第31話 作戦がないことが作戦

 勝てない。何度やっても、勝てない。悔しいけど、心は晴れ渡って健やかだ。


 第十三ラウンド。リリィたちが四勝より先の勝利を掴めない一方で、ソレイユとヨヒラはもう八勝を積み重ねている。序盤こそプレミアム・ランカーであるジャスミンの実力に押されていたふたりだったものの、リリィとジャスミンの連携がまだ未熟であることに気づくと、その隙を突くような戦術であっという間に逆転されてしまった。


「もしかしてわたしの動き、相手にすっかり見破られちゃってる……?」

「あなたの動きだけじゃなくて、私たちの取る作戦そのものが筒抜けになってる」


 第十一ラウンド開始前、流石に負けが込んでいることを気にしたのか、ジャスミンはハーフタイムの猶予を使って作戦会議を始めた。


「たぶん私が定石の作戦ばかりを提案しているものだから、こちらがどう動いてくるか何となく相手も分かってるんでしょうね」


 ジャスミンの提案する作戦は決して間違ってはいないはずだった。ふたり固まって行動し、堅実に目の前の敵に対処していく戦法。しかしそれらの受動的な行動に対して、それを崩すような積極的な作戦を相手チームは採用している。プレミアム・ランカーであるジャスミンが前線を張れば、後方に位置するリリィを狙い撃つ。一方でリリィを囮にしてジャスミンが敵を叩く戦法を取ろうとすると、挟み撃ちによってリリィの牽制を無効化しつつ先にジャスミンを叩く。定石を取るこちらの戦法を逆手に取って、優位な戦闘を展開されているのだ。


「どうにかできないんでしょうか?」

「必ずしもどうにかする必要はないかも」

「というと?」

「相手は本気だけど、これは私たちにとってはあくまで実戦練習。一歩ずつ上達していくという意味では、まずは定石の立ち回りから身体に馴染ませていったほうがいい。定石の作戦ばかりを取るせいで、パートナーとして連携が取れている相手チームに裏を掻かれてばかりだけど、それはそれで学べることもあるはず」

「でもわたし――勝ちたいです」


 それはリリィの素直な気持ち。


「ジャスミンさん言ってました――この世界で最も価値のある景色は最後の一チームまで生き残った先にある勝利だって。それならわたしは勝つために全力を尽くしたいです。明日の勝利のためじゃなくて、今勝つために戦いたいです」

「それは……」


 リリィの主張に、ジャスミンは顎に手を遣ってしばらく思案する。


「定石を崩すような作戦もないわけじゃない。でも今のわたしとあなたの連携じゃ難しいと思う。定石を崩したことによる作戦の歪みや不安定さは、咄嗟の判断と連携で補うしかない。あなたはまだ初心者だし、そこまでのことは難しいはず」

「でもジャスミンさんはプレミアム・ランカーなんですよね? ひとりの実力なら誰にも負けていない。それなら勝ち目はあるはずです」

「どんな勝ち目?」


 いざ訊かれると言葉に詰まってしまう。それでもやってみるしかない――リリィはほとんど思いつきで自らの考えを口にする。


「――というわけなんですけれど」

「無茶ね」


 きっぱりと否定されて、リリィはがくりと肩を落とす。


「でも挑戦してみること自体は悪くない。自分で色々なことを考えて、試して、失敗や成功から自分なりの最善を導き出していく――FHSはそういうゲームだから」

「なら――」

「ええ、やってみましょう。あなたの言うとおり、勝利を目指すために今この目の前にある勝機を溢すのは、やっぱり間違っていた。あなたの作戦を信じましょう」


 ラウンド開始まであと十秒。リリィは資金マネーエナジーを使って提案した作戦を実行するための装備を手早く購入する。


『第十一ラウンド、開始』


 その電子音声と共に、リリィは慌てて部屋を飛び出した。ラウンド毎に配布される資金マネーエナジーを使い切れなかった――仕方ない。今は一秒でも速く移動することが大事だ。


 これまでリリィはずっとジャスミンの背中を追って移動していた。しかし今回提案したリリィの作戦はその前提を覆すもの。リリィは誰についていくこともなく、自身の意志で先頭を走る。ジャスミンは黙ってリリィの背後を走るばかりで、経験者として初心者のリリィにアドバイスすることもない――この状況もリリィの提案した作戦の一部だった。


 後ろを走るジャスミンに追いつかれないようリリィは必死で走り、そのまま舞踏広間に突入する。正面にはソレイユとヨヒラの姿。裏を掻く相手のさらに裏を掻くつもりで行動したものの、相手チームは予想外に正攻法でやってきた。もしかしたらリリィたちが裏の裏を掻く作戦を取ろうとすることも予測していたのかもしれない。それでもここまで来た以上は作戦を変更することはできない。リリィは覚悟を決めて遮蔽に隠れる。


