第108話 【アグラニスの記録】アグラニスの策謀

【アグラニスの記録】

【3日前 PM 17:51:28】




 日差しが西に傾き始めた午後。宮廷の石畳の上にアグラニス、勇者アーク、そして隠の戦士オトナシたちがテレポートで飛んでくる。アグラニスは宮廷を前にしてホッとひと息を吐いた。


 ……王国の城へとシンクが襲撃をかけた裏側で秘密裏ひみつりに行われた勇者拉致らち作戦は成功だ。


「っと……」


 ここに帰ってくるまで十数回のテレポートを繰り返したため、その目まぐるしい移動にアークはたたらを踏んだ。よろめいたその体を、共に移動してきたオトナシが支える。


「大丈夫か」

「あ、あぁ……問題ないね」


 アークは顔を青くしながらも不敵に笑ってみせた。無理が透けて見えるがそれも仕方がない。王国の地下からこの帝国の宮廷前まで幾度ものテレポートを繰り返しており、慣れない者は酔うことが多いのだ。

 

 ……とはいえ、高レベルの盗賊職の【隠の戦士】であるオトナシはあらゆる状態異常への耐性値が高いため、アークとは違ってまるで問題にしていないようだが。

 

 テレポートをしてふたりをここまで運んできたアグラニスは内心でそう分析しつつ、アークへと造り込んだ好意的な笑みを向けた。

 

「さぁ、アーク様。長く地下に拘束されていたこともあってお疲れでしょう? お部屋を用意してありますから、今日はそちらでお休みください」

「あぁ……しかし、アグラニス。俺様がここでいったい何をするべきなのか、それを先に言ってもらわないことには落ち着くに落ち着けないんだが」

「そうですね……端的に申し上げれば、アーク様には帝国に代々伝わる神器、【聖剣】を抜いていただきます」

「聖剣……?」

「ええ。勇者様にのみ抜けるその剣で、卑劣にも帝国へと牙を剥く敵を打ち倒していただきたいのです」


 アークは腕を組み考え込むような反応をしていたが、それはアグラニスの想定の範疇はんちゅうだった。

 

 ……突然帝国へと連れて来られ聖剣だなんだと美味い話を聞かされて不安にならないほどアークは馬鹿ではないだろう。

 

 だけどいずれアークは聖剣に【依存】せざるを得なくなる手はずだ。そのための【仕込み】についても考えている。今は、アークに物事を考えさせ過ぎないことが肝心だ。


「それではお部屋に案内いたしますわ」


 アグラニスは案内した先の大きく豪華な部屋でアークを歓待した。用意していたご馳走に舌鼓を打ち酒を飲み風呂を浴び、結局のところアークは何を考える間もなく早々にベッドへ横になって眠りに堕ちた。

 

 ……まあ他愛もない。アークと長い時間を魔王討伐の旅で共にして、弱い部分はとうに把握しているのだ。今回もていのいい人形としてくれよう。

 

 アグラニスは熟睡するアークを鼻で笑うとその部屋を後にして、次の段階へと作戦を進めるために皇帝ジークへと会いに行こうとした……その時だった。


「あ、あ、アグラニスゥゥゥッ!」


 廊下の奥から右の手首を押さえながら、大股でこちらに歩いてくる青年の姿がアグラニスの目に入った。それは杖の戦士であるシンクと名乗る男だ。シンクは肩を怒らせながらアグラニスの前まで来るやいなや、ねじ曲がり紫色に腫れ上がったその右手首を眼前へと突き付けてくる。


「アグラニス! これはいったいどういうことだよッ!」

「まあ……大変ですわ。酷いケガではありませんか」

「そうだよ酷いケガだ、痛くて痛くて今にも頭がおかしくなりそうだッ! だがなぁ、問題はそんなことじゃないんだよ。これをやったのがグスタフでも親衛隊でもましてやキサラギヒビキでもなく、あの姫のレイアだってことだ!」

