第29話 自分自身との戦い

 あの日焦がれた空は、すぐ目の前に在るはずなのに、いくら手を伸ばしても届かなくて――空は届かないからこそ空なのだと知る。


 ソレイユの悔しげな表情を見届けてから、リリィは次ラウンドのため開始位置に戻る。リリィとジャスミンはこれで三連勝――十ラウンドの先取で勝利となるデュエル・ルールにおいて、間違いなく幸先の良いスタートと呼べるはず。それなのにリリィの心は分厚い雲に覆われ、その先で輝いているであろう空はまるで見通せない。


 これまでの三連勝はすべてジャスミンのスタンドプレーによるものだった。ジャスミンが先走っているわけではない。リリィがあまりに早く戦闘不能になるので、結果としてジャスミンが独りで戦わなくてはいけなくなっているだけだ。リリィが何も出来ずに一方的にやられるのも、もう三連続。焦れば焦るほどリリィの動きは冷静さを欠き、より深みに嵌っていく。


「どうしたの?」


 暗い気持ちが表情に出てしまっていたのか、隣を歩くジャスミンに顔を覗き込まれた。


「いえ、別に――次も勝ちましょうね!」


 胸の前に両腕を置いてガッツポーズ。でも握った拳はぷるぷると震えていて――リリィは心の内を隠し通せないことを悟る。


「えっと、その……わたし、全然活躍できてないですよね。ごめんなさい」


 弱音を吐くと、ジャスミンは意外そうに目を丸くした。


「勝ってるのに反省するなんて――真面目ね」

「ま、真面目なんかじゃないですっ。わたし、反動制御リコイル・コントロールとか教わったこと何一つできてないですし。すぐやられちゃってますし」

「真面目なのはいいことだよ。反省すればするだけ強くなれるから」


 強くなれる――ジャスミンの言葉に甘えたくなってしまう。わたしにも出来るって――そんな希望を抱きたくなってしまう。


「すぐ戦闘不能になるのが気になるなら、遮蔽に隠れることを意識したほうがいいかな。遮蔽として配置されている柱やテーブルの位置を考えて、遮蔽から遮蔽へと移動する――あなたの場合は反動制御リコイル・コントロールよりもまずそれを意識したほうがいいかも」


 そういえば反動制御リコイル・コントロールに気を取られすぎて、遮蔽に隠れることをすっかり忘れていたかもしれない。思い出せば初戦からずっと敵プレイヤーを見つけたら撃つことばかりを考えていた。遮蔽に隠れなければあっという間に蜂の巣にされてしまうことはジャスミンとの射撃訓練で経験済み。撃つ前に隠れる――まずはこれだけ意識しよう。


 第四ラウンドの開始地点に移動し、資金マネーエナジーで装備を整える。今度こそ――そんな覚悟を胸に、ラウンド開始。ジャスミンの背中を追いかけて移動――ここまでは今までどおり。意識するのはここからだ。ジャスミンが舞踏広場の扉を開け放つ。ジャスミンが左、リリィが右に、それぞれ散開。会敵はすぐだった。リリィは視線の先にヨヒラの姿を捉える。


 撃ちたい。勝ちたい。ジャスミンさんの足手まといになりたくない――そんな気持ちをぐっと堪えて、すぐ傍の柱に隠れた。それでもヨヒラからの射撃を数発貰ってしまい、かすり傷ながらドレスにダメージを負ってしまう。すぐ隠れてもこのダメージなら、あのまま撃とうとしていたらまたもや即座に戦闘不能となっていただろう。


 柱の陰に暫し隠れて、ヨヒラが放つ自動式フルオートの輝石弾をやり過ごす。射撃が止んだところで――今だ! リリィは柱から身を乗り出し、ワンド照準器サイトを覗き込む。十字線レティクルの先には、テーブルに身を隠すヨヒラの姿。勇気を出して引鉄トリガーを絞ると、輝石弾の発射と同時に反動リコイルがリリィを襲った。


 先程の訓練ではある程度できていた反動制御リコイル・コントロールが、まるでなっていない。輝石弾はヨヒラが隠れるテーブルの周囲へ散らばってしまう。そもそもヨヒラもテーブルという遮蔽を使っている以上、輝石弾は全く命中しなかった。


 それでも構わない――リリィの脳裏に思い浮かぶのは、昨日はじめてのFHSでジャスミンが口にしていた言葉。


『たとえ当たらなくても相手に向かって撃つことで、相手の行動を牽制できるの――撃たれたら、誰だって驚くし、緊張する。あなたの射撃も、あなたが知らない間に相手を緊張させているの。それだけで今までのあなたの射撃には価値がある』


 点と点が線で繋がる感覚だった。リリィの輝石弾はヨヒラに命中していない。しかしリリィが撃つことによってヨヒラはテーブルという遮蔽に隠れざるを得なくなっていた。リリィが戦闘不能にならずこうやって牽制していることで、ジャスミンはソレイユと一対一で戦うことができる。そしてプレミアム・ランカーであるジャスミンなら、一対一で敗北することは絶対にない――!


 リリィがヨヒラを釘付けにしている間、リリィの期待どおりにジャスミンはソレイユを撃破した。そしてそのままヨヒラを狙う。ヨヒラの隠れるテーブルはリリィの位置からは射線が通らないものの、回り込むように移動したジャスミンの位置からは全く身を隠せていない。仮に位置を変えてジャスミンからの射線を切っても、そうなると今度はリリィからの射線が通ってしまうだろう。ジャスミンとリリィの連携によって、ヨヒラは完全な詰みを迎えた。


「やった……!」


 ジャスミンの正確な射撃がヨヒラを撃ち抜いた後、リリィは心からのガッツポーズを決める。チームとしては四連勝。しかしリリィはこのラウンドでようやく生き残ったまま勝利を迎えることができた。ダメージは与えられていないものの、間違いなく勝利に貢献できた手応えがある。


「さっきよりずっと良くなってる。その調子」


 穏やかな笑みを浮かべるジャスミン。素直な褒め言葉に、リリィは胸の奥がじんわりと温かくなる。


 空は遠い。時には雲が掛かってその向こうが見えなくなってしまうこともある。それでも踏み出した一歩は決して無駄じゃない。階段を一歩登るだけで、ほんの僅かでも空は近づく。焦らずに一歩ずつ登っていけばいい。憧れの空は毎日一歩ずつ階段を登っていった先にしかない。


 決闘デュエルだなんて語調に気圧されていたけれど、別に誰かと喧嘩したことがなくたって、このゲームは十分に楽しめる。これは目の前に居る対戦相手との戦いではない。自分に何が足りないのかをひとつずつ分析していって、それを改善していく――つまり自分自身との戦い。それならリリィも知っている。白百合愛佳として身体が弱って上手く動けないとき、息が詰まって苦しいとき、愛佳はずっと自分自身と戦ってきた。


 胸を焦がしてた焦燥はいつの間にか消え去っていた。代わりにジャスミンが与えてくれた柔らかい温かさと、自分自身と向き合い乗り越えていくための研ぎ澄まされた冷たさが、リリィを力強く支えてくれていた。

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