第22話 インターネットに騙されるな!
「ディープスペースに接続した?!」
思わず大きな声を上げてしまった莉都に、愛佳は「だ、だめだったかな……?」と遠慮がちに訊いてくる。
「駄目っていうことはないけど」
初めてディープスペースへ接続する際には、利用規約の承諾はもちろん、ディープスペースという場所が持つ性質とそこに潜む危険性をキチンと理解しておく必要があった。莉都を含めて普段ディープスペースを使い慣れている人にとっての常識を、初めてディープスペースを利用する人は全く知らない。コンピュータに疎い年配の人がディープスペースでトラブルを起こした――というような話は枚挙に
「りっちゃんがやってたみたいにインターフェース? っていうのを付けたら何かよく分からないまま、変なことになっちゃって……」
莉都は頭を抱えるしかない。セットアップが終わるまでは触らないように――それくらいのことは昨日きちんと説明しておくべきだった。
「酔ったりしなかった? 初めてインターフェースを装着するときは、付き添いの人がいないといざというとき大変だから」
「あ、たしかにちょっと酔っちゃったけど、親切な人が助けてくれたの」
「親切な人?」
「ディープスペースで会った人なんだけど――」
「ディープスペースで会った人?!」
莉都はまたもや声を大きくしてしまって、愛佳は「こ、これもだめだったかな……?」とさらに声をか細くする。
「駄目っていうことは――あるかも」
知らない人や遠く離れた人と直感的なコミュニケーションが取れるのはディープスペースの特徴であり利点の一つだ。しかしそのコミュニケーションには常に細心の注意を払わなければいけない。小さい子供がタブレットなどで知らない間に通話やゲームをしてしまうというのはよく聞く話だが、まさかそれが同い年の幼馴染で起きてしまうなんて……。
「優しい人だったけど……ディープスペースで知らない人と会うのってだめなことなの?」
「ディープスペースがどういうものなのか、その危険性も含めてキチンと理解できていれば構わないけれど、愛佳にはまだ難しいと思う」
「でもでも、あの人とってもいい人で――」
「そうやって愛佳のことを騙そうとしているのかも」
「そんな……」
「ディープスペースに――インターネットに接続するということはそういうこと。インターネットの向こう側には、誰かを騙したり傷つけたりしようとする人が大勢いる。そういった悪意を見抜いたり、情報の真偽を判断したりすることは、ディープスペース経験者でも難しいことなんだから」
やけにしょぼくれる愛佳。ちょっと厳しいことを言ってしまったかもしれないが、仕方ない。これまでずっとこのおとぎ話の屋敷で暮らしてきた清純無垢な女の子が、突然インターネットの海に放り出されたら、どう利用されるか分かったものではない。愛佳が俗世に溢れる悪意によって汚されることだけは避けなければいけなかった。
「何も知らない愛佳がディープスペースで危ないことをしちゃったのは、きちんと説明していなかった私の責任」
莉都はインターフェースを装着し、素早く対応策を実行する。愛佳がオンラインで接続してしまったのは、莉都がセットアップ時に使用したファイルが原因だった。ディープスペース用のコンピュータは多種多様な設定が存在し、ゼロから全ての準備を行うには膨大な時間が必要になる。そのため莉都は自身のコンピュータから設定ファイルをコピーし、それを愛佳のコンピュータに適用していた。これならばセットアップの手間は大きく減る。しかし莉都の設定ファイルには、オンライン接続用の設定だけでなく、自身がいつも遊んでいるゲームに関する設定などが保存されていた。これらを残したまま昨日は帰宅してしまったために、愛佳はディープスペースで知らない人と会話してしまった訳だ。
「愛佳はゲームを遊びたいって言ってたけど、一言にゲームといっても色々あって、シングルプレイで好き勝手に遊べるものもあれば、他の利用者とコミュニケーションを取りながら遊ぶマルチプレイもあるの。マルチプレイかつソーシャル性のあるものだと、ディープスペースにおけるコミュニケーションの難しさは常につき纏うかな」
「危ないゲームにはどういうものがあるの?」
「ジャンルにもよるけど、例えばFPSとかは治安が悪いイメージがあるかも」
「FPS?」
「銃で撃ち合うゲームのこと」
「ふ、ふ~ん」
愛佳の口調に僅かな違和感を覚えたものの、莉都はインターフェースを装着してセットアップ用の画面を操作するのに忙しく、彼女の表情を窺う余裕はない。
「私もFPSはよくやってるけど、碌なものじゃないわよ。愛佳がこれからディープスペースに慣れていっても、知らない人から暴言を吐きかけられるFPSだけは絶対にやらないほうがいい」
「そ、そうなんだ……」
というわけで、まずは莉都が持ち込んだ設定ファイルについて、ゲームに関連する設定を削除する。特にFHS――ファンタスティック・ヒロイン・シューターズの設定は最優先だった。莉都が普段遊んでいるゲームなので愛佳のコンピュータに適用した設定ファイルにもデータが含まれてしまっていたものの、もし愛佳が何かを間違えてFHSにログインしてしまったら大変なことになる。あの世界で知らない人に銃で撃たれたり、心無い人に暴言を吐かれたり――想像するだけで身の毛がよだつ。
不要な設定を削除した上で、莉都はチャイルドロックを設定することにした。本来は小学生以下の子供を守るためのフィルタリング機能だが、愛佳を危険から遠ざけるためにはこれが最適だろう。莉都は愛佳の保護者ではないのでロックに強制権を持たせることはできないし、その気になれば当人による手動解除も可能だが、現状の愛佳の知識では解除のための操作をすることはまず不可能なはずだ。
「何事も順序が大事。今日はセットアップが終わったら、簡単なゲームをちょっとやってみましょう。愛佳はディープスペース初心者だから、最初はシングルプレイのゲームとかをやるのがいいと思う。ディープスペース酔いしないコツも含めて、ひとつひとつ丁寧に教えてあげるから」
愛佳は「ありがとう」と返してくれたものの、その表情はどうにも寂しげだった。私は何かを間違えてしまったのだろうか――そんな予感を、首を小さく横に振って払いのける。
愛佳は私が守る――これ以上に大切な使命なんて、この世に無いんだから。
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