「レイア姫が……?」

「そうだッ! 聞いてないぞ、あの姫は戦える人間じゃないはずだろッ!」

「……ええ、もちろんそのはずですが」

「それがそうじゃなかったから、俺の手首はこんなことになってるんだろうがッ!」


 シンクは充血させた目でアグラニスをにらみつける。まるで意図的に情報を渡さなかったのではないか、と疑うようなまなざしだ。しかしながら、本当にアグラニスに心当たりはなかった。


「……本当にレイア姫についてはそのような情報を持っておらず……ハヤシダ様は何か仰っていられなかったのですか?」

「ハヤシダ?}


 シンクは顔をしかめる。ハヤシダはなぜか、この世界に隠される数々の【秘密】についてアグラニスや皇帝ジークよりも詳しい存在だ。アグラニスの言葉により、シンクもそのことに思い至ったらしい。

 

「確かに、ハヤシダも何も言ってはいなかったが……」

「ハヤシダ様も存じ上げない情報については、残念ながら私たちも持ち合わせていません。それに私たち帝国の者どもはみな、七戦士のみなさまの味方ですわ」

「……ふん。だといいけどな」


 口元を歪に吊り上げて皮肉の言葉を吐き捨てたものの、シンクはそれ以上の追及はしなかった。それが無意味だということが理解できたのだろう。それに、そろそろ手首の痛みが我慢の限界のようだ。シンクの額にはびっちりと脂汗が浮かんでいた。


「おい、アグラニス。回復魔術をかけろ……あまりの痛みに吐き気がこみ上げてきた」

「承知いたしました……しかし、どうしてここまで腫れ上がるまで放置を? しばらく前にご帰還されていたはずでは?」

「うるさいな、僕だっていろいろと忙しいんだよ……」


 シンクはふんと鼻を鳴らして右手首を突き出す。答える意思はないらしい。アグラニスもそれ以上は問わずに回復魔術を使用する。

 

 ……どうせ、こちらにケガの非を押し付け罪悪感を植え付けて謝らせたいだとか、そんな幼稚な理由だったのだろう。

 

 アグラニスは冷静にそう分析し呆れつつ、自らの手の周囲を丸く包むようにして現れた緑色の光をシンクの患部へと優しく当てる。すると、紫色に腫れ上がっていたその手首の腫れは次第に引いていった。

 

 ……これは1度の回復魔術では治せそうにないな。アグラニスは治癒の感触に眉をひそめた。

 

 この前の【帝都の事件】で大怪我を負った剣の戦士に引き続き、杖の戦士まで負傷するとは予想外だった。それに加え、丘陵地帯で行われた戦争の軍配は王国へと挙がったらしく砲の戦士ガイも帰ってこない。ガイはもともと時間稼ぎのための【捨て駒】ではあったものの、それはあくまで勇者アーク奪還後すぐに聖剣を取りにいくプランが前提だったのだ。

 

「なんだよ、険しい顔してさ。僕の手当てはイヤなのか?」

「えっ、あぁ、いえ。そんなことは……少し考え事をしておりまして」

「ちゃんと集中しろよな」


 その見下すようなシンクの態度に、アグラニスは思わず舌打ちをしそうになったがグっとこらえた。剣の戦士のケガが治るまであと3日。シンクのこのケガが治るのに2日というところだろう。それだけ待てば万全の態勢とはいかずともそれに近い状態で聖剣を確保しに行くことができる。

 

 ……それまでの辛抱だ。聖剣を抜いてしまいさえすれば、七戦士など用済みなのだから。冷え切った思考を巡らせながら、アグラニスは内心でほくそ笑んでいた。




 * * *


【アグラニスの記録】

【2日前 AM 07:08:41】




 翌朝、7時。アグラニスは朝食を持たせた侍女を伴って宮廷の廊下を歩いていた。向かう先は勇者アークを泊めた部屋だ。陽が昇り始めてまだ1時間と少しだ。おそらくアークはまだ起きていないだろう。数カ月間魔王退治の旅を共にしてきた経験から、アグラニスはアークの寝起きの悪さを知っていた。

