第32話 re:view change 第三者の言葉よりも
『ね、あれプレミアム・ランカーじゃない?』
誰かに俯瞰で見つめられていると、自分がひどく矮小な存在として扱われているような気分になってしまって――だからジャスミンは自分のプレーを観戦されることがあまり好きではなかった。
「あいつ、観戦モードを切り忘れたわね」
FHSには
「これはちょっと面倒なことになるかも」
減るものじゃない――とはよく言ったものだけれど、ことFHSにおいて観戦を許可するということは、無用に心を擦り減らす行為と呼べるかもしれない。FHSに限らずディープスペース全般に言えることだろう。プライベートな言動を不特定多数に公開することは、常に大きなリスクを背負う行為だ。
『やっぱりプレミアム・ランカーは違うよね』
『ドレスかっこよくない? 私もあんな人とパートナーになりたかったなぁ』
プレミアムレアドレスを着るランカーは少なからず他プレイヤーの視線を集める存在だ。それはどうやらジャスミン自身も例外ではないらしく、高い実力を持つプレミアム・ランカーの戦闘をひと目見ようと、次第に多くのギャラリーが集まってくる。
『ランカーが組んでる人、あれ初心者じゃない?』
『ほんとだ。
ラウンド中は観客音声はオフになるものの、ラウンド毎の準備時間には音声がオンになり、プレイヤーは自身のゲームを観戦する者たちの生の声を聞くことになる。
「余計な雑音は気にしないで。今は目の前の勝負に集中しましょう」
「はい」
ジャスミンの忠告へ、リリィは純朴に頷く。ジャスミンが何を憂慮しているのか気づきもしないリリィは、きょとんと不思議そうに首を傾げていた。世の汚れの一切を知らなそうな、あまりに無垢な表情――それがあの子を思い出させて、尚更ジャスミンの心を揺らがせる。
『第十四ラウンド、開始』
その電子音声と共に、ジャスミンは駆け出した。大事なのはあくまでリリィの後ろに付くこと。初心者であるリリィはまだ移動もたどたどしく、ジャスミンはリリィに合わせてゆっくり移動することになる。しかしジャスミンはそれで構わなかった。ジャスミンの定石ありきの作戦ではなく、初心者であるリリィの先を読むことのできない行動こそが勝機に繋がる――その方針を信じているのもあるが、ジャスミンが何よりも大切だと感じたのは、リリィが思うがままに行動するという点だ。初心者だからといって経験者の言うことに一から十まで従ってばかりでは窮屈だ。自分で考えて、行動して、そして失敗して――そこから学べることもある。
「さっきとは作戦を変えて、わたしがわーって撃つので、ジャスミンさんは後ろからしゅぱぱってお願いします!」
リリィの伝える作戦は、正直まるで作戦と呼べないような稚拙なものだった。リリィの言っていることが、ジャスミンにはほとんど理解できない。とにかくリリィが前に出る――最低限の意図だけを汲み取って、ジャスミンは舞踏広間に突入する。
リリィは前に出ながらも遮蔽に隠れることは忘れない――彼女はジャスミンが思ったよりもずっと飲み込みが速かった。基本をひとつずつ覚えていく――彼女はそんな意識を持って毎ラウンドに臨めている。
しかし挑戦には常に失敗がつきものだ。今回のリリィは積極性はあったものの、それが空回りしてしまった。リリィが前に出過ぎているかもしれない――ジャスミンがそう思ったときにはもう遅い。ソレイユとヨヒラはその隙を見逃さず、リリィの隠れる遮蔽に大量の
残るはジャスミンのみ。二対一でも突破できる――プレミアム・ランカーであるジャスミンの自信を、しかし相手チームは上回ってきた。リリィを倒すために
「――ごめん、負けた」
第十二ラウンド終了。ラウンドを取ったのは相手チーム。これでソレイユたちは計九勝。
「わたしの方こそごめんなさい! わたしが最初にやられなければ――」
「ううん、あなたはよくやってた。挑戦は必ず成長の糧になる。今回は私のフォローが至らなかっただけ」
こうやってお互いの非を認めあって、一歩ずつ成長していけばいい――そんなジャスミンの思惑は、しかし第三者によって邪魔されてしまう。
