第115話 誰がために/最悪の未来予想図

【王国 カイニスにて】




 カイニスの町は静かだった。他の町では突如ステータス欄に現れた謎の文言に住民たちがパニックを起こしていたが、カイニスでは戦争の最前線になった影響もあり、住民のほとんどが避難をしていて家を空けている。兵たちの中にも不安になる者が現れたりはしたものの、軍紀が乱れるほどではなかった。

 

「そこっ! もっとキビキビ動け! 腐っても戦争中だぞ!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 高い、しかし圧の込められた女性の声が響くと、空気が締まる。砦のような見た目をした城の門前に立って兵士たちの動きを統率しているのはチャイカ・フォン・シューンブルーマン=カイニス伯爵。まだ若い女性ながらも名実ともにカイニスの町を始めとする王国北部一帯の領主である。

 

「チャイカ様、帝国軍が散開して後退していくようです」

「ふむ、様子は?」


 報告にやってきた領軍の大隊長のひとりに、チャイカは慣れたように先を促す。


「はい、それはもう蜘蛛の子を散らすように一目散といった具合でして」

「ふんっ。おおかた、ステータス欄のメッセージにでも臆したのだろう。それに最近は攻めあぐねてか士気も低そうだった。であればこれが欺瞞ぎまん作戦の可能性もほとんど無いな」

「追撃いたしますか?」

「いや、追わなくていい。逃げてくれれば帝国の補給線や指揮系統が乱れる。マラソンの最中にゴールと真逆の方向へ全力ダッシュしているようなものだ、静観しない手は無い。隊には引き続き最前線付近の動きにだけ注意しておくように伝えろ」

「はっ!」


 歴戦の面持ちの大隊長に堂々とした立ち居振る舞いでそう下知するチャイカの様子に、周りの兵士は、若い者もそうでない者も誇らしげな表情で見惚れた。カイニスにいる兵士たちが帝国軍の兵士たちのように臆病風に吹かれることなく、心を強く保っていられるのはこの不動の精神を持チャイカの存在が大きな要因だ。

 

「チャイカ様!」

「……ギルワース?」


 鎧の音を立てながら、それでも全力でチャイカの元へと駆けてくるのはチャイカがトップを務めるカイニス領軍精鋭部隊の隊員のひとり、ギルワースだった。


「なんだ、どうしてここにいる。お前のことは最前線に配置していたはずだが」

「はい、別の隊員に配置を一時的に代わってもらっています。私からチャイカ様にお伝えしておくべきだろうと思い」

「なんだというのだ」

「実はさきほど、レイア姫殿下が」

「レイア様がどうしたッッッ!」

 

 レイア、という単語が出た瞬間、チャイカの不動の精神は決壊した。食い気味に反応すると、ギルワースの両肩をガッチリと掴んで血走った目を向けた。


「何があった! レイア様に何があったのだッ⁉」

「お、おおお、落ち着いてくださいチャイカ様!」

「あ、ああすまない……」


 ブンブンとギルワースの体を前後にゆすっていたことに気が付いて、チャイカが手を放す。軽い脳震とうでも起こしたのか、ギルワースは城の門へと手を着きながらグッタリとした様子だ。


「だ、大丈夫かギルワース……」

「はい……自分の未熟さを痛感しました……」

「わ、悪かった……それで、レイア様がどうしたのだ?」

「それがつい先ほど最前線にテレポートでお越しになりまして」

「なにっ⁉」

「『例の件で来たけれど時間がないためチャイカ様にはお会いできず申し訳ない、よろしく伝えてほしい』と」

「例の件……」


 チャイカは顎に手をやってしばらく何かを考えるようにすると、パッと目を見開いた。


「……ギルワース、親衛隊の者たちも居たか?」

「え? ああ、はい。親衛隊のグスタフ子爵を始めとする方たちと、それに例の【客人】の方たちもいらっしゃました」

「なるほど……ならば行き先は帝国か……!」


 チャイカはそう呟くと、カイニスの伯爵家の紋章の刻まれた懐中時計をズボンのポケットから取り出してギルワースへと押し付けるように渡した。


「チャイカ様、これは……?」

「これよりカイニス領軍の指揮はお前に任せた」

「……えっ⁉」

「お前の手に余る事態があれば精鋭部隊副隊長を頼れ。政治的判断が必要になればお父様に会いに行け。私はこれより帝国へと向かう」

「えっ、はっ、えっ⁉ ちょっと、チャイカ様っ⁉」

「詳しく説明している時間はない。ギルワース、お前はお前の役割を果たせっ!」


 チャイカはそう言うと城の地下へと向かう。そして、厳重に管理されている【とある】ひとつの部屋のカギを開ける。そこに収められていた特異な装備を手に、さらに地下へ。何重もの鉄格子を開き、その奥にある牢の前に控える兵士たちをどけると、自らその牢の重たい両開きの扉を開けた。

 

「……ん? 誰かと思えば領主さまじゃねーの」


 その部屋のソファに寝転がってこちらを見ていたのは数日前まで帝国軍の主砲として猛威を振るっていた砲の戦士ガイ。よっぽどやることがなかったのか新聞で紙飛行機を折っていたようだ。


「今日は面会ばっかりだな? 何か用か?」

「ああ。単刀直入に言う。ガイ、お前の力を貸せ。私はレイア様の助けになりたい」

「ほぉ……」


 ガイはソファへと座り直す。


「それは、さっき出たステータス欄のメッセージと関わりのあることか?」

「そうだ」

「俺に何をさせようっていうんだ?」

「私を連れて帝国へと飛んでくれ。馬に乗っていく数倍はお前の【びーむ】とやらの移動の方が速い」 

「俺を……帝国へと帰らせることになるぞ? いいのか?」

「構わない」


 チャイカは即答した。

 

