第162話 追憶・その期待に応えるためにマルクスは

 ──王太子マルクス。彼が13歳の誕生日を迎えたその日、特別な催しは何も無い。


 朝は教養を身につけるため厳しい家庭教師を隣に机に向かい、午後は剣の稽古やピアノ、ダンスのレッスン。夜は翌日の勉強の予習をするために読書をする──そんな忙しい毎日の、連続した1日に過ぎなかった。


「御父上殿は……俺のことをどうお思いなのだろうか」


 午後、近衛騎士との模擬戦に完敗して起き上がれなくなっていたマルクスは、天を仰ぎながらボソリと呟く。


「もう、しばらくお顔を見ることもできていない。母上は目の見えぬ哀れな幼きレイアに付きっきりだ。なあ、モーガン。俺は、何のためにこんな日々を送っているのだろう……」

「マルクス様……それはマルクス様が将来ご立派なお世継ぎへと成長し、陛下──御父上様の残すこの王国をより素晴らしいものへと導くためでございましょう」

「でも、御父上殿は……俺に期待をしてくれているのだろうか。大した頭も持たず、近衛のひとりにも満足に勝てぬこの俺に」

「何を仰いますか。我が子に期待を懸けぬ親はおりません。陛下は日々マルクス様の成長のご様子をお気にかけられております」

「ハッ、噓を言うな」


 モーガンの言葉を、しかしマルクスは鼻で笑った。


「御父上殿は今は対帝国の外交戦略の策定に忙しいはず。俺のことなんて頭に無いに決まってる」

「マルクス様……」

「失せろ、モーガン。剣で俺が負けるたび、いちいち慰めに来てもらう必要はない」


 マルクスはモーガンに背中を向けると、城内を早足で自室へと向かう。つい、舌打ちが出る。それは父に対し手でもモーガンに対してでもない……他ならぬ自分自身の不甲斐なさに対して。


 ……なんとも、情けない。時折気を遣ってか俺の元へと通ってくれるモーガンに対しても当たり散らすような接し方しかできないとは。


「俺は……王の器なんかじゃない。勉学も並み、剣は並み以下、俺に何がある? 俺に王を継ぐだけのどんな資質がある……?」


 こうして1度悩み始めてしまうと、出口の無い迷路に迷い込んだように、膝を屈しそうになってしまう。


 ……こんな時は、無理やりにでも気分を変えねば。


「よしっ……」


 マルクスは自室まで帰ってくると、待機していた使用人に「飯は要らない」と伝えて部屋を追い出し、服を着替えた。それは城下町の一般人が着るような、簡素なシャツだ。小銭の入った布袋を掴み、それから、


「誰も見てはいないな……?」


 窓の外を見渡して衛兵の姿が無いことを確認すると、木組みのベッドのマットレスと骨組みの間に隠されていた【布を繋いで作ったロープ】を取り出して、窓から垂らした。それに身軽に掴まって王城の裏庭へと降り立つ。


「ふむ……この方法は初めてだったが、もうやめた方が良いな。ひどく疲れるし……帰りまでに巡回の衛兵にロープが見つかりそうだ」


 見つかったらモーガンたちにたいそう叱られるだろうということは予測できた。なにせ、もうこれまですでに何回か他の方法で抜け出したのがバレて怒られているからだ。


 ……仕方ないだろう? 王族の義務としての教育は相当に厳しいものなのだ。きっと今は人形のように大人しいレイアだって、この教育を受け始めたら家出の1度や2度くらい画策することだろう。


「さて、行くか」


 いまから叱られた時のことを考えたってしょうがない。それよりも目先の気分転換が第一だ。マルクスは裏庭に密かにこさえた場外への出入り口を抜け、最近よく遊びに行く【隠れ家】に向けて歩き出した。




 * * *



 城下町の小高い丘の上、そこにマルクスが隠れ家として利用している一軒の邸宅はあった。マルクスのモノというわけではなかったが、それでも懇意にしている貴族の子息に与えられた別宅で、マルクスも我が家のように使っていいと言ってもらっている場所だ。


 ……さて、誰か来ているかな……?