『やっぱり初心者の人が足を引っ張っちゃってるよね〜』
『あそこ前に出すぎでしょ』
ラウンドが終了することで観戦者たちの音声がオンになる。どこからともなく聞こえてくるのは、ジャスミンたちのプレーに対する評価だ。ゲームをプレイしている真っ最中のプレイヤーには気づけないことに対して、それを俯瞰から眺めている観客たちは「ここをこうすればよかったのに」「どうしてあれができないんだろう」といった意見を出してくるものだ。これは現実のスポーツでも変わらない。もちろん評価されるだけなら、その評価を新しい気づきとして受け容れることもできるだろう――問題は観客たちが無遠慮に投げかける言葉たちは必ずしも純粋な評価をするためのものに限らないということだ。
『ああやって初心者が経験者にキャリーしてもらうのってなんだかねぇ……』
『私もプレミアム・ランカーの友達がいたらああやって接待プレーしてもらいたいなぁ』
こういう相手の気持ちを慮らない言葉が出てくるから、ジャスミンは観戦モードが嫌いだった。
ジャスミンの胸中を暗い靄が包み込む。ジャスミンの場合はいい。プレミアム・ランカーになるまでこのFHSをやり込む中、ああいった言葉を吐かれることも沢山あった。それらひとつひとつに心を痛めていたらきりがないし、今はもうすっかり慣れて、どんな言葉にも心を揺るがせない自信がついたつもりだ。
「あなたは何も気にしないで。何ならラウンドが始まるまで耳も塞いじゃって。あんな言葉に耳を貸す必要はない」
しかしリリィは初心者だ。初心者の彼女に、このゲームの――ディープスペースの醜いところは見せたくない。ああいった言葉を投げかけられて嫌になってFHSを辞めてしまうような人も大勢いるらしい。リリィにはそうなってほしくなかった。彼女にはそういった世の汚れを知らず、ただまっすぐにこのゲームを楽しんでほしい。
「でもああいって教えてくれることって、わたしとってもためになります」
しかしリリィから返ってきた反応は意外なものだった。
「教えるっていうか、あの観客たちは上から目線で――」
「そうかもしれませんけど、わたしのことを見てくれて、わたしとは違う目線で何かを言ってくれるって、とってもありがたいことですから」
まるで聖人だ――曇りない瞳でまっすぐに語るリリィに、ジャスミンはただただ驚くことしかできない。悪意に鈍感なのではなく、悪意を悪意ではなく、自分とは違うひとつの考え方として受容する――先程までジャスミンの足を引っ張らないか不安がっていたリリィとは思えない。自分が足を引っ張ることは怖くても、見知らぬ他人に何かを言われることはまったく怖くない――彼女はどうにも不思議な思考を持っているようだった。
「他人に優しく、自分に厳しい――ね」
「わたしは優しくなんてないです。わたしはただジャスミンさんが言ってくれたことを信じたいだけですよ」
リリィの場合は他人に優しいというよりも他人の言葉に心が揺らがないと言ったほうが正しいのかもしれない。赤の他人はどこまで言っても赤の他人だ。そんな他人の言葉よりも、自分の信念や近くにいてくれる人の言葉を優先する――当たり前のようで誰もができないそれを、彼女はごく自然に実行している。
「ジャスミンさん、次こそ勝ちましょう」
次からマッチポイント。一敗でもすればその時点で相手チームの勝利――そんなプレッシャーを一切感じない、明るく元気なリリィの姿。
「……わかった」
マッチポイントという状況に重責を少なからず感じていたジャスミンだったものの、リリィのあどけない笑顔にどこか肩の力が抜けてしまう。敵わないな――プレミアム・ランカーのジャスミンはどうしてか初心者のリリィにそんな感情を抱いてしまった。知識も経験もずっと浅いはずなのに、リリィにはジャスミンが持ち得ない何かを持っている。
退屈が晴れていく。新しい未来が見えてくる。リリィの憧れている空がジャスミンにも見えるような――そんな気がした。
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