第270話 研究所「エピローグ」

 コウシャン領、領都。

 宰相が難しい顔をして幾つもの書類を眺めている。


 コウシャン領に数十年ぶりに産まれた魔導師、それ自体は喜ばしいことだ。

 問題は生まれた経緯だ。

 先王様と元筆頭魔導師に認められた、十分すぎるほどだが通常の手順を踏まずに魔導師に認定されてしまったので困った自体になっている。

 魔導師は継承権のない上位貴族位に当たり中位貴族相当と言われている、格としては領主と同等となり領主様でも命令は出来ない。

 本来は王都かもしくは領主の直系の貴族の養子になって、その貴族が後ろ盾となるのが通例だ。

 マイはそれを飛び越えて庶民のまま魔導師に成ってしまった。


 後ろ盾となる貴族がいない、その為、マイと縁を結ぼうという下級貴族が跡を絶たない。

 今の所は押さえているが、正規の手順を経ずに行動されると防ぐのは難しい。

 結果としてマイをほぼ軟禁状態としてしまっているが、本人からの手紙を読む限り不満を感じては居ないようだ。


 マイの時空魔術研究所へ送り込む人材を決定した。

 領主の遠縁に辺る貴族の子供で貴族の格も習得済みだ。

 会って話をした限り非常に真面目な印象を受けた。

 表情の変化に乏しいのは、家の都合に振り回されたためだろうか?

 貴族院を卒業後に時空魔術研究所へ行くことも、何の躊躇も無く了承している。

 元々、魔法の才能があり魔法学校に通っていたそうだ、だが家の都合で1年目に退学し貴族院に入学している。

 魔法使いとしての才能は未知だが飛び抜けた物が無いという評価だ。


 今、彼女を使ってマイに接近しようとしている貴族を釣り上げているところだ。

 これも本人に了承して貰っている。

 彼女を使えば領都やそれ以外の都市の貴族とのやり取りは問題なさそうだ。



 それはいい。



 宰相の悩みとなっているのは、商工業国家から来る輸入品の品質が明らかに落ちていることだ。

 理由が判らない、コウシャン領から商工業国家への輸出品の量も品質も例年通りで変わりは無い、のにだ。

 途中の領や国境を接している領が中抜きをしているのだろうか?


 そして北の帝国。

 商工業国家を通じて何かしているらしいが、もとより閉鎖的で掴み所が無い。

 その商工業国家の様子も庶民の生活に関しては兎も角、政治的な動きが掴めきれない。


 直接 接していない為、入ってくる情報が限定され古い。

 それも宰相の頭痛の種だ。


 北の帝国の者が少なくてもコウシャン領へ入っているという情報は無い。

 帝国の人種はトサホウ王国の主要な人種と違い肌の色と髪の色が若干異なる、入国すれば非常に目立つ。

 商工業国家の人種は多様で複数の人種が入り交じっているので特定が難しい。

 トサホウ王国の人種に近い者から帝国の人種に近い者まで色々。

 また、海を隔てた先にある島国の人種も混じっているという話も聞く。


 それでも、上がってくる報告書からは帝国か商工業国家の動向に不審点がある事が伝わってくる。



 コウシャン領の復興も一段落したが人口の減少は何とも出来ない。

 よその国の相手をしている余裕は無い、関わらないで欲しいのが本音だ。

 商工業国家と国境を接している領が何とかして貰いたい、東方辺境師団が常駐しているのだし王国の直轄領もある。

 商工業国家と王都の流通の中間地点となるコウシャン領は、言ってしまえばそれだけだ。



 大きく息をつき、執務室の椅子に深く腰掛けてこめかみに手を当てもみほぐす。


「全てが杞憂であれば良いのだがな」


 呟きが誰にも聞かれず響く。



■■■■



「黒い大地から離脱しろ!」


 声が響く。

 その前面にはリザード種の魔物が居る。

 森の中、不自然に開けた場所がある、そこに魔物がたむろしていた。


「隊長!

 リザード種、上位種が3、中位種が10、下位種が50!

 どれも やたらと速くて堅い、全く太刀打ちできないですぜ!」


 指示を出した男の側に戻ってきた男が報告する。

 下位種でバネのような強力な後ろ足と大きな口を持つコボルド、中位種で4足歩行のワニのようなトカゲのようなのリザード、上位種で2足歩行の大きな顎とを持つのトウ・リザード。

 どれも強力なあぎとを持ち、対応を間違えると一方的に蹂躙される危険がある、それが黒い大地の中だ。


「ちっ、情報として知っていたがここまで厄介だとはな」


 舌打ちをする。

 隣の男は周囲の仲間に黒い大地から出るように指示を続けている。


 目の前の魔物達に対して、こちらは剣士10、盾使い10、弓使い5、魔法使い5。

 5つのチームの混合で今回の現地調査に選抜された視察団の遊撃部隊だ。

 戦力としては領軍の先鋭部隊と同格、魔物の反乱では1チームでもこの数を相手に勝ってきた。

 それが黒い大地、これだけで傷一つ付けられない。


 ドカドカ!