 

「とはいえ、なるべくアーク様をひとりにしておきたくはありません……」


 それはもちろん、アークをおもんばかってのことではない。アークにひとりきりで今の状況を深く考える時間を与えないためだ。

 

 ……聖剣を入手するためにはその神器の【特性】上、聖剣を手に入れたいという強い意志が必要であると皇位を継承した際にジークへと引き継がれた古い書物には記されていた。その場所が秘匿されていたのも、おそらくは心の底から聖剣を求めた勇者にしかそれを手にできないようにするためだろう。

 

「失礼いたします」


 アークの泊る部屋の前まできたアグラニスは小さめのノックをして、音を立てぬようわずかにドアを開けた。眠っているならばまた少し時間を空けてから来ればよいと思いつつ、中を覗く。


「アグラニスか」

「っ!」


 返事が返ってきて、アグラニスは息を飲んだ。アークはどうやらしばらく前には目覚めていたようで、すでにベッドからは離れ、開けた部屋の窓の側に佇んで顔だけをこちらに向けていた。


「これは失礼いたしました、アーク様……それにしてもずいぶんとお早いご起床ですわね」

「ん? ああ。寝床が変わったからだろ。目が覚めてしまってな」

「そうでしたか」

 

 アークはジッと、ガラス玉のような感情の抜けた瞳でアグラニスの方を見る。

 

「聖剣は?」

「はい?」

「取りに行くんだろう。いつここをつんだ?」

「え、えぇ。もちろんですわ。ですがアーク様の供回りを務めます戦士たちの準備が万全ではないため……早くて明日の出発となる予定です」

「……そうか。分かった」


 それだけ言葉を交わすと、アークは再び窓の外へと視線を移した。

 

 ……どこかアークの様子がおかしいと思ったが、どうやら聖剣をいつ手に入れられるかが気がかりなだけだったようだ。こちらの考えを勘づかれたわけではないことにアグラニスは胸を撫で下ろした。


「いま朝食の準備をさせてきましょう、アーク様はしばらくこの部屋でお待ちください」

「ああ」


 アークの返事を聞くとアグラニスは再び廊下へと出て、すれ違いざまの給仕に食事を来客の部屋へと運ぶように指示を出す。

 

 ……予想外に早い時間からの活動になりそうだったものの、それくらいの計算外ならまったく問題はない。今日は獣の戦士のせいで荒れ果てた帝都でも案内をして、【王国のせい】でこうなったのだと帝国への同情心を誘うとしよう。

 

 アグラニスが頭の中でアークが聖剣を自発的に引き抜く確度をより高めるための計画を立てていると、「アグラニス殿!」と廊下の奥からこちらに駆けてくる皇帝直属護衛軍のうちのひとりの騎士の姿が見えた。


「どうなさいました?」

「陛下がお呼びです。今後の計画を詰めたい、と」

「……まったく、陛下は……」


 アグラニスは大きなため息を吐きそうになるのをグッとこらえる。


 ……今後、つまりは聖剣入手後の話だ。まだ聖剣すら手にしていないというのに、皇帝ジークは最近しきりにその後の話ばかりをしたがって困る。頭は決して悪くはないのだが、激情型で野心深いので、気持ちだけが先行してしまうことがこのように時たまあった。

 

 とはいえ、立場的にもまったくの無視をするというわけにもいかない。アグラニスは兵士に承知の旨を伝えると、小さく呪文を唱える。すると、その手のひらに小さな【泥の人形】が現れる。

 

「『命じる。勇者アークを見張り、行動の記録を行え』」


 アグラニスがその人形を床へと置くと、それは滑るようにしてアークの部屋の方向へと向かっていった。

 

「あとはアーク様への護衛を見繕わなくては……。まだケガは完治はしていないようですが、それでもレント様ならきっと快く引き受けていただけるでしょう……」


 独りそう呟いて、アグラニスはレントの部屋へと向かった。

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