 遮蔽の隙間からリリィはソレイユとヨヒラがどの遮蔽に隠れたのかを冷静に確認する。ソレイユは単騎で突入してきたリリィを牽制射撃。その間にヨヒラは遮蔽から遮蔽へ移動し、リリィへの射線を通そうとしてくる。ジャスミンより先行して突入してきたリリィに対し、ソレイユとヨヒラは先にリリィを撃破する戦法を取ろうとしてきた。おそらく相手チームはジャスミンが挟撃のために回り込んでいると予想したのだろうか。しかしリリィの後に続いてジャスミンも舞踏広場に突入してくる。見当違いの展開にソレイユとヨヒラの連携が一瞬乱れた。ジャスミンの姿を視認したヨヒラは、リリィを集中砲火するための移動を中断し、元いた遮蔽に素早く隠れたのだ。その判断は正しい。ジャスミンの照準エイムなら、僅かでも無防備な状況を晒した相手を一弾倉ワン・マガジンで仕留められる。ヨヒラが移動を中断したことで、ソレイユとヨヒラは近い距離で固まり、お互いのチームが睨み合う状況となった。


 今だ――勝機を感じ取ったリリィをは、所持していた魔石グレネードを投擲する。法術アビリティ:ストーム・ボム――風属性を付与された魔石グレネードは、炸裂することで強烈な突風を巻き起こす。この突風自体に相手へダメージを与える能力は持っていないものの、炸裂地点からは敵プレイヤーを弾き出すその性質が、今回は役に立つ。


「面倒くさい戦法を取りやがって!」


 思わず悪態をつくソレイユ。それもそうだろう。リリィの取った行動は、ただひたすらに魔石グレネードを投げるというものだった。ラウンド毎に資金マネーエナジーの供給は増加し、ラウンドが進む毎にプレイヤーはより強い装備を入手できる。リリィはこのラウンドにて資金マネーエナジーのほとんどを魔石グレネードの購入に充てた。そのせいでワンドの性能はほとんど強化できず、弾倉マガジンに装填できる輝石弾の数は少なく、照準器サイトの性能も低い。しかしそもそもワンドを使わないのであれば、ワンドを強化する必要もないだろう。


 ストーム・ボムによって吹き荒れる突風は、ソレイユとヨヒラの自由な移動を制限する。遮蔽から炙り出されるふたり。このストーム・ボムが一度だけなら、今いる遮蔽を追い出されて、別の遮蔽へ移動するなり後退するなりすればよかっただろう。しかしこう連打されるとソレイユもヨヒラもまともに移動できないはず。


 それがチャンスだった。リリィ自身はダメージを与えられずとも、こちらにはプレミアム・ランカーのジャスミンがいる。遮蔽から追い出されて身動きが取れなくなったソレイユとヨヒラをジャスミンは悠々と撃ち抜いた。ふたりとも先頭不能――やった、これで久しぶりの一勝だ!


「うまくいきました、ジャスミンさん!」


 ラウンド終了後、喜びのあまりジャスミンへ抱きついてしまう。それはジャスミンからは咎められていた行動だけど、ジャスミンも射撃訓練のときにリリィへぴったり身体を寄せてきたし、もう今さら何を気にすることもないだろう。


「まさか本当に上手くいくなんて――」


 ジャスミンは驚き半分、勝利の安堵が半分といった様子だ。


「わたしの作戦もなかなかでしょう?」

「まあ作戦と呼べるほどの作戦でもないけどね」

「う……それはそうですけど、勝ちは勝ちです!」


 リリィの提案した作戦は――何も考えないこと、だった。これまではジャスミンの提案に従った定石を実行してきたリリィ。定石では相手チームに勝てないが、その定石を崩すような戦法は初心者のリリィには難しい。定石を崩さずに崩す――そのためにリリィが考えたのは、今までプレミアム・ランカーのジャスミンが立案・先導していた作戦を、リリィが立案・主導するというものだった。リリィが主導するといっても、初心者のリリィに作戦立案能力なんてものが備わっているはずもない。故にリリィは無計画で敵に突っ込むしかなかった。ジャスミンが魔石グレネードを大量購入したのは、突風をひたすらに巻き起こして戦況を混沌とさせるためだった。定石も何もない滅茶苦茶な行動に出れば、相手チームはこちらの意図が分からずに混乱するはず。お互いに作戦も何もない状況に陥れば、プレミアム・ランカーとしての実力を持つジャスミンが一歩先を行って勝利するという算段だ。リリィ自身も無茶を感じていた作戦は、しかしどうしてか成功してしまった。


「案外よい作戦なのかも。定石に縛られて縮こまってしまうより、自由な発想で動いた方が失敗も含めて経験になるし」

「なら――」

「ええ、ここからはあなたの好きに動いてみて。作戦と呼べないような作戦だけど、それが敵の思考を惑わせる。あなたがどんな無茶な行動に出ても、遮蔽に隠れる意識さえあれば絶対に大丈夫。私が後ろで必ず援護するから、あなたは思うがままにこのゲームを楽しんで」


 軛から解き放たれた感覚。もう何にも縛られることはない。ただ自由に空を飛べば、その先に勝利と成長が待っている。


 何の迷いもなく、リリィが次のラウンドへの一歩を踏み出そうとしたそのときだった――


『ね、あれプレミアム・ランカーじゃない?』


 どこからともなく入った通信に、リリィはきょろきょろ周囲を見渡す。ソレイユでもヨヒラでもない何者かの声。しかし舞踏広間周辺には誰の気配も見当たらない。


「あいつ、観戦モードを切り忘れたわね」


 ジャスミンが苦々しく呟く。あいつ――というのはこの決闘デュエルを申し込んできたソレイユのことだろうか。


「これはちょっと面倒なことになるかも」


 リリィの心が晴れ渡っている一方で、ジャスミンの表情はこれから先に待ち受けているであろう何かへの不安に、微かな陰りを見せていた。

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