第8話:適材適所が尊重される社会へ ①
日本には適材適所という言葉がある。しかし、そういうことわざであっても本当に適材適所で働けている人は少ない。
その上、働いている人が多いわけだが、働きたいという気持ちはあっても、泣く泣く働いている人もいるし、人によっては働きたくても一種のトラウマや恐怖、不安などで働けない人もいる。
一番先にケアしなくてはいけないのは後者の方だろう。なぜなら、そういう人たちが“なぜ”働けないのか?ということを考える機会が少なく、社会全体でこういう人たちを否定し続けた結果、これまで持っていた感情がさらに深刻化し、更に就労困難にしてしまうのだ。
私はそういう人たちが社会復帰するためにはかなりの時間が掛かるだけでなく、お互いの信頼関係の構築や社会不信を払拭するための意識改革など達成するためのプロセスが多いため、途中で挫折してしまう可能性があるのだ。
私はこういう人たちが増えている背景に“ハラスメント”も関係しているが、一番は“相手の勘違い”だと私は思う。
なぜなら、その人を育てたいと思うのか、利用したいと思うのかでその人に対する態度が変わり、利用したいと思っている場合には一定期間経つと勝手に解雇されるなど理不尽な態度を取ることが多いのだ。私もそういう経験は何度かしているし、同僚が同じ目に遭って職場を去ったこともあった。
その同僚もそうだったが、どんどん意見を言えて、会社を変えたいと思って良かれと言った事が逆鱗に触れてしまい、自分の仕事を失うという結果を生んでしまった。今の社会で育てたいと思うのはある程度実績があり、自分の言うことを聞いてくれて、イエスマンであることがほとんどの人の前提だろう。そして、会社などで昇任していくといくだけ自分が上に立っていることで優越感や立位性の乱用など今まで出来ない事をできるようになり、自分を過大評価してしまうのだ。
そういう上司と仕事をしていると、部下は戦々恐々としてしまい、自分のポテンシャルを含めた実力を発揮する事は出来ないし、すごい上司になると部下の企画を奪ったという話も聞いた事がある。つまり、組織に入るということはその中で人気取りするためには手段を選ばず力を乱用する事が正しいかのような風潮が流れているという職場もあると言う事だ。
そして、今は若年層もそうだが、いろいろな物や事に守られすぎた結果、これをやられたら辞めてやるという導火線が短い人が多い。これは、今まで守られてきた事が社会に出たときには通用しなくなることで社会と自分のギャップに悩み、時には自己嫌悪に陥りと自分の思い描いた世界を見すぎた結果、自分の能力に限界を感じて組織を去る人、社会自体からを去る人も出てくる。
これからはフリーランスとして働く人も増えてくるが、私はフリーランス≠会社員ではないと思っている。そして、会社員と同じ感覚で安価に買い叩くという事はあってはならないし、フリーランスも仕事の一つである事からお互いにバランスが取れるような関係性を構築しなくてはいけない。
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