第109話 【アグラニスの記録】帝都の大事件

【泥人形による記録】

【2日前 PM 12:11:54】




 コンコンコンときっちり3回、ノックの音が聞こえたあとにその部屋のドアが開かれる。


「よかった、いらっしゃいましたね。できればお返事くらいはいただきたいものですが」


 そう言って勇者アークの部屋に足を踏み入れたのはペパーミントでも噛んでいるかのように目をパッチリと開けてハキハキとした青年、剣の戦士レントだった。


「なにか返事をしたくない理由が? もしや、ご体調でも?」

「……別に理由なんてないさ」

「そうですか。ところで何か見えるのですか?」

 

 レントは許可を取ることもせずアークの部屋を我が物顔であるくとその隣へとやってくる。アークは開いた窓の縁に腰をかけて、そこから外を見ていた。

 

「私にはただの塀しか見えませんが」

「俺様は別に何かを見てるわけじゃない」

「……なるほど。そういえば勇者様は長らく幽閉をされていたのでしたよね。であればこうしてじっくり外を眺める時間も無かったことでしょうし、この何でもない光景も特別なものに見えるのかもしれませんね」


 あたかもアークの心情を汲み取ったような発言をするレントへと顔をしかめると、アークは窓の縁から体を離す。そして爽やかさを絵に描いたような笑みを浮かべるレントをにらみつけた。


「で、お前は誰なんだ」

「私は剣の戦士レントと申します」

「何をしに来た」

「アグラニスさんより勇者様の護衛を任されまして」

「……フン、別に要らん」

「そういうわけにもいかないのですよ」


 レントは大げさに肩を竦めてみせた。


「近頃はこの宮廷のある帝都付近でも治安が悪いもので。何かが起こってからでは遅いですから」

「誰かが俺様を襲って来るかもしれないと?」

「可能性はなきにしもあらず、ですね」

「フン、俺様が不覚を取るかもしれない相手からお前は俺を守れるのか? その腕で?」


 アークが顎をしゃくった先はレントの胸の正面、そこで厳重に固定されて首から吊られている右腕だ。包帯に覆われた中からわずかに覗くその皮膚の色は茶色い。なにかしらのケガをしており、それがまだ完全に治り切ってはいないということがそこから簡単に見て取れた。


「守れます。こんなでも私はかなり強いので」


 しかし、それでもレントは断言した。アークはレントのその自信にみなぎる瞳を見て、舌打ちする。


「勝手にしろよ」


 吐き捨てるように言うと、アークは部屋を後にした。




 * * *




【泥人形による記録】

【2日前 PM 13:01:39】




 アークは宮廷を出る。その腰には剣。他の装備は無く、軽やかな姿で前だけを見て歩いている。物珍しそうに彼のことを振り返る衛兵たちのことを意識して視界から外しているようだった。その後ろを一定の距離を保って剣の戦士レントがついていく。

 

「……いいのかよ」

「? 何がです?」


 ボソリと呟いたアークに対してレントは首を傾げた。アークは歩みを止めず、振り返らないまま舌打ちをする。


「俺様はいま宮廷から出ようとしてる。お前は俺様の見張りだろ? 止めなくてもいいのか?」

「止めてほしいのですか?」

「……質問に質問で返すな。不快だ」

「これは失礼」


 失礼とも申し訳ないとも思っていなさそうなほど軽い口調でレントは答える。


「止める必要が無いまでですよ、勇者様。元よりアグラニスさんは本日、勇者様に帝都のご案内をしたかった様子。その代わりを私が務めるまでです」

「……フン、そうかよ」


 不機嫌そうに返事をするとアークはそのまま歩き続け、そして帝都へと足を踏み入れた。アークは今や馬車ひとつまともに通るのに苦労しそうなメインストリートの真ん中で立ち止まり辺りを見渡した。


