リナリア ― 月明かりの下 うたう歌 ―

枡本 実樹

人魚の伝説

西の海に浮かぶ島。

そこに伝わる人魚の伝説。


この美しい海の深海には、海の王国があり

島の砂浜近くまで、人魚が泳いで来ることがあった。

時折、聴こえてくる歌声は、とても美しく

人々を魅了していた。


人間も人魚も、どちらもそれぞれの場所で

この海を大切にしながら

それぞれの暮らしをしていた。


しかし、ある満月の夜。

嵐が起こり、船は難破し、

たくさんの人が海に放り出され、

命を落としてしまった。


悪い言葉は、すぐに伝染する。


人魚の美しい歌声が嵐を呼び、人々の命を奪う。

そう思い込んだ人間が、人魚の命を奪う。


悲惨な物語が、生まれてしまった。

———この争いが、のちにこの島の伝説となる。




それから十数年の時が経ち、

また争いが起きてはならないと、行われ始めた祭祀さいし

いまもなお毎年、六月最後の日曜日に行われている。

海の神々に、祈りを捧げ

悲惨な物語を思い出し、平和を誓う。


島中に、色鮮やかな花が飾り付けられ

海辺沿いの道には、きれいな色のキャンドルが幾つも並ぶ。

島に三ヶ所ある広場には、出店でみせが並び

それぞれの場所で、楽器を持った人たちが音楽を奏でる。

昼も夜も、美しい光景が広がっている。


その日、一歳前の赤ん坊がいる家は、朝から準備に追われる。

赤ん坊に、白いセレモニードレスを着せ、

両親はその子を腕に抱き、島の中心部にある森へと向かう。

祭壇に花を手向け、祈り歌を歌い

【 テティ 】と呼ばれる、祭祀で神役かみやくをする女性から

真珠のペンダントを、赤ん坊につけてもらう。


この真珠のペンダントは、『 健康・長寿・円満 』の意味を持ち

身に着けることで、幸せに暮らせると言われており

この島の島民は、生涯大切にしているという。


争いが起きないように。と、始まった祭祀。

そのためには、生まれた時から優しい気持ちを持った子に育てようと

祭壇の場所まで、赤ん坊を連れて行くことになった。

海の神に、祈りを捧げる祈り歌を歌い

海の女神と人魚に関係すると言われている、真珠を御守りにした。




毎年、ミモザの花の香りが、春の訪れをしらせると

少しずつ、森の中にも、色とりどりの布や花が飾られ始める。

美しいランタンが飾られ、島中が華やかな空気に包まれていく。

だが、今年は何も飾られることはなく、おごそかな空気が漂っていた。


この祭祀には、二十八年ごとに、行われる別の儀式がある。


生贄いけにえの儀式。

捧げられるのは、幼女。

形式的なものとは言え

いまも生贄の儀式は、行われている。


そして今年が、前回の儀式から二十八年目の年になる。




祭祀が行われる年の四月。

島の西、森の奥にむ【 深海の魔女 】と呼ばれる者が

前年に生まれた女の子がいる家の名前と

誕生日と時刻を書いた紙の中から、家を選び出す。

生贄にする子供を決めるのだ。


儀式は、六月の満月の日に行われる。

その年は、三月から八月までの半年間、

島民以外は島への出入りを禁止されている。

その祭祀の詳しい内容は、口外禁止、撮影禁止。

破った者がいる家には、悲惨な最期が約束される。と言われており、

誰もその内容を、外に漏らすことはなく

島民以外に知る者はいない。




この年、選ばれたのは、島の南で楽器店を営む家だった。

昨年の四月十日、双子の姉妹が産まれた。

姉はリナ、妹はリアと名付けられた。

先日、島に住む両家の祖父母と、親戚とを呼んで、

一歳のお誕生日会を、盛大にお祝いしたばかりだった。


最近、歩き始めたばかりの二人は、両親と手を繋ぎ、

よちよち歩きで、散歩をしていた。

くりくりのおめめに、ぷくぷくのほっぺ。

笑顔で手を振る姿は、とても愛らしく、まるで天使のようだった。

すれ違う島民みんなに、可愛がられていた。


そんな幸せで満たされたこの家の郵便受けに

一通の手紙が届いたのは、五月の初めだった。

モスグリーンの封筒。

金色の蝋で封印されている。

印璽いんじに刻まれたシンボルを見て、父親は肩を落とした。

月と魚の尾ひれのデザイン。

—————深海の魔女からだ。




* * *




儀式当日。


選ばれた子供の両親は、【 BLUE tearsブルーティアーズ 】と呼ばれ、

濃紺の全身を覆う儀式用の服を着る。

決心をしなければならないと思っていても

父親も、母親も、絶望の淵に佇むような表情を隠せずにいた。


そんな二人を、心配するかのように、リナとリアは顔を覗き込んでくる。


「ぱぁぱ。」

父親の頬を、小さな両手で包み込み、にこぉと笑いかけるリナ。


「まぁま。」

母親に抱き付きながら、頬にキスをして、心配そうに見つめるリア。


両親は、流れてくる涙を手のひらで拭い、笑顔を作った。

リナとリアには、最後に自分たちの笑顔を憶えていて欲しい。

そう、何度も話し合っていたからだ。


時間が止まってしまえばいい。

何度、願ったことだろう。

どんなに抱きしめても、足りなかった。

無情にも、時間は過ぎていく。


リナとリアも、そろそろ着替えさせなければならない。

純白のドレスを着せ、頭に花冠、左手首に真珠のブレスレット

両足首に赤と黒のリボンを付ける。

リナもリアも、鏡に映る、ドレスと花冠の姿に

きゃっきゃっと嬉しそうに跳ねている。

まるで、本当の天使のようだと、両親は二人を見つめていた。


夕方六時。

子供を抱いて、玄関を出る。

そこには、十人の【 ムーサ 】と呼ばれる者たちが待っている。

全身を黒い儀式用の服で覆い、二つの楽器を持っている。

子供を抱いた両親を、取り囲むようにムーサ が並び、歩き始める。

カリンバの音色に合わせ、祈り歌を歌い、島の家々を回るのだ。


そして真夜中、深海の魔女の棲む森に入り、

スレイベルの鈴の音だけが響く中、森の中を歩いて行く。

月明かりだけを頼りに。


リナとリアは、両親の腕に抱かれ

スヤスヤと寝息をたてている。


魔女の家に着くと、両親には、二つのショットグラスが渡される。

褐赤色かっせきしょくの液体が入っており、残さず全て飲まないといけない。


飲み終わると、魔女だけが知る、砂浜に向かい

子供のひたいに最後の別れのキスをして、

魔女へ子供を渡す。


母親は泣き崩れ、父親はとても苦しい表情をしている。


その子供は、舟に乗せられ

島から西の方角へと向かう。

暫くすると、舟の灯りは消えていった。



こうして、生贄の儀式は終わりを迎える。







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