第275話 愚者「渇望」

 宿泊施設の周辺の様子が一変した。

 正直どうしたのか判らない。

 まず、現状維持で整備されていた宿泊施設の周辺が綺麗に整備された。

 そして花や植物が植えられて見た目だけならかなり整備されている感じだ。


 そして、守衛さんから報告が有る。

 例の男性が急にやる気を出して整備をしているそうだ。

 元から有った村の設備を利用して作った水場や炊事場は何処から調達したのか新品の設備に置き換わっている。

 朝の挨拶も、ただ挨拶するだけでは無く、露骨に魔導師やその助手に対して好意を示すような言葉を含ませてきているそうだ。

 守衛さんからは声を掛けていないので理由は判らない。

 もしかしたら、東の町の方から指示を受けたのかもしれないが、守衛さんの話から尊敬とか信奉に近い物を感じているようにも考えられる。


「彼に何があったのでしょうか?」


「うーん? 私も判らないわ。

 ただ、好意を向けている、というか、此方に関心を持って貰いたいという意思を感じるわね」


 私の疑問にシーテさんが答える。

 そこにお茶を用意してくれているナカオさんが質問してきた。


「マイ様、どうして彼に会おうとしないのでしょうか?

 それに研究所は人手が足りません、有能なら雇おうのも検討して良いのでは?」


 ナカオさんの疑問は平民として見れば当然だ。

 だけど、魔導師として見るとかなり問題になる。

 この事は、宰相様からかなり口酸っぱく注意されている。


「まず、私は魔導師で中位貴族相当の貴族位を持っています、極端に言えば領主様と対等に話せる立場で魔術に関する事なら、私の方が優先される場合もあります。

 緊急時に限りますが」


 それはナカオさんも判ってるようで頷く。


「来れば簡単に面会できる、そういう実績を作ってしまうのが問題です。

 貴族に面会するときは、目的と理由、それと会うのに相応しい格を要求されます。

 魔導師だから、来れば会えるという実例を作ってしまうわけには行きません」


 私の言葉に、貴族のやり取りを理解できないナカオさんが首を傾げる。

 私もそんなに詳しいわけじゃ無いけどね。


「研究所で採用するというのも簡単には出来ないのよ。

 私のように魔術師としての実績があれば良いけど、そうで無い場合は問題ね。

 ただの魔法を使えるだけだなのに、魔術師としての素質が十分に有り、場合によっては魔導師の候補になり得る、そういう風に誤解される可能性があるわ。

 そして、誤解されることを期待して採用して貰いたがっている人は多いわ。

 宰相様がふるいに落としている、けど、直接会えば採用されるとなると大量に押し寄せて来るのが目に見えるわね」


 ようやくナカオさんが理解したのだろう。


「すいません、浅慮でした」


 謝罪した。

 シーテさんのように魔術師として十分な実績がある、ナカオさんのように職員として十分に差別化されている、それがハッキリしていれば良い。

 でも彼はどういう意図で研究所に入り込もうとしているのか判らない。

 研究所に来れば私に魔導師に会えて、そして採用される可能性がある、そう思われるのは非常に問題を引き起こしかねない。

 慎重になる必要が有る。


 その後、シーテさんとナカオさんで、認識を共有した。



 そんな中、コウの町から嬉しい知らせが送られてきた。

 宿屋タナヤの女将、オリウさんに子供が出来た。

 というか、恰幅が良い体格のために妊娠していることが判るのが遅れたそうだ。

 数ヶ月後には臨月を迎える予定だそうだ、ビックリ。

 問題もある、オリウさんは年齢的には30歳を超えている。

 高齢出産になるので、出産には危険が伴う、念のために産婦人科が充実している教会の病院施設に入院する予定とのことだ。

 フミからの手紙には、喜びと不安が綴られていた。


 ザックリとした結婚・出産の年齢を言う、都市部とは多少違うがコウの町の場合だ。

 5~10歳で教会に集まった子供から相性の良い男女の組を作る、この時に家の仕事や都合を加味して長男長女同士が仲良くならないように調整するそうだ。

 10~15歳で家同士の付き合いが始まり暗黙的な婚約関係を築く、そして15歳の成人を迎えたところで結婚して独り立ちする。

 全員がそうではない、コウの町では半数以下位らしい。

 そして相手が決まっていない人は収穫祭などのイベントを利用して相手を探す、それも20歳位まで。

 それでも相手が決まらない場合は役場が相手を紹介する、フミも以前に従業員として男性が一時的に働いたことがあるのがそれだ。

 25歳を過ぎると晩婚となり殆どの人からは結婚対象と見られなくなる。


 出産は、早ければ15歳で大体25歳まで、それからは育児に専念する。

 30歳を過ぎれば、出産に伴う命の危険があることから避けられるのが一般的と聞いた。

 これは出来るだけ沢山の子供を産んで育てて欲しいという方針と風習が合わさったものだそうだ。

 で、フミやシーテさんは20歳を超えている、魅力的な女性だとしても結婚相手としては見られなくなってしまっている、良いのだろうか?