「酷いな……」

「ええ、本当に酷い有様です」


 ボロボロの帝都を見てアークは言う。アークの周りは元建物の残骸のガレキが積み重なり、メインストリートには巨大な生物の足跡と思しき凹みができている。石畳はあちこちがはがれ、ところによっては血液の染みができたままになっていた。


「……あれは、とても凄惨せいさんな戦いでした」

「何の話だ」


 突然話し始めたレントにアークが訪ねると、レントは肩を竦めながら自分の右腕を差す。

 

「私がこのケガを負うに至った、この帝都で起こった大規模な戦闘のことですよ」

「王国軍が攻めてきたのか?」

「……ええ、まあ」

「……? なんだそのあいまいな反応は」

「いいえ、なんでも。勇者様の仰る通りです。この帝都に攻め入ってきたのは王国軍。その【殺戮兵器】が投入されたのです」

「王国が? 殺戮兵器だと? なんだそれは」

「1体の【巨大な獣】が帝都の破壊のために投入されたのです。そして多くの建物を壊され、何千人もの民が虐殺されました」

「1体で、何千人も……?」


 アークはあぜんとした表情で再びぐるりと帝都を見渡した。高い建物がほとんど存在せず、いや、軒並み中階層からポキリと折られている現状の帝都は、アークが今立つメインストリートからでも充分遠くまでの景色を見ることができていた。たったの1体でこれほどまでの被害を及ぼせるものなのかという恐れがアークの顔に現れていた。

 

「帝国には私、剣の戦士を筆頭として七戦士と呼ばれる一騎当千の戦士たちがおりますが、その王国軍の殺戮兵器に対しては、その時にたまたま帝都の近くで控えていた私と他の七戦士たち4人の計5人がかりでやっと倒すことができるほどの強さでした」

「七戦士……俺を迎えにきたひとりもかなりの手練れに見えたが、まさかヤツもか?」

「ええ。彼は隠の戦士であるオトナシです。彼もまたここで一緒に戦い抜いた私の盟友です」

「そのオトナシはそんなケガをしていなかったが?」


 レントの吊られた右腕を指差したアークに、レントは苦笑いを返した。


「最初から5人で戦っていたわけじゃありませんでしたからね。私と槍の戦士が体を張って被害を減らそうとしている間にオトナシくんや砲の戦士、杖の戦士が駆けつけてくれたんです。これはいわば名誉の負傷? ってやつですかね?」

「体を張って、ね……。その割には何千人も死んでいるとか言ってたみたいだが」

「──それは仕方がなかった」


 アークの軽口じみた指摘に、レントの口調が突然固いものへと変わった。

 

「獣のせん……あの殺戮兵器が何を武器にしていたか分かりますか……?」

「武器……? 知らないな」

「人ですよ」

「人?」


 イメージできなかったのか首を傾げるアークへと、レントは地面に転がっていたガレキの破片を左手に持って、それを積み重なったガレキの方へと勢いよく投げて見せた。レントの規格外の膂力りょりょくにより、その破片はガレキへぶつかるとカシャァンッと音を立てて砕け散る。

 

「ヤツは、あの殺戮兵器は、帝都を逃げ惑う人々をその手で掴んでは投げたんです。思いっきり、私たちめがけてね」

「……!」


 その光景を想像してか、アークが顔をしかめる。レントはしかし、アーク以上にその表情を歪めていた。

 

「私たちはね、最初は人々を助けようとしたんです。豪速で投げられる人々を私のユニークスキルや杖の戦士の魔術で何とかキャッチして、隠の戦士のスキルで人々の姿を隠して逃がして……でも、そんなことをしている間に被害はどんどん広がっていきました。槍と砲の戦士の攻撃だけでは【ヤツ】は……殺戮兵器は討てなかったんです。私たちが数十人を救う間に、殺戮兵器は100人以上を虐殺していった!」