 だいたいいつも馴染みの面子メンツが2人か3人入り浸っている。貴族家の次男や三男など、世情を学ぶためにという名目で城下町へと外遊に来ている連中だ。邸宅内にはビリヤードやらカード、あまりバレたらよろしくは無いが酒もある。みんな、日々積み重なる鬱憤をここで楽しく騒ぎ遊んで発散させているようだ。


「おーい、誰か来ているかー?」


 マルクスがドアを開け中に入れば、しかしそこにはいつもの面子がいない。その代わり──


「これはマルクス様、久しくお目にかかります」


 とても紳士然とした、マルクスより3、4歳は年上の青年がそこには立っていた。


 ……久しく? その言葉に、マルクスは記憶をさらう。


「ああ、確か貴殿は……メーゼン伯爵の御子息のウィールス殿だったか」

「おおっ、覚えていてくださるとは……無上の喜びです」

「おいおい、おおやけもへったくれも無いこんなところで膝を着こうとしないでくれ」


 うやうやしく頭を下げようとしたウィールスを、マルクスは止める。


「それにしても何故貴殿がここに? 誰かの紹介かな?」

「ええ。バルチェット領主殿の御次男のカモディス殿から、こちらの邸宅の話をお聞きしましてね」

「ああ、カモディスからか。アイツは口が軽いからなぁ……」


 思わずため息が出る。この邸宅はマルクスにとって砂漠に唯一存在するオアシスのようなものなのだ。おいそれと他人に教えてほしくはなかったのだが……


「ご安心を、マルクス様。私はあなた様の味方ですよ。決して告げ口などは」

「ん? ああいや、別に疑っての発言では無いのだ。気を悪くしたらすまない」


 こちらの思いを見透かしたようなウィールスの言葉にギクリとするが、そこはなんとか表情に出さずに押し殺した……と思う。マルクスは努めて笑顔で手を差し出した。


「では、ウィールス殿もこれからは偉大なる共犯者だ。よろしく頼む」

「こちらこそよろしくお願い申し上げます。マルクス様の共犯者になれる日が来ようとは……嬉しいことこの上ありません」

「ハハッ、変なヤツだな、ウィールス殿は」


 こうして、マルクスとウィールスとの交流が始まった。ふたりの気は驚くほど合った。ウィールスはとても教養があり、いっしょに居てまるで苦ではない。女性の方面にも手練れなその青年の話はマルクスにとってとても刺激的だった。


 ……俺のことを真に理解してくれるのは、ウィールスくらいのものだ。


 出会って数カ月で、いつしかマルクスはウィールスのことを実の兄のように慕うようになっていった。




 ──それが全ての間違いだったと、数年後のマルクスは思い至ることになる。




 マルクスが14の夏、その事件は起こった。ウィールスとマルクスが出入りしていたその邸宅から、城下町で目下問題になっている違法薬物が大量に見つかったのだ。その邸宅へと城下町の守護たちによる家宅捜索が入ったとき、そこには【運悪く】マルクスと数人の他の貴族家の次男たち、そして次男らが連れてきた薬物を服薬したと思しき女性数人が訪れていた。


「──違う、違うんだッ! 信じてくれッ! 誓って俺は薬物を使ってないし、女性に対して使ったこともないッ!」


 必死に弁解を続けながらも、マルクスは守護に捕えられかけたとき『終わった』と思っていた。


 ……薬物に手を染めたのが事実かどうかなど関係はない。【薬物がある場所に】、【王太子マルクスが居た】。それだけでウワサが燃え上がり尾ひれがついて、民衆たちが【王族】に対して怒りを向けるのは間違いないからだ。


 だが、それが表沙汰になることはなかった。偶然に城下町の守護に顔の利くメーゼン伯爵──つまり、ウィールスの父が情報の漏洩を未然にストップしてくれたのだ。


 しかし、マルクスへお咎め無しという訳にはいかなかった。


「我が息子、マルクスよ。ここ1年の稽古の欠席、無断外出および今回の件……度重なるお前の王族の責務をおろそかにする行為を、世間が見逃してもこの私だけは見過ごすことはできぬ」


