第7話:労働環境の変化 ⑦
これは“我が社はあなたに何かされた時に守れる自信がありません“と言っているように感じるのだ。なぜなら、本当に勝てると思うならこういうことはしないだろうし、今の日本社会の闇がこのような対応に繋がっているように感じるのだ。つまり、会社の力を使って個人を押さえつけて、自分たちは生き延びようとしていると感じる人が多いのだ。その結果、それらの誓約を遵守する人もしないひともいるが、前者の場合はなかなか就職活動がうまくいかず、就職活動をすることに対して孤独感や劣等感が強くなってしまう可能性があるのだ。そして、これらの期間が長くなるとなるだけ本人側に不利益が高まっていき、内定率や採用率が低下していくのだと思う。
しかし、後者の場合はかなりチャレンジャーであり、リスクを冒しても自分のやりたいことをやるというスタンスが仕事に反映されるだけでなく、相手企業にとっては願ってもみない優良人材を獲得できるとあってお互いがWin-Winの関係になることが出来るのだ。
私はこういう慣習は即座に壊すべきだし、こういうことをしてまで人材を潰そうとすることはあってはならないと思う。特に中小企業になるとこういう潰し合いが結果として自分たちの首を絞める要因になっている場合が多い。
そして、これらの行為が労働基準監督署などの諮問機関に被害に遭った社員などから内部告発などの報告をされていないことで悪事を正当化している人も少なからず存在している。なぜ、社員が告発に踏み切れないか、理由は簡単で“会社という大きな組織に潰されてしまうかもしれない”・“就職などに影響が出るかもしれない”という大きな組織に対する恐怖心や自分の人生を棒に振ってしまうのではないかという絶望感などが挙げられるだろう。つまり、組織の問題が個人に転嫁され、その転嫁された相手(個人)が何を言っても大きな山(組織)は動いていかないということになる。
これでは仮に不当解雇などの法律に抵触していたとしても個人では証拠を持っていたとしても相手を問いただすことが難しいだけでなく、名誉棄損などの裁判沙汰に発展する可能性が十分にあるのだ。
このように個人の悪は徹底的に潰し、生き延びるために自分たちの力を最大限に活かして多くの会社は生き延びてきた。そして、それなりに名前が知られている会社だと周囲もそういう事が行われているということを信用しないだけでなく、個人を否定し、組織を肯定するという縮図が出来上がってしまっているのだ。
これは一見すると一般的な縮図だが、トラブルなどの発生時には個人を追い詰めて生き残るなど個人が苦しむように仕向けられた構造的縮図が浮かんでくる。
つまり、会社が悪事を働いたとしてもほとんどのケースで免罪符のような状態になり、社会的に“会社が悪い”という考えではなく“個人が悪い”となるのだ。この考え方は会社という大きな組織に個人では勝てないだろうという半ば諦め状態から来る心理だろう。
私は“バレないならいくらでもやってもいい”という考え方がハラスメントや不当解雇に更なる拍車をかけないか心配だ。
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