第107話 聖剣
ダンジョンの最奥のその空間は、見ようによってはとても美しいものだった。広々とした部屋の中央に、床面積の3分の1を占めるほどの広い正方形の台座がある。その上の四隅に古びた石柱が1本ずつ立っており、台座の中央には王冠や聖杯、壺や武器などが無数に積み重なって山を築いていた。もちろん、ダンジョンの他の場所同様にそのすべてが黄金色に染まっている。
通常なら俺もその光景に真っ先に目を奪われていただろう……その手前で真っ赤な血を流して横たわるふたつの死体が無ければ、だ。2体の胸には大穴が空いており、そこを中心に血だまりが広がっている。
「いったいどうしてアグラニスが……? 俺はてっきり、コイツが裏で糸を引いてるもんだと」
「……同感ですね。私の中でも帝国の切れ者といえばこの魔術師を思い浮かべていましたから」
目の見えないレイアに対して状況を耳打ちしていたスペラが同意を示す。俺たちはまったくもって想定していなかった事態に、呆然とするしかなかった。俺はアグラニスの隣に転がる死体に目をやった。……まったく見覚えの無い、しかし、豪奢な衣装に身を包んだ男だ。
「こっちの男は誰なんだ……? 見覚えとかあるか、ヒビキ……?」
ヒビキを見ると、顔が青ざめていた。そこで俺はハッとして自分の失態に気が付いた。
「すまん、ヒビキ。後ろを向いてろ」
「……」
「ヒビキ!」
「……あっ」
俺が正面に回ってその肩を掴むと、ようやくヒビキが反応した。
「……ヒビキ、その……死体を見るのは初めてだな?」
「……うん」
「後ろを向いてろ。いや、来た道を警戒していてくれ。もしかしたら奇襲がくるかもしれないから」
「わ、分かった」
ヒビキは変わらず青い顔のままだったが、しかし俺の言葉に従って死体からは距離を取ってくれた。
……そうだよな。普通、他殺体なんて見たことないのが当然なんだ。ヒビキはもともと日本の女子高生なんだから、なおさらだ。
良くも悪くも、俺はこっちの世界に染まってきているらしい。現代日本で生きていたころの感覚がもっと残っていればヒビキがまじまじと死体を見てしまう前に止めることもできたろうに……いや、そしたらそれ以前に俺もビックリして身動きとれなかったかもだけど。
「で、こっちの男は誰かしら」
俺が改めて死体に向き直ると、ニーニャが足で男の死体を仰向けに転がしているところだった。
「ちょ、ニーニャっ⁉」
「え、なによ?」
「いやだって死体……大丈夫なのか?」
「まああんまり破壊されてるとアレだけど……これくらいの他殺体ならスラムでいくらでも見てきたから」
なんてことないようにニーニャは言う。
……マジか。ニーニャはまだ幼いし、俺としてはできる限りこういった事象からは遠ざけておきたいと思っていたのだが……どうやら心配のし過ぎだったらしい。
「その人、皇帝だよ」
俺たちの後ろから、背を向けたまま震える声でヒビキが言った。
「皇帝ジーク……ウチ、何度か会ったことあるから」
「コイツが、ジーク……?」
男の死に顔をまじまじと見た。その瞳孔の開ききっており、なにかに助けを求めたのか両手がピンと伸びた状態で蹴伸びでもしたかのように手足が投げ出されている。血の泡を口から噴き出しており……その死にざまからは皇帝としての威厳のかけらも見られなかった。
「本当か……? にしても、なんで皇帝がこんなところで? 聖剣を取りに来たんじゃないのか?」
「……そうでした、聖剣です!」
レイア姫が俺の腕の袖を強く引いた。
「グスタフ様、あまりに想定外の状況に圧倒されてしまっていましたが……聖剣があるはずなのです! ここに!」
「あっ……」
そうだ、そうだった。俺たちは山やダンジョン内の様子からここに聖剣があると踏んでやってきたのだ。なのに、目の前に広がる惨事に気を取られてうっかり聖剣のことが頭から抜けてしまっていた。
「聖剣は……勇者アークはどこに?」
俺は辺りを見渡した。4つの石柱の上、気になるものはない。聖剣って言うからには、それが刺さっている岩や台座があってしかるべきだと思うのだが……そういったものも見当たらない。
「目の前の山の上を見てください」
「えっ? 山の上?」
俺は目の前にそびえたつ、その山へと目を向ける。しかし、山とはいってもそれは黄金の王冠やら調度品やら武器やらが積み重なった、言わば【宝の山】というやつだ。この上に聖剣を刺しておけるとは思えないのだが。
「まあでも他に探す場所も無い、か」
半信半疑のまま、俺はその宝の山へと近づいて足を踏み出した。とたんにガラガラと音を立てて積み上げられたその黄金の品々が崩れていく。
……これ、そもそも足をかけられるのか?