 後日、玉座の間で。王は落ち着いた声で、しかし決然とした表情をマルクスへと向けた。


「この王城から出ていくのだ、マルクス。外に出て、己の小ささをその身に叩き込んでくるといい」

「……」


 ──それは、追放宣言と同然だった。


 マルクスは何の反論のしようもなかった。教育が辛く、自分が王の器足るかを悩み、その挙句として行きついたのがサボタージュと……父の顔に泥を塗るような結末。マルクスは、ただただ自分が情けなかった。


「……陛下の、お命じになるままに」


 そう言って、マルクスは死人のように玉座の間を後にした。


 マルクスが王にあてがわれた領地は、以前に悪徳貴族から王家が取り上げた領地であり、治める領主が長らく不在だった場所だ。広く、住民の数が多いだけが取り柄のそこは……落ちぶれた者が余生を過ごすに相応しい場所だと、マルクスは自虐的にそう思った。


「マルクス様……いってらっしゃいませ」


 見送りに来たのはモーガンひとりだった。


「モーガン……」


 言葉もない。幼き頃からこれまでずっと面倒を見て来てくれた、育ての親同然のモーガンに対して、どんな顔を向ければいいのか分からなかった。


「……マルクス様、これを」

「なんだ……?」


 モーガンが手渡してきたのは、古い王家の紋章の入った短剣だった。


「陛下からです。そちらを餞別せんべつに、と」

「……そうか」


 短剣を持ち、マルクスは新たな自身の領地へと赴くこととなった。


「……」


 ──そして数カ月。マルクスは領地の古い城の一室で引きこもるばかりだった。布団をかぶり、父から貰ったその短剣を見つめてばかりの毎日だ。


「……御父上殿は、これで俺に自害せよとでも言いたかったのだろうか……」


 グルグルと回る取り留めのない思考の中、マルクスが行きつくのはいつも悪い結論ばかりだった。


 ……王家の男子らしく、自身を切り裂いて身を清めろと、そういうことだろうか。


 鞘から刃を抜く。それはとても立派な短剣だった。無駄なあしらいの無い、かといって自害をするためではない、つばの付いた──戦うための剣だった。


「戦う……? そうか……!」


 マルクスは、そこまで思い至って──己の愚かさを嘆いた。


「なぜ御父上殿は俺に領地をあてがった……? なぜ、『外に出て、己の小ささをその身に叩き込んでくるといい』などと言ったのだ……? 全て追放のためか……? いや、違うっ! ぜんぜん違うッ!」


 ……俺に失望したのなら、そんな回りくどい真似をしなくてもよいはずだ。


「戦え、と言っているんだ……! この状況に挫けるな、と。困難を打破するための剣を握れ、と! 王族の責務を果たすため、そして何よりも自らのために立ち上がれと、御父上殿であればきっとそう仰る……!」


 マルクスは、再び立ち上がった。そうして、学んだ。今まで以上に血反吐を吐きながら学びに明け暮れた。


 ──1日に眠る時間は3時間と決めた。


 ──それ以外の時間を全て一般教養と領地経営、そして政治の学びに費やした。


 ──剣技は上達の見込みが無かったので、ひと息に諦めることにした。


 ──その代わり、剣技を学ぶための分のリソースをすべて帝王学を身につけるための時間に変えた。




 そして、数年後。新領主としての体面ができあがり、領地の運営も軌道に乗り始めた頃、マルクスは城下町随一と謳われる毒婦を囲うようになった。それはあちこちの貴族を骨抜きにし、破産寸前まで貢がせることもあるという人気No1の娼婦だった。