 宿泊施設は更に整備されていった。

 地面の小石は取り除かれ、整地されている。

 そして何処かから用意したのか地面に石が敷かれ、建物の周りの一部分だけど舗装され始めている。

 それを彼が一人で行っているのだ。

 領都の近くに有る宿泊施設と言っても、まぁ、規模は小さいがそれなりに小綺麗になっているので見劣りはしなくなっている。


 守衛さんも流石に無下にし難くなっている、情報は共有しているのでほだされるような事は無いが、流石にどうしたら良いのか、指示を聞かれることが多くなってきた。

 私もシーテさんも困惑している、すでに領都の宰相様に状況を報告する報告書を送っているが、未だに回答は無い。

 コウの町の町長であるコウにも相談しているが、彼が行っている行為自体は問題無いため対応に苦慮している。


「おはようございます。

 今日も良い天気ですね!

 研究所の前の街道も整備したいと思います」


 彼の朗らかな声が響く、守衛も苦笑しながら会釈だけで挨拶する。

 土の地面を均すための道具を持ち込んでいる。

 東の町の商人に依頼して持ち込んだらしい、が作業しているのは彼一人だ。

 昼は暑い日が増えてきた、守衛からも体調を心配する声が聞こえてくるが、どうしようもない。



 オリウさんが男子を出産した。

 周りが拍子抜けするほど安産だったそうだ。

 無事に出産が終わった事を綴ったフミからの手紙には安堵が含まれている。

 そして、フミは弟を宿屋タナヤの後継にして自分は父親の味を引き継ぐ料理人になりたいと書いてあった。

 思い起こせば、フミは宿屋の経営には少し無頓着な面があった、父親に似て良い料理を作りたいという気質が強いという感じかな。


 魔導師マイとしてのお祝いを贈る事にして、領都から水を浄化する魔道具を入手した。

 これは水筒のような作りで、本来は軍隊の将校が飲む水を浄化するための物になる。

 高価な物では無いが庶民が手に入れることは殆ど出来ない物だ。

 能力としては、ある程度綺麗な水を入れておけば数時間で飲料可能な水になり数日は保存可能だ、また味も煮沸した水よりも美味しいので貴族や裕福な人達にも広く使われている。

 私も、辺境師団に居た頃は輸送部隊の備品として支給されていたのを使った経験がある。

 実用性しか考えていない最下級の物を入手したら、宰相様から貴族が使うような水を浄化する魔道具が3つ追加で送られてきたよ。

 これは私とシーテさん、そして今度来る予定の文官の為かな。



■■■■



 暑い日が続くようになった。

 暑さで気が緩んだのだろうか、慎重さに欠けてしまった。

 私とシーテさんが森の中を探索し、そして研究所へ戻ろうと街道に出たところで彼と鉢合わせてしまった。

 探索魔術を使うのを逸していた、そして周囲を目視確認することも。

 気が付いたときには、すでにお互いを認識している状況で逃げるわけにはいかない。

 日差しを避けるために被っていたフードを、あわてて深くかぶり顔を隠す。


 無視して移動しようとすると、彼は道を譲りながら地面に平伏した。


「失礼ながら、魔導師様と助手の魔術師様とお見受けします、ご尊顔を見る事をお許し願えないでしょうか?」


 日焼けしたのだろうか、少し浅黒い肌で、最初の頃に比べると筋肉のついた体を地面に擦り付けるように身をかがめて、それでもハッキリとした口調で話してくる。

 私は対応に困ってシーテさんを見るが、シーテさんも困惑している。

 彼の働きで、宿泊施設と研究所の周囲はかなり整備されている、それについて何も言わないのは流石に問題だろうという話は出ていた。

 この機会に伝えておく必要が有るかな。

 私がシーテさんに頷く。


「貴方は何者ですか?

 宿泊施設とその周辺で色々しているのは知っていますが、その目的はなんでしょうか」


 シーテさんがワザときつい口調で話す。


「はっ、私は東の町の出身で、トロアスと言います。

 商人の三男坊でコウの町で魔導師様と我が家と商売の縁を結ぶように指示を受けて参りました。

 実家の思惑はそうですが、私は個人的に魔導師様にお近づきになりたいのです、その為なら家を捨てる覚悟もあります」


 なんだ、この執着は。

 ドロッとした感情を感じ取って、思わず身震いしてしまう。


「では、宿泊施設とその周辺を整備しているのは、私達に近づくためですか」


「はい、切っ掛けを作るために。

 それ以上に、魔導師様がいるこの場所をより相応しい形にしたかったんです」


 おそらく、本当のことを言っている。

 実際、熱くなってきて雑草が伸び放題になるはずのこの周辺は綺麗に除草され、草花が植えられている。

 並大抵の意思では出来ないことだ、と同時にそれに気味悪い感情を持ってしまう。

 シーテさんが私を見て、首を振る。

 これは何か言わないと決着が付かないという事かな。

 色々な感情を押しとどめて、意を決して話す。


「周辺の整備をして頂いたことは感謝しますが、これはコウの町の者が行うべき仕事です。

 余計なことはしなくて構いません。

 一度だけ顔を上げることを許します。

 満足したら東の町へ戻るように」


 彼トロアスは、ユックリと顔を上げる。

 私を見つめるのを確認して、フードを取る。

 数秒だろうか、時間を置いた後、再びフードを深くかぶり、そして無言で研究所へ戻る。

 シーテさんもそれに続いて歩く。

 自分を起点とした遠隔視覚をして彼を見ると、地面に座ったまま呆然と私達を見送っていた。


「マイちゃん、顔を見せて良かったの?」


「既に見られてしまっていますので、それに東の町へ戻るにしても何か手土産が無いと困るでしょう」






 私は、これで彼が帰ってくれることを期待した。

 だが私は、彼の心の中の事などまるで判っていなかった。

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