第131話 中階層 決着

〔ッ──〕


 俺のフルチャージの『雷影』に背中の中心を貫かれたジンは悲鳴も上げることなく、地面へと倒れ伏した。


「おわ……った」


 体に大穴を空けて微動だにしないジンを確認すると、足元がフラつく。呼吸をするのも惜しいとばかりに動き続けていたからか、その反動がきているようだった。

 

 ……いや、違う。


「はぁっ、はぁっ……!」


 逆流しそうになる胃液を、喉元で堪える。

 

「うっ……ゲホッ!」


 ……初めて、人を殺した。


 その事実に、いまさらながら体が小さく震えていた。

 

「なんだ、これ……」


 殺すしかなかったということは分かっている。この世界では何度か人の死体も見たし、殺害ということなら魔族やモンスター相手に行っていた。日本にいた頃よりも死には慣れているはずだった。だから覚悟さえ決めれば、相手が同情無用の極悪人であるならば、魔族相手のように殺せると思っていた。

 

 ……事実、殺せた。躊躇せずに殺すことができた。目的を果たせたんだから、安堵してもいいくらいなのに。

 

 まるで体の一部が突然に見慣れぬ異形になってしまったかのような、そんな気分。

 

「……なんで、こんなに恐ろしい気持ちになるんだ」

「──変わってしまったからだ」


 ──突如死角から現れたソレに、俺はまったく反応ができなかった。


 ギシッ、ミチッ! と、大きな右拳がめり込んだ俺の腹がきしんだ音を立てる。


「がふッ⁉」


 俺は比喩でなく、数十メートル飛んだ。地面を派手に転がる。すぐに起き上がろうとして、


「ゴポッ!」


 口から大量の血が吐き出される。ビチャビチャと音を立てて、床が真っ赤に染まった。

 

 ……なんだ、これ。

 

 ヒュー、ヒュー、と呼吸がおかしい。

 

 ……なん、なんだ? 人って、口からこんなに血を出せたっけ……?

 

「いい音だったなぁ。肺でも潰れたか?」

 

 ズキンズキンと痛む胸部を押さえながら、声の聞こえる方向に顔を上げた。


「誰だ、お前……」

「オレだよ。ジンだ。獣の方の顔に見慣れていたか?」


 獣の戦士であるジンと名乗ったソイツは、明らかに体のバランスがおかしくなっていた。頭や胴体は普通の人間なのに、右腕から拳にかけてが異常に大きい。そして両足がオオカミのような形状であり、大腿部は象のもののように太かった。まるで人間のフィギュアに巨獣の腕や脚のパーツを部分付け替えしたみたいにチグハグだ。


「正直、ここまで追い詰められるとは思ってなかったな。だが、こうして右腕と下半身だけに全ての獣の筋肉を回せば、オレは今まで以上のスピードを得られた上でまだ戦える」

「……死んだ、ハズじゃ」

「残念だったな。奥の手を用意していたのはお前だけじゃなかったということだ、グスタフ」


 グググ、と。ジンが足元に力を込めて、跳んだ。これまで以上のすさまじい速度でジンが目の前に迫る。


「くっ──ガッ⁉」


 その攻撃はまるで砲弾そのものだった。とっさに槍を横にして防ぐもガードごと大きく吹き飛ばされて、俺の体は後方の壁に背中から叩きつけられた。

 

 ……いったい、なぜ。

 

 目まぐるしく思考が回る。俺は確かにジンを追い詰めた。不可避の状況を作り出したはず。あの状態でジンにできることなんて、なにも──。

 

「ま、さか……」

「何かに気が付いたか? だがもう遅い」

「『雷──』」

「ムダだってんだよ」


 バキ、ボキリ、と。音がした。

 

「~~~ッ!」


 極太のジンの腕で払われた俺の右腕が砕けるようにして折れ、手に握られていた槍は遠くの地面に落ちた。


「そらよっ」

「ごふッ!」


 そのままさらに腹を殴られる。背にする壁が軋む音がした。


「ザマァないな、グスタフ」

「……」

「これまで存分に人生を謳歌できたろ? そのツケだ」


 首元を力強く締めつけながら、ジンは俺の体を壁に押し付けた。


「冥途の土産にさっきの続きを教えてやろう。なぜ人を殺す覚悟を持ったお前が、実際に目的通りオレを殺せたのに、震えていたのかを」

「……な、にを」

「ソレはな、【拒絶反応】だ」


 ジンは俺の瞳を覗き込むようにして言った。


「初めての殺人の前後で【変わってしまった】自分自身の精神に対する拒絶反応。童貞の初体験につきものの正常な反応さ」

「……」

「俺も最初は震えたが、2回目以降は簡単なものだ。回数を重ねていくとこれがだんだん病みつきになってくる。最高だ。万札の山を力だと思っている人間どものその尊厳を一方的に踏みにじり、冒し、壊すことができる」


 ジンは薄く笑う。


「楽しいぞ? ストレス社会なんてなんのその、最高のライフハックだ。だが残念だなぁ、お前はここで終わる。ここからが本当に楽しいっていうところの2回目を経験できないんだ」

