第265話 研究所「タナヤ」

 北の森の視察を終えて、馬車でコウの町へ戻る。

 ユックリした出発なので、昼食を食べてからだ。


 北の森へ来た道を戻り、コウの町の北の門を抜ける。

 守衛さんが御者をしているので止められることも無く入る。

 そして次の壁の間にある道を使い西側へ回る。

 見慣れていて、久しぶりに見る風景にソワソワしてきてしまう。


 塀の内側に広がる牧場と畑は新緑がまぶしく気持ちいい風が吹く。

 雨の年が過ぎて、晴れの年に入っている、そのせいか晴れた日が多い。

 改めて、この国のある地域は約5年周期で雨の年と晴れの年がある。

 1年を通して、雨が多めか晴れの日が多めという違いでしか無いけど、栽培する野菜や流行する病、洪水や干ばつの災害の発生と色々対応が必要になってくる。

 畑の様子も私の知っている様子とは少し違う気がするね。


 2番目の塀をくぐる。

 心臓が大きく跳ねる、宿屋タナヤが見えてきた。

 魔法学校へ行く前、5年前から変わっていない。

 馬車を敷地の中に入れる。

 まだ護衛の守衛さんが居るので平静を装う。

 手を貸して貰い中庭に降りる。

 宿から人の気配はするけど、出てくる様子は無い。


「ご苦労様でした、視察は無事に完了できました。

 今日から数日で英雄マイと親しい人たちから話を聞く予定ですので、よろしくお願いします」


 守衛の2人が姿勢を正して向き合う。

 研究所の護衛もしている人たちなので慣れた感じだけど、馴れ合わない一線は引いている。


「はい。

 了解しました、何かありましたら隊長と部隊長づてに指示を下さい」


 隊長はギムさん、コウの町の守衛のトップだ。

 守衛の幾つかの舞台の1つの部隊長、でも事実上の副隊長をしているのがブラウンさん。

 ブラウンさんは今日はこのまま宿屋タナヤに一緒に泊まる予定だね。


 守衛の2人が馬車に乗って帰って行く。

 その姿が見えなくなり、周囲に人が居ないことを探索魔術を使って確認する。

 そばに居たシーテさんが私の背中を軽く押す、シーテさんも確認して問題ないと判断したんだ。


 私は、駆け出して裏戸を開ける。

 目の前にフミが居る、タナヤさんもオリウさんも。

 フミに抱きつく、フミも抱き返してくれる、身長差からフミの胸に顔が埋まる。

 タナヤさんもオリウさんも抱きしめてくれる。


 しばらくは、ただ泣いた。

 ただいま、そう泣きながら何度も言ったと思う。

 落ち着いてきたときには、ぼーっとした感じでフミの膝の上に抱きかかえられていた。


「マイちゃん、研究所に来てからずっと気を張っていたから、疲れちゃったのかな?

 重くない、変わろうか」


 シーテさんの声だ。

 私は気を張っていたのかな?

 よく判らない。


「大丈夫です、シーテさん。

 でも、マイは本当に魔導師様になれたんですね」


「ええ、かなり例外だけどね。

 そのせいで研究所に軟禁よ、折角コウの町の近くに来れたのに、研究所の敷地から出ることも許可が必要になっているの。

 これじゃ、魔術師で冒険者になった方が自由だったわね」


「マイの夢でしたから、魔導師になりたい理由は分かりませんが、今はユックリしても良いんじゃ無いでしょうか?」


 ふと、厨房から良い匂いがしてきたのに気がつく。

 タナヤさんが料理をしているのかな?