なんて思っていたその時だった。スタリと、足の裏がしっかりとした何かをとらえた。足元を思わず二度見する。思い切って体重をかけてみる……崩れない。
「これは……」
黄金の調度品たちをかき分けた奥、俺の足の下にあったのはしっかりとした土台だった。それは黄金の品々の下、階段のように連なって上へと続いていた。どうやらこの宝の山はこの土台で【かさ増し】されていたらしい。
「ともあれ……登れるわけだ」
俺はその階段状の土台に次々と足をかけて、宝の山をかきわけ上へ上へと登っていく。そしてその頂上に、ソレは【居た】。
「アーク……!」
アークは聖剣と思しき剣を手にして立っていた。俺は槍を構える……が、しかし、そんな俺に対してアークは少したりとも動こうとはしなかった。
「おい……?」
アークはピクリとも動かない。いや、微弱ではあるが、アークの周囲の空気が金色に染まって揺れていた。だが本人自体はまるで
「グスタフさん、いったいなにが……!」
俺の声に気が付いたスペラが他のみんなに浮遊魔術をかけて俺の隣までやってきて……絶句する。右手に引き抜いた聖剣を持ち固まったアークに目をやって。それは誰の目にも明らかに異常な光景だった。
「ワケが分からない……なんだ、どういうことだ……? 勇者アークは確かに聖剣を引き抜いていたが固まったまま動かない。その下で死んでいるアグラニスに皇帝ジーク……何が起こってるんだ……?」
俺の呟きに誰が答えられるはずもない。みんな一様に口を閉じて考え込んでいた、その時。
「裏切られたのですよ、ヤツに」
俺たちの中の誰のものでも無い声が響く。とっさに俺たちはその声のした方向を向いた。しかし、そこには誰も居ない……が、そんな中でスペラだけがとっさに俺たちの前に出た。
「……魔力反応があります、みなさん下がって!」
スペラが無詠唱で光属性魔術のバリアを張った。その直後、アークの手前に積み重なった黄金の調度品たちの隙間から泥があふれ始める。沸騰するように泡立った泥は次第に細長く隆起し、そして人の形を取った。
「──訪ねてきたのはあなた方でしたか、仕方がありませんね」
「……アグラニスっ?」
紫の長い髪、細く吊り上がった長い目、ミステリアスな微笑を浮かべる口元……その泥は俺たちの見知った生前のアグラニスそのものの姿になった。
「アグラニス、お前死んだんじゃ……」
「ええ、死にました。この山の下にある私の死体を見れば分かる通りに」
「じゃあ、今のお前はなんだっていうんだ?」
「ただの器ですよ。そこに魔力を介して私の直近の記憶と、過去の一部の思い出を入れ込んだに過ぎません」
魔力を介して記憶を……そんなことができるのだろうかとスペラに目くばせする。
「……嘘は言っていないかと。魔力を介した記憶の操作でしたら、可能です。忘却魔術というものもありますし、私が以前に宝箱へと施した封印魔術も宝箱へと私しか知らない封印解除の文言でしか開かないようにするための方程式を記憶として付与するものですから」
「そうなのか……」
この世界の魔術に関して誰よりも詳しいはずのスペラがそう言うのであれば間違いはないのだろう。目の前にいるこのアグラニスの言っていることは、いちおうは信じていいようだ。
「なんです? いまさら疑っていたのですか、グスタフ様? さきほど私の指示通りにこの山を登って頂上を見ていただいたではないですか」
「え?」
一瞬なんのことだと首を傾げそうになるが、アグラニスの言ったその言葉に思い当たる。そうだ、俺は確かに『山の上を見てください』と指示を受けた。よくよく思い返してみればその声は俺たちのものではなかったが……うっかりなのか俺がバカなだけか、それに関して完全スルーしてしまっていた。
「相変わらずグスタフ様におかれましては腕が立つだけのようで」
「……うるさいな」
気が付かなかったのは事実なので強く言い返すこともできず、俺は咳ばらいをして強引に話題を元に戻すことにする。
「で、なんでお前は殺されているんだ? 皇帝もいっしょにさ。この聖剣を抜いたアークにやられたとか言わないよな?」
「まさか」
「だけどお前はさっき、『裏切られた』と言ったよな」
「ええ、ですが勇者にとはひと言も。だいたい、状況を見て想像くらいつきそうなものですが」
アグラニスは肩を竦めてあきれ顔で俺を見る。
……なんか、『まあ腕っぷしだけの脳筋には分からないかもね』と言われているようで腹が立つな。
いくらなんでも、俺にだって想像くらいならできる。皇帝ジークにアグラニス、勇者アークがここにいて……そして誰がここに居ないのか。それさえ分かれば答えはひとつしかない。
「七戦士に裏切られたわけだな、お前たちは」
アグラニスが無言で首肯する。
「私にも全容は分かっていません。なぜ裏切られたのかも、彼らにどのようなメリットがあったのかも……。ですから私がこれから話すのはただの事実。勇者アークを帝国へと連れて来てからの3日間の記録です」
「……ちょっと待て。話してくれるのか? なんでだ? なぜ急に協力を?」
「この泥の器がそのようにインプットされているからです。『ここに訪れたものに真実を話せ』と。生前の、逃れられない死に直面した私自身からね。それで聞きますか? それとも聞きませんか?」
俺はレイア姫や他のみんなと顔を見合わせる。全員、俺を促すように頷いた。
「……分かった。聞くよ。教えてくれ。勇者が王国から連れ去られて3日の間に何があって、それでどうしてこんな事態になったのか」
「いいでしょう。それでは始めます。これは生前の私の記憶を元にした、事実に基づいたただの記録です──」
とつとつと、記録された音声を吐き出す機械のようにアグラニスは語り始めた。
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