「ガイ、お前グスタフのことをどう思っている」

「大好きだ。あんなに熱い漢はなかなかいねェ」

「お前からはどこか私に似通ったニオイがする。義理や道理に反することはしまい。そこは信用している。それに」


 チャイカはニヤリと口端を吊り上げた。

 

「これから向かう先にはグスタフもいるぞ。状況が状況とあれば、もしかするとかつて対立した好敵手グスタフと今度は肩を並べて共に戦うことができるかもしれんぞ? お前、そういうシチュエーションは好きなんじゃないか?」

「大好物だッッッ!」


 チャイカの差し出した手を、ガイは強く握り返した。チャイカは先ほど取ってきた砲の戦士専用装備をガイへと投げ渡す。

 

「お前をカイニスの戦力として雇おうという計画があってな、だから途中までだが装備は修復してある。最低限の飛行に必要であろう部分のみは直っているはずだ。チェックしてくれ」

「ああ……腰の部分の砲だな。確かに直ってる。他は……オイオイ、ホント容赦なく壊してくれたなぁグスタフの野郎」


 砲の戦士はニヤけ顔で悪態を吐きつつ、装備を着始める。

 

「その装備で他の七戦士には勝てそうか?」

「あー、どうだろうな。負けるつもりはねぇが……【獣】を相手にしろと言われたら、ちょいとキツいかもしれんな」

「獣?」


 チャイカが問い返すと、ガイは苦笑いで返した。


「七戦士最強で最狂の男だ。ヤツには俺の全力の攻撃でもってしてようやく有効打だった。今は捕えられてるけどよ……俺がこんなザマな以上、ヤツが放たれたとしたら次こそ帝国は終わるだろうな」

「……なおさらレイア様が心配だ。急ぐぞガイ」

「おうよ! さっそうと駆けつけてやろうじゃねーの!」


 チャイカとガイはそれぞれの想い人を胸の内に描き、城の階段を駆け上った。




 * * *




【帝国 白い巨塔 中階層にて】



「──っ⁉︎⁉︎⁉︎」


 一瞬、俺は何が起こったのか分からなかった。気が付けば腹に重たい痛みを残して、体が地面に水平に飛んでいたのだ。

 

 ……あの【獣のモンスター】に、殴られたっ⁉

 

 ゼロコンマ数秒のラグの後、俺はその事実を認識する。直後、体が派手に床を転がった。

 

「ごふっ……」

 

 胃液が喉にこみ上げるが、ゴクリと音を立てて飲み下した。吐いてる暇なんてどこにもない。遠くまで運ばれそうになる慣性に逆らって、俺は転がる途中で体勢を立て直し、つま先を床へと突き立ててブレーキをかける。


「ッらぁぁぁッ!」


 そして足の筋肉すべてを使ってクラウチングスタートを切った。顔を上げた先、そのモンスターによる蹂躙はすでに始まっていた。ニーニャが、スペラがモンスターの無造作に振り回した腕によってオモチャのように吹き飛ばされていく。矢をつがえようとしたヒビキも攻撃が間に合わず、足蹴に遭って吹き飛ばされる。そして次に獣の視線が向いたのはレイア姫だ。

 

「させるかぁッ!」


 槍を突き出した。『雷影ライエイ』が一直線にモンスターへと向かい、振り上げていたその腕に直撃する。その攻撃が一瞬だけ止まった。

 

「姫、さがって!」


 あまりの状況変化に追いつけていない姫へとそう叫ぶと、俺は駆けよったスピードそのままにモンスターの顔面に飛び蹴りを加え、そのままその頭に槍の柄の底、石突き部分を叩きつける。

 

 ……この敵は、危険だ。

 

 俺の頭の中で警鐘が鳴っていた。槍を握る手にいつも以上に力が入る。戦闘の間の一瞬の思考で、このモンスターが人間であり、おそらくは七戦士のひとりである可能性については理解していた。それを踏まえて、『雷影』じゃ威力が足りないという直感に従う。俺は、人間相手に使うことを制限していたその覚醒スキルを解放した。


「『雷震イナズチ』ッ!」


 青龍すらも悶絶させた一撃を、いっさいの手加減無しに叩き込む。電撃が空間を割るほどの威力で獣に襲いかかる。痺れがモンスターのその体の自由を奪っている間に地面へと着地して、さらにそのみぞおちへと槍の戦端を当てる。

 

「『威氷イザミ』ッ!」

 

 一瞬にして獣が凍り付く。ダイヤモンドダストがきらめいて、暴力に支配されていたこの空間が場違いにも綺麗に彩られた。


 ──しかし、俺の予感は収まらない。


 瞬間的に、本能的に悟ってしまった【最悪の結末】が俺の脳裏から離れない。


「『雷影』ッ!」


 凍り付いたモンスターの脚をめがけて最速必中のスキルを飛ばす。


 ……片脚を粉々にして奪う。残酷な選択だと、俺も思う。しかし俺は躊躇しなかった。


 どうかこれで行動不能になってほしいと心から願いながら。しかし、


 ──ガシャンという音とともに、『雷影』は氷の中から伸びた腕によって弾き返された。


 体の芯までは凍りついていなかった。獣のモンスターが氷を割って出てくる。


〔裕福なうえニ、強いのカ。なおのことバランスが悪いナ……〕


 まるでなにごともなかったかのようにモンスターが動き始めた。レイア姫を庇うように立ちつつ、俺のこめかみにひと筋の冷や汗が流れる。

 

 ……このまま戦えば、確実にみんな死ぬ。

 

 魔王カイザースと戦っていた時ですらよぎらなかったそんな最悪の予感が、今の俺の頭の中を駆け巡っていた。

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