 もぞっと頭を動かして、フミを見る。


「ん、起きた?」


「んー、ん?」


 頭が回らない、フミの柔らかい胸が心地良い。

 無意識にフミに抱きついてしまう。

 頭を撫でられる、喉も撫でられる。


「んん、んー、くはぁ」


 あくびが出てしまう。

 こんなに無防備になったのは一体何時ぶりだったか。

 誰かの微笑む声が聞こえる。

 だんだんと意識が浮上してくる。


「ん? フミ?」


 身体を起こすと、フミの顔が直ぐ近くにある。

 目が合う、優しいけど力強い目だ、私とは正反対の暖かい目。

 その目に吸い込まれる感じで見とれてしまう。

 吸い込まれる、顔が近づく。


「マイさん」


 ブラウンさんの声で、我に返る。

 何しているんだ私。


「あ、ごめんフミ。

 重かったでしょう、あとえと、あー」


 どういう状況か判って、顔が真っ赤になる。

 うわあ、なにしているんだ私。

 フミが力強く抱きしめてくる。


「お帰り、マイ」


「はい、ただいま、フミ」


 私も力強く抱きしめ返し、そしてフミの膝の上から降りる。

 ちょっと残念だけど、流石に恥ずかしい。


「おう、そろそろ夕食にしようか」


 タナヤさんが厨房から顔を出して言う。

 もうそんな時間か。


 居住スペースの居間で食事をするらしい。

 宿屋タナヤの3人に、私とシーテさんブラウンさんの6人だけど、問題は無い。


 私もフミと一緒に厨房から料理を机に運ぶ配膳の手伝いをする。

 オリウさんが「座ってな」と言ってくれたけど、むしろ身体を動かしたい気分なので、無理言ってやらせて貰った。

 魔導師、中位貴族相当の私が配膳するのは非常に問題があるのだけど、この場では関係ない。

 シーテさんは、ブラウンさんと何か話をしているけど、私を見ると笑ってくれる。

 ブラウンさんは苦笑だ。


 オリウさんとシーテさんが、配膳した料理を取り分けたりしてくれている。

 品数は少ないけど、どれも趣向を凝らしていておいしそうだ。

 魚の包み蒸しもある、楽しみだね。

 料理が運び終わった所で、熱した葱油を蒸し魚に掛けて皮目に香ばしい揚げ色が付いていく。


「さあ、食事にしよう」


 タナヤさんの言葉で食事が始まる。

 やっぱり美味しい、フミも下ごしらえを手伝ったそうだ。

 今ではタナヤさんと一緒に料理を作っているそうで、明日はフミが主で担当するという。



 今でも元視察団の皆が集まって食事会をしているそうだ、現在活動中の視察団の人たちからの情報の共有も兼ねている。

 黒い雫が大地を黒く染める現象については、まだ戦える人を限定に公開しているそうで、実際にどの程度の被害が出ているとかの情報は回ってきていない。

 先王様の各領主への遊説はかなり効果があったらしく目立った反抗的な対応は減っているそうだ。

 コウシャン領がある国の東側の各領地の情報で、他の地域についての情報が無いので半分以上推測だ。

 先王の遊説は今も続いている、だいたい1年ごとに王都に戻っているそうだ、この辺の情報についてはここ数年は王国の東側を中心に遊説していた事から判る。

 来年以降は西側で情報は入ってこなくなるだろうとのこと。


 宿屋タナヤだけど、店員となっていた人が3人目の子供を妊娠したことで、今は以前と同じ3人で回している。

 英雄マイが定宿としていた事で一時は観光目的の宿泊客が増えたけど、今は落ち着いているそうだ。

 コウの町以外では英雄マイは過去の人になっている。

 ただ、コウの町では今も神聖視していて、生まれてきた子供にマイの名前から連想される名前を付ける事が多いそうだ。

 それだけに、同名の私は同じ時空魔術を使うことから微妙な位置にあって、生まれ変わりとか偽物とか色々噂が出ている。

 町長から別人である事が公示されているので、表だって言う人は居ないけど。


 食後、宿の部屋に移動して本来の目的をする。

 宿屋タナヤの人たちに英雄マイの事について聞き取り調査をする。

 まあ、私が魔法学校に行っている間の事を確認するだけなんだけど。


 一時的に忙しくなっている間、役所から店員の増員を提案されて、雑用中心で行う男性が一時的に働いていたとのこと。

 役所としては、フミに未だに結婚相手が居ない事を問題にしていて、送り込んだ男性も結婚相手の候補だったらしい。

 人柄や能力も慎重に吟味したのだけど、男性優位思想が有ったのか、オリウさんに指示されるのに不満を持って度々衝突して今は辞めている。

 フミも宿屋タナヤを引き継いでいくために、連れ合いを欲しいとは思っているが結婚がイメージできないそうだ。


「うーん、なんかな? 結婚相手のイメージが出来ないんだよね」


「でもな、いい加減、孫が見たいぞ」


「良いじゃないですか、出会いというのは突然ですよ」


 フミの言葉にタナヤさんが溜息をつく、オリウさんがなだめる。

 何時もの雰囲気だね。

 フミは宿屋タナヤを継ぐ決意を持っているし、その資格は十分にある。

 料理の腕はたまに一人で任されるほどだし、宿屋の経営の為の知識も十分だ。

 町としても宿屋タナヤを存続させていきたいので、色々考えているみたい、フミの後継者も考えて若い調理人と店員希望の子供を無償(給与は町から出る)で働いて貰う方向で動いているようだ。

 フミが結婚しない可能性も考えているようだね。



「そういえば、タナヤさんとオリウさんの出会いはどうだったんですか?」


「あ、私も聞いたことがない、知りたい」


 ふと疑問が湧いて聞いてみた。

 フミも知らないみたいだ。


 真っ赤になるタナヤさん。

 オリウさんはニコニコしているだけだ。

 ものすごく気になる、フミも気になるようでオリウさんに聞いているけど、躱されている。






「そのうちな」


 ぶっきらぼうにタナヤさんが呟いた。

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