第163話 領地を襲う刺客

 住民たちの安全確保に奔走し、自身も鎧に着替えたマルクスはだんだんと近づいてくるその地鳴りを領地の城で迎え撃つことに決めた。


 ……『迎え撃つ』、まるで敵に使うような言葉だったが……マルクスの妻の推測はその地鳴りの正体が【意思を持つモノ】だということだった。


「地鳴りの位置と大きさから移動経路を割り出すと、仮に地鳴りの正体を【対象A】とするが、対象Aは谷などの地形を迂回しつつ、それでもこの城を目指して移動していることが分かる。充分に警戒せよっ!」


 妻の言葉を借りて、配下の者たちに下知をする。接敵までの時間はまだありそうだ。兵たちの配置は万全。城の直属の近衛兵たちのレベルは20の水準まで鍛え上げており、領地軍のレベル平均も15と王国平均を考えれば申し分ないものだ。


 ……しかし、それでも嫌な予感は拭えない。


「カティア、お前も逃げておけ。対象Aの狙いは城なのだろう?」


 隣に控える妻に言っておく。マルクス自身も決して戦えるというレベルではないが、しかし領主。領地の危機に背中を見せるわけにはいかない。ただ、妻は別だ。


「もしかすれば……これだけ万全を期してなお、振り払えぬほどの強大なモンスターの可能性がある。危険だ」

「はぁ……何を仰るのやら。あなたの頭だけでは柔軟な作戦立案や指揮はできないでしょう? 私が居てこそのあなたではありませんか」

「ぐっ……」


 妻のカティアのやれやれといった口調にマルクスは言葉を飲みこむしかない。内政や領地運営の手腕こそ長らく勉強をして知識を詰め込んだマルクスの方が上手ではあるが、しかしその場その場における頭の回転の速さなどはカティアに軍配が上がる。


「それでもなぁ……」

「ホラ、シャキッとなさい。配下の者たちに情けない姿を見せる気ですか?」

「う、うむ……」


 威厳でもカティアの方が上だった。


 ……気を取り直そう。


「接敵を見逃すなよ! 地鳴りの方角は変わらずだ! 交替で一瞬たりとも目を離すのではないぞ!」

「それと、違和感があれば、それがどんなに小さなことであってもすぐにマルクス様へと報せるように」


 マルクスとカティアの言葉に、配下の兵士たち敬礼をして駆けていく。




 ──そこから1時間が経過する。深夜の帳はまだ深いまま。日が顔を見せるまではまだ時間がある。そんな時だった。




「あなた、アレ……あの山、おかしくないかしら……?」


 最初に気づいたのはカティアだった。地鳴りの方向、その先にある大きな山の麓を指さしていた。


「あの山の陰になるような場所に、もうひとつ山なんて無かったわよね……?」

「あ、ああ……言われてみれば、確かに……」


 見知らぬ山だった。夜闇に紛れてその全貌は分からないが、一見すればただの山。しかし、


「少しずつ動いているのか……!?」


 地鳴りはおよそ1分に1回起こっていた。そしてその間隔でその山は数百メートルその位置をズラしている。それが、山の【一歩】なのだ。


「──全地域の領民の避難を開始せよッ!」


 マルクスはすぐさま命令を放った。


「避難開始から30分後、対象Aへの攻撃を開始し侵攻を遅らせろ。うかつに近づかず火矢で牽制しろと伝えろ! それと調査に飛んでいる魔術兵隊長たちを至急、作戦立案室まで連れて来い。対象Aへの対応策を考え直すぞ!」


 マルクス、カティアは作戦立案室に戻り、他の領地軍幹部たちと情報のすり合わせ、対応策を対象Aの撃滅から遅滞戦闘へと転換した。しかし、


「対象A、止まりません!」


「攻撃がまるで通りません! 全身が岩に覆われており、火矢や攻撃魔術も効果無し!」


「依然として城へ向かって侵攻中!」


 どのような策も通じない。次第に白け始める空の薄明かりに照らされて、対象Aのその全容があらわになる。


 ──それはとても巨大な亀のような、四足歩行のナニカだった。


「モンスター……なのかっ?」


 マルクスたちは全員、唖然とする他なかった。山と見間違うほどのその巨体が足を上げて、大きな一歩を踏みしめる。その度に大地が悲鳴のような地鳴りを響かせた。


 ……これをいったい、どう倒せというのだ……?