「……それで、どうしたんだ」


 アークの問いに、レントは口の端を歪に吊り上げた。


「見捨てました。投げられてくる人々を、ぜんぶ」


 レントは感情を押し殺すように低い声でそう答えた。


「私たちは人々と悲鳴が飛び交う中をくぐり抜けて、ただひたすらにその殺戮兵器の相手だけをしたんです。投げられた人を避けたあと、背後から聞こえる水風船が破裂するような音に耳を塞いでね」

「……」

「飛び道具の効果が無くなったと知るやいなや、ヤツは、今度は人を直接手に持って振り回してきた。ヤツと切り結ぶたびにヤツの持つ武器ひとが悲鳴を上げた。私たちはヤツの武器となった人々を何人もこの手で殺して、ようやく……」


 重たい息を吐き出すようにしてそこまで言うと、レントは自嘲するように薄く笑った。

 

「私たちは帝国を守る身でありながら多くの人々をこの手にかけたんです。どうです? 私たちを軽蔑しますか?」

「……いや、たぶん俺様でも同じことをしただろうよ」

「……そうですか。アグラニスさんも言っていました。仕方のない犠牲だったと。みんな同じことをしただろうって」

「……そうだろうな。だが、すべてを救おうと最後まで足掻あがきそうなヤツなら知ってはいる」

「それは……無謀な、いや立派な志を持った方だと思いますが……お知り合いですか?」

「さあな。なんにせよ、話を聞く限り無謀なことには違いない」


 アークはふんと鼻を鳴らすと再び帝都を歩き出す。


「……ここはまるでスラムだな」


 アークは辺りの光景を見ながら呟いた。身寄りの無くなった高齢者や子供たちが寄り添い固まって道の端に座っているところ。開けた場所に設置されている避難所と思しきテント群。そこへと配給を求めに群がる人々。その周囲を険しい顔で巡回する兵士たち。


「物資も人手も足りなさそうだ」

「ええ、その通りです。ですが帝国が悪いわけではありません。帝国は悪しき王国との戦争に直面しており、こちらには余力で当たるしかないのですから。すべて……すべて王国が悪いのです」

「王国が悪い、か」

「そうです。王もその部下たちも、みな魔王討伐に尽力したあなたのことを幽閉し、その手柄をさも自分たちだけのもののように振る舞っていたのですから。それに加えて帝国へと戦争を仕掛けてくる非道ぶり。悪鬼羅刹あっきらせつとはあのような者たちを指すのです」


 レントの瞳の奥には王国への憎しみの炎が燃え上がった。アークは怒りをたぎらせるレントを尻目に、さらに帝都の奥へと歩いていく。

 

「勇者様、それ以上先に行っても同じような光景が続くばかりですよ」

「かといって宮廷に戻ってもやることがないだろ」

「私でよければチェスの相手でも……」

「ルールも知らねぇよ」

「よければ手ほどきして差し上げてもよろしいのですが」

「要らん」


 レントがしつこく話しかける中を歩き続けて10分ほどして、アークは細い路地の中央でピタリと足を止める。


「どうかなさいましたか、勇者様」

「……何の用件だ?」

「はっ?」

「お前じゃない」


 アークは今しがた折れた道の角に向けて鋭い視線を投げる。


「そこの建物の陰に隠れてるお前らに言ってるんだ。俺様は盗賊職を取っている。そんなバレバレの尾行が通じると思うなよ?」

「……そうか。それは油断したな」


 アークとレントの背後数メートル先、建物の陰から2人の若い男が現れた。全員、宮廷の衛兵や帝国の兵士が身に着けていたのとは異なる武装をしている。アークが腰に差した剣の柄へと手をやって抜こうとすると、それをレントが左手で制した。


「ね? 言ったでしょう。今の帝都は治安が悪いのですよ」


 そう言ってレントはそのまま左手で現れた男たちを指差した。


「ヤツらは革命軍……混乱に陥った帝国に付け込んで人々を悪しき道へと扇動するテロリストたちです。勇者様はお下がりを」


 レントは左手で剣を抜くと、2人の男をギロリとにらみつけた。

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