「──知ってるか? 町では俺はとんだ放蕩息子として名を馳せているらしい」

「ええ、もちろん存じておりますわ。大層お人が悪く、あちこちで女を口説いては色に狂わせてばかりいるのだとか……もしかして私も狂わされてしまうのでしょうか?」

「いや? 賢い貴様には……教えを乞いたい」

「……は?」


 マルクスは、その娼婦に対して深く頭を垂れた。王族としての、個人としてのくだらないプライドなど、すでに地に捨てていた。


「その男心を操る術を知りたい。人心を掌握し、内政を意のままに操り、俺はいずれ……この国の王となる。全てを掌握する力を、この国をより良い高みへ導く力の一途として……どうか俺に授けてはくれまいか」

「……変なお方。娼婦に教えを乞う王族など、聞いたことがございませんわ」


 たいそう可笑しそうに笑いながら、彼女はマルクスへと教えを授けた。理由を知らない連中からは『マルクス王太子がまた女を引っ張ってきている』と後ろ指を指されたものの……元々女好きのウワサを流しておいたため、大した騒ぎにはならなかった。


 ──毒婦からの学びは大きく生かされて、マルクスは貴族派閥の中心に据え置かれることになった。現王派閥へと対抗するための大義名分としての【愚鈍な神輿みこし】として担がれることに成功したのだ。


 余談だが、教えを授かる過程でふたりは惹かれ合うこととなり……さらにその数年後、正式な夫婦になることとなる。




 ──さて、妻を得て、領地の経営が上手く回り出す頃になると……いろいろと達観をする。




 ……実を言えば、邸宅の薬物の1件については、ウィールスにハメられたということは早い段階で調べがついていたのだ。しかし、そんなことはもはやどうでもよかった。


 過去に自身が利用されたことも、マルクスのことを利用したメーゼン領主の親子共々も、それを公にしないというカードを得たことで王家に対して貸しをひとつ作り、なおかつマルクスを自陣営に引っ張ってこれたと勘違いしている貴族派閥たちも、すべてが等しく、内政を潤滑に回すためのマルクスの駒だった。


「俺は……報いる。こんな出来損ないの俺を守ってくれたこの王国に……そして、御父上殿に」


 かつてこの領地に赴くにあたって王から授かった短剣を腰に差して、王都──城下町へと向かう。王城に忍ばせている貴族派閥のスパイによれば、近々レイアへの王位継承が行われるとのこと。


 ……いやいや、待ってほしい。俺は立派とは言い難い道を歩んで参りましたが、しかしそれでも確かに成長しておりますよ、御父上殿。


「──王位は、この俺が継ぐ。そしてこの国をより良いものに変えてみせるっ!」


 その意気込みをもってして、マルクスは10年近く振りとなる玉座の間へと足を踏み入れた──。


 ……。


 ……。


 ……。




 * * *




 ……。


 ……。


 ……。


「……夢、か」


 マルクスは領地にそびえる城の自室で目を醒ました。まだ深夜だ。隣には妻。健やかな寝息を立てている。最近はとてもよく眠れるようになっていたのだが……なぜだか今日は嫌な予感がした。


「昔の夢を見たからか……? いや、違う。こんなのはしょっちゅうだったはずだ……」


 なんとなしにベッドから起き上がり、自室の窓から外を見渡した。特別、なんの変哲もない暗闇がそこにあるだけだったが、しかし。


 ──ズズゥン……! と、体の内側に響くような地鳴りが起こる。


「これ、は……!?」


 地震ではない。しかし、それは一定のリズムで起こった。窓からは変わらず何も見えないまま、地鳴りだけが微かに体を震わせている。


「何かが、起こっているのに間違いはない……! おいっ! 衛士の者はいるかッ!? 城の者を全員叩き起こして臨戦態勢を取れ! それから町へと馬を飛ばして、住民たちを訓練通りの避難経路へと立たせておけッ!」


 マルクスの判断は速かった。城中が昼を迎えたかのように慌ただしく活動し始める。そのさなかにも地鳴りは響き続けた。それはどこか、こちらに近づいてくるように少しずつ大きくなっているようだった。




======================


ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回はキリがいいところまで一気に載せてしまおうと2話を合体させたため、文字数がかなり多めになっております、失礼しました!


次回の更新日は来週の火曜日になります!

今週の金曜日はすみませんがお休みです。


引き続きお楽しみいただければ幸いです。


それではっ!

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