「誰、が……好き好んで、殺人なんて……」

「あー、そうか。やっぱり理解はしてくれないか。まあいいが」


 ジンはそう言うと、右拳を大きく振りかぶった。


「じゃあな」


 背中側の壁にヒビを入れるほどの威力の右拳が俺の腹部に突き刺さると同時、


 ──ドスっ、と。


「……あ?」


 地面から突き出した何本もの槍が、獣の筋肉に覆われていないジンの左腕と胴体を貫いていた。その体に無数に突き刺さった槍の柄を血が伝う。

 

「……2回目以降は、簡単……?」


 俺はいつも腰に忍ばせているショートランスを左手に握って、その石突き部分を背後の壁に叩きつけていた。そうして発動したのはスキル『千槍山』。

 

「テメェ、武器を……隠してやがったのか……!」

「……俺は、慣れない」

「ハァッ⁉ なにを──ゲホッ」


 ジンが吐血する。槍は内臓をも突き刺しているらしい。


「俺は、何回目だろうと、殺人になんて……慣れたくない、ね」

「じゃあ、お前が……死ねッ!」


 再度振るわれた右拳を、俺はフラリと転ぶようにして避けた。槍に体を縫い留められたジンが、それ以上追撃を仕掛けてくることはない。


「グォォォッ! イテェ、イテェぞグスタフッ! 許さねェェェッ!」

「お前は、あのとき……【本体】を、獣の体の外に逃がしていたんだろ……?」


 さきほど、俺がトドメの『雷影』を放つ直前のこと。ジンは俺に向かって槍の残骸を投げつけていた。俺はあれを苦し紛れの悪あがきだと思い込んでしまっていたが、恐らくその時にわずかにできた俺の死角から獣の筋肉だけを外殻として残し、中身のジン自身を『千槍山』の残骸の影に隠したのだ。

 

 ──ジンの言う奥の手とは、瞬間的に獣の体を脱ぎ捨てることができた、ということだろう。確かにそれは予想外だった……だが。

 

「いま、俺が突き刺した体は……本体だろ?」

「クッ!」


 ジンは獣の体を瞬間的に脱ぎ捨てた……それゆえ、多くの筋肉を抜け殻へと残してきたまま、いまの体には受け継げていない。右拳と両足しか覆えていないのがその証拠だ。

 

 ……つまり、正真正銘、今度こそは逃がさない。


「謝りは、しない……だけど、お前を殺したことだけは……いつまでも、覚えておく」

「やっ、やめろッ!!!」


 俺は横たわりながら、ショートランスを地面に突き立てる。


「……『雷震イナズチ』」


 バチリ。空間が爆ぜる音がする。その直後、


「やめっ──グガガガガガガガァァァァァッ⁉」


 大きな雷がジンの体を中心に瞬いた。肉の焦げる音、ニオイがする。苦悶に満ちた悲鳴は途中で聞こえなくなった。


「……ッ」


 ……勝った。満身創痍だけど、確かに勝った。

 

 もうジンからは何も反応がない。人間の姿のまま、槍に串刺しになった状態で黒焦げになっている。

 

 

 

 ──『レベルアップ。Lv58→60』

 

 

 

 ……おいおい、この世界は人を殺してもレベルアップすんのかよ、ちくしょう。

 

「行かな……きゃ」


 内心で悪態を吐きながら、立ち上がろうと足に力を込める。しかし、


「げぼっ、おぼっ」


 ビチャビチャ、バシャバシャ。口から止めどなく血があふれ出す。それからパタリ、と体が倒れた。

 

 

 

 ──『スキルを獲得。『雷槌ミョルニル』→槍の形を変形させ投擲できる極大威力の遠距離雷属性攻撃』

 

 

 

 ……あれ、体が動かない。

 

 辛うじて指先だけが動く……いや、その感覚も次第に消えていく。そして寒さが襲って来る。

 

 ……なんだこれ、怖い。

 

 まるで吹雪の中でひとり迷うような、心細い気持ち。視界がボヤけていく。

 

 

 

 ──『覚醒スキルを獲──』




 だんだん意識も遠のいていく。

 

 ……あ、嘘だろ……?


 目が勝手に閉じられていく。

 

 そして俺は、死んだ。




 ──『得。『最果てへ蟆弱¥蜑オ荳悶�讒�』

 

 ──『ワーニング。対象レベル0。覚醒スキル付与対象0。ワーニングメッセージを出力』

 

 ──『メッセージW-0025:// TODO キャラ死亡時のレベルアップはあり得ないのでエラー? 例外処理を設けるかどうかは後ほどチームリーダーに相談。とりあえず正常扱いで処理続行。リリース版で修正する。忘れないようにタスク化』




 * * *




「──グスタフ様」


 空から、声が聞こえた。

 

「──グスタフ様」


 それはとても聞き慣れた、愛しい声だった。


「──グスタフ様、どうか起きて」

「っ!」


 ハッと息を飲んで、目を開ける。


「えっ……」


 そこにあった光景、それは優しく俺を見つめるレイア姫の顔だった。


「おはようございます、グスタフ様」


 真っ黒な世界。そこで俺はなぜか、レイア姫に膝枕をされて横たわっていた。

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