?」


 テレビの向こうで、キラキラと輝く人たち。だけど、きっとそれは本質じゃないんだ。


「僕には、わかってないかもしれません」


 だから、それ以上の答えを僕は持っていなかった。


「自分の人生を食い物にして、外見やトーク力を武器にして、戦ってのし上がる人たち……。実はVTuberも同じでさ。私も、私の人生を、声を、性格を、食って生きてる。特に性格と、モデリングの技術は武器だよ。そんな生き方してる。キャラかぶりなんて起きたら、戦争だよ?」


 その答えは、血なんて一滴も流れていないのに、血生臭かった。


 満さんの性格、どこまでも優しいこの人が戦争をするなんて考えられなかった。だけど、きっと戦争のように発展してしまったことがあるのだろう。


 満さんは、二つの意味でママ系VTuberだ。一つは、視聴者をわが子のように甘やかすという意味。もう一つは、満さんがモデラーだということだ。


 満さんの作業枠、それは出産枠と呼ばれている。新しいVTuberの体をモデリングする枠だ。それ自体が宣伝にもなることから、みっちーママに産み落とされたVTuberはとても多い。


「でも、なんでそんな話を?」


 それは、僕にVTuberという道があるということを示しているように感じた。


「凛くんは、自分の人生を食い物にしても、お金を稼ぐ覚悟がある?」


 満さんは、まっすぐ僕を見つめていた。


 しゃがんで、目線を合わせて、僕の目をしっかりと見ながら。


 まるで、僕の覚悟を確かめているみたいだ。


「やります!」


 それでも、少しでも満さんに恩返しができるなら僕はなんだってやる。エッチなことだってやる覚悟を決めていたんだ。だから、ママ活に手を出そうとした。だったら、このくらいの覚悟なんだって話だ。


「そっか、じゃあ、ママが凛くんの体作ってあげる」


 僕に才能が有るか、そこは疑問符しかない。だけど、満さんは出来ると思ったから僕にこの話をしたんだろう。


「でも、僕にできますかね?」


 それでも弱い僕は、それを確認せずにはいられなかった。


「薄幸少年が幸せになっていく話って、結構需要あるんだよ。それを、売りものにするの。やめる?」


 満さんは、既に料理に戻っていた。


 薄幸少年、そんな風に言われるほど僕は不幸だったのかと少し疑問に思う。それに、恥ずかしかった。なんだか、不幸を気取って格好をつけてしまったかのような気分になった。


「やります!」


 でも、僕の答えは変わらない。それがお金になるんだったら、いくらでも売ってやろうと思う。


「そっか……わかった」


 僕は本気だった。それを、わかってくれたのかはわからない。だけど、満さんはそれ以上僕にやめるかと聞くことはなかった。


「でも、何から何まで頼りきりでごめんなさい」


 モデリングだって、僕はできない、やったことがない。VTuberとしての活動だって、きっと最初はうまくいかない気がする。


「正直、凛くんをVTuberにしたら売れるだろうなぁって最初から思ってた。凛くんにいろいろやりながら、そんなこともずっと考えてた。軽蔑した?」


 そう言いながら、満さんの横顔が苦笑いする。


「そんなわけないです。今の今まで言わなかったじゃないですか……。少し、いい人すぎると思ってたので、少し安心しました」


 無償過ぎる愛は、怖い。こうやって、少しは利己的な部分があったほうが安心する。


 でも、満さんは、これをいつ僕に言うつもりだったのだろうか……。


「さ、ごはんごはん!」


 ビーフシチューが出来上がり、そんな疑問は聞く機会を失った。


 だけど、ただただビーフシチューが美味しかった。それに、満さんとの会話は楽しかった。僕の美味しかったものランキングの二位がまた入れ替わった。

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