 大地を踏みならす重厚な足音がする。


「応援に来たぞ!」


 この都市の領軍の兵士だろう、統一された重装備の兵が50人以上、魔物に対して突入を開始している。


「ばかやろう! 止まれ!」


 止まるわけが無い、判っているが怒鳴る。

 都市の近く、それも都市を管理する貴族の屋敷から見える場所、そこでの戦闘だ指揮系統として視察団の方が現場では上位権限があるが領軍の守る場所である、守らない理由が無い。


 領軍の兵士が黒い大地に突入する、リザード種の下位種が凄まじい勢いで飛びかかる。

 続いて中位種が黒い大地に沈むように姿を消して、兵士達の下から噛みつく。


 悲鳴が響く、必死に逃げようとするが、その上を飛び越えたコボルドが振り返り大きく口を開ける。

 混戦状態に入り助けに入る方法が無い。

 悲鳴と鎧がひしゃげる音が響く。


「くそっ、魔法使い!

 黒い大地に攻撃! 何でも良い兎に角 攻撃だ!」


 魔法使いが炎や岩の魔法を駆使して攻撃を始める、どれも洗練されては居ないが威力は凄まじい。

 強力な魔法攻撃の轟音が響く。

 中位種のリザードが魔法使い達に襲いかかる。


 黒い大地を出た途端に動きが鈍くなる。


「黒い大地から出た魔物だけ相手にするぞ。

 連中は口を開ける力が弱い、口を縛れ!

 噛みつかれるなよ、簡単に胴体ぐらい噛みちぎられるぞ」


 口に器用に紐が掛けられる。

 盾使いが盾を使って仰向けに転がす。

 もがいているところを尻尾を切り落とす、これで起き上がることは出来ない。

 強力な炎の魔法が炸裂する。


 パリン!


 黒い大地が割れる音がする。

 走ってきた、2足歩行のトウ・リザードが転んでもがく。


「黒い大地が消えたぞ、一気に討伐する!」


 視察団のチームが攻勢に出る、剣や盾に魔法の光が漂う、魔法使いの誰かが付与したのだろう。

 領軍の方は悲惨な状況だった。


 程なくして戦いが修了する。

 視察団も無傷では無かったが、それでも死者を出さずに済んだ。

 黒い大地の情報が回ってきたからだ、これが無かったら何人死んでいたのか。


 そして領軍の兵士は9割が死んでいた、一目でそう分かるほどにバラバラだ。

 残っていた兵士も四肢が無事だった者の方が少ない。

 うめき声がかすかに響く。


「なんで領軍の兵士には情報が回ってきていないんだ?」


「さて、こればっかりは都市を管理する貴族様に聞かないと判りませんね」


 ようやくやって来た領軍の後方支援の兵士達が惨状に唖然としている。

 領軍の兵士の隊長だろうか? 馬に乗って視察団の男に問いかけてくる。


「一体何があったというのだ、なんで兵士達だけが死んでいる?」


「それは此方の方こそ聞きたい。

 現場の指揮は我々の方が優先だ、突入を止めたのに無視した、その結果がこれだ」


「……突入を指示したのは私だ、ここは我々が守る場所だ後れを取るわけにはいかない」


「黒い大地の事については情報が来ていなかったのか?」


「信頼できる情報か不明ただった」


「確認もせずに無視するなよ、何人死んだんだかな」


「……」


 両軍の隊長は無言で帰って行ってしまった。


「ちっ」


 立場や名分があるのは判る、だか兵士を無駄死にさせて言い訳が無い。

 気分が悪くなる。



「リーダー、こっちを」


 呼ばれて移動する。

 黒い大地が発生した中心らしき場所。

 そこに案内される。


 1つの塊のような物が有る。

 芽キャベツの様なブロッコリーの様な、それでいて表面は両生類を思わせるヌメッとした質感だ。

 そして、うごめいている。


「何だこれは?」


「根元をご覧下さい」


 根元には痩せこけたコボルドが居る。

 どんどん干からびていき、そして塊も含め見る影も無いほど痩せこけて干からび、そして崩れて消えた。


「最初に発見したときには、この回りに付いていた小さい丸い塊のが、コボルドが丸まっているように見えましたぜ」


「魔物は植物なのか?」


「さて、この情報は聞いていませんな」


「なぜこうなった?

 判るか」


「判りませんな、こういうのは頭の良い人達に任せましょう。

 情報をまとめます」



 視察団の隊長は、痕跡も無くなったその場所を見つめながら、言い知れない不安感を感じる。


「魔物の氾濫は、終息どころか未だ始まったばかりなのかもな」

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