 およそ、人間が勝てるとは思えない。その場の誰もがただそう思った。


「マ、マルクス様っ! 避難をっ!」


 近衛の声に我に返る。住民の避難は終えた。であれば、次は自分たちの番なのだ。


「よ、よしっ……! 馬はっ!?」

「用意しております!」

「ならば全員退避開始! 城を捨てるぞ!」


 どうすれば勝てるとか、対象Aがどこから発生して何が目的だとか、それらは全て後回し。全ては安全を確保してから考えればいい。城を出て、対象Aの侵攻方向から見て左。南に向けて馬を駆る。しかし──


 ──マルクスたちを目掛け、対象Aの背中から大岩が射出された。


「なっ……!?」


 一個中隊をまるまる潰せてしまいそうなほどのその大岩が、狙い澄ましたかのうようにマルクスたち目掛けて降り注ぐ。


「ヤツめ、こちらを狙って……!?」


 ギリギリで進路を変えて岩をかわすが、安堵などできなかった。


 ──対象Aが、突如として進路をマルクスたちへと変えたのである。


「狙いは……俺かっ!」


「マルクス様っ!?」


 マルクスは試しにひとりで馬を走らせる方向を変えてみる。部下が驚き制止の声を投げてくるが、構わない。するとやはり、大岩はマルクス目掛けて落ちてくる。


「ハッ!」


 マルクスは馬を的確に駆って空からのその攻撃をかわした。剣術はからっきしだったが、馬術にはそれなりの自身がある。


 ……俺が囮になることで、犠牲が減るのであれば……!


「者どもっ、全員先にいけっ! カティアを頼んだぞッ!」


「いけません、マルクス様! お戻りをッ!!!」


 部下たちの叫びは、しかし連続で落ちてくる大岩の音にかき消される。


「いけっ、我が愛馬よっ! 横だっ!」


 自らの進路を塞ぐように放たれる大岩をかわし続けて、馬を走らせる。


「はぁっ、はぁっ……!」


 右へ左へ、ジグザグに移動し、時には大きくUターン。とにかく岩をかわし続けていたマルクスだったが──しかし。


 馬を止める。いや、止めざるを得ない。


「っ……行き止まり、かっ……!」


 大岩は、いつの間にかマルクスたちを囲う壁のように地面に突き立っていた。


 ──ズズゥンっ、と。山のようなそのモンスターが起こす、地鳴りのごとき足音が迫ってくる。


「ここまで、か」


 ……なんとも、情けない結末ではないか。


 マルクスは自嘲気味に笑った。これまで重ねてきた努力、それを形にすることもなくこんな場所で死んでしまうとは。ただ、後の王国にそれほどの憂いは無い。


「我が妹、レイアよ。後のことはお前に任せよう……」


 玉座の間にて久々に再会して、3年。レイアの目覚ましい活躍を耳にし、この前の対話で実際目の当たりに模した。子供の頃、母の後ろに隠れてばかりいた頃の弱々しい面影はもう無い。


 ……レイアであればきっと俺が死のうとも、必ずやこの王国をより良くしてくれる。御父上殿の期待に応えてくれる。


 特別に巨大な岩が、マルクスの頭めがけて降ってくる。


 逃げ場はもう、どこにも無い。


「サラバ……俺をここまで導いてくれた、全ての──」




『──雷神の槌エル・ミョルニル。モデル、城崩しの矢バリスタ




 突然、光が奔ったかと思うと、マルクスの辞世の句はさえぎられる。マルクスのその頭上の大岩が粉々に砕け散ったのだ。


「……へっ?」


「ご無事ですか、マルクス様」


「なっ……ど、どうして貴様がここに……!」


 マルクスの隣に現れたのは──グスタフ。そしてその部下であるスペラ。


 ……援軍、か?


 そうは思ったものの、王城からこの領地までは距離があり、モンスター急襲の報せが行くまでにはもっと時間がかかるはずだった。


「その説明は後で。とにかく……マルクス様、私がアイツの足止めをしている間に、あなたは逃げてください。今ここで生を諦めてもらうわけにはいきません。レイア姫のためにも」


「き、救援してもらい感謝する……だが、ヤツは俺ひとりを狙っているようだ。このまま俺が逃げようとも、その逃げた先でまた被害が出るだけだろう……」


「なるほど……なら仕方ない」


 グスタフは槍を構える。メカニックな槍だ。その中央のフラスコのような箇所に、バチバチと紫電が渦巻いていた。


「これ以上被害を広げるわけにはいきませんからね。ヤツ──四神【玄武】はここで私が倒します」


「た、倒せるのか……!?」


「さあ? 弱点とか分かりませんし……」


「さ、『さあ』って、そんないい加減な……」


「でも、どうにかしてみせますよ。それじゃあ──スペラ、マルクス様のことは頼んだぞっ!」


 グスタフはそう言い残すと、力強く大地を蹴り、山のごときモンスターの懐へ目掛けて単身跳び込んでいった。

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