第257話 研究所「収納空間」
研究所の一日が始まる。
今朝も、ナカオさんが下ごしらえしておいた朝食を取る。
といっても、パンとスープにサラダ、そして果実水。
スープを用意してくれた具材と香辛料を入れて煮たぐらいで、料理というほどじゃ無い。
シーテさんに今日は終日 研究所で討論を行うと告げておく。
朝の守衛さんの交代の時にナカオさんも一緒に戻ってきた。
小型の荷馬車で交代の守衛さんと話しながらだ。
最近来る守衛さんは年齢が高い人が多くなった。
これは、私とシーテさんに配慮してかな。
買い出しの荷物を守衛さん達と一緒に運び込む。
一番重いのは薪だね、温かくなってきて暖房に使う必要は無くなったけど、料理には必要だ。
台車に乗せて倉庫に運び込む。
ナカオさんに今日の予定を告げる。
「ナカオさん、今日は終日 研究室に居ますので、何かありましたら呼んで下さい」
「はい、わかりました。
飲み物を用意しておきますね」
ナカオさんがにっこり笑って答えてくれる。
守衛さんが交代して、小型の荷馬車で町に戻っていくのを見送る。
守衛さんは今日は畑周りを手入れしてくれるそう、ある程度は自給できるように畑があるけど、農作物を作った経験は無いので経験がある守衛さんが来たときにお願いしているのが実情だね。
いずれは自分でもある程度は出来るようになっておきたい。
研究室に入って、ナカオさんの用意してくれたお茶を飲みながら、シーテさんと今日の予定を話す。
「シーテさん、今日は転移とそれに関する魔術をテーマにしようと思います」
「マイちゃん、それって大丈夫なの?
秘密にしたい内容だと思うのだけど」
「シーテさんは存在を知っていますので、隠す必要は無いです。
ただ、記録したノートは当分非公開にしますが」
「了解したわ、私も転移がどうやって実現したのか興味があるの」
シーテさんが私の横に座ってノートを取る準備を始める。
私たちが討論する時は並んで行うことが多い。
ノートの冒頭に日付とテーマを書き込んでいく。
「では、まず私の転移ですが、書籍等に書かれている転移とは異なると思われます。
時空魔術を応用して実現しているのが理由ですね」
「時空魔術で転移なの?
うーん、似た現象だと遠距離での取り出しかな」
「はい、その応用です」
「ん? 一寸待ってマイちゃん。
それだと時空転移での転移は自分自身を収納して取り出しているの?」
流石だ、詳しく説明する前にその答えまで行き着けるのはシーテさんだからだろうね。
時空魔術の勉強もしているそうだから。
「はい、私は自分自身の収納空間に自由に出入り出来ます」
「そうなるわよね。
それだけでも凄い事だけど。
でも、なんでそんな危険なことをしたの?」
私は北方辺境師団に居た頃の、北の最前線の砦で起きた事故について話す。
焼き落とした際に砦に取り残されたこと、収納空間に逃げる以外に脱出の手段が無かったこと。
そして、砦から要塞まで帰る際に時空転移を偶然発見して、そのおかげで生きて帰れたこと。
これらを語った。
私の故郷の村の話はしなかった。
「ふーん、必要迫られてね。
仕方が無いとはいえ、本当に危ない賭だったわね。
でも、そうなると北の森でオーガ種と戦ったときに逃げなかったのは何でなの?」
やはり聞かれてしまった。
そうだよね、魔物の氾濫の時、北の森での戦いで私はオーガ種に囲まれた時、収納空間に逃げるのが一番正しい行動だった。
「それは、判りません。
オーガ種に囲まれた辺りからの記憶が殆ど無いので。
あの切断をした魔法が行使できたことで、何か戦いを選択した理由が出来たのかもしれませんね」
「覚えていないんじゃ、怒るに怒れないわよ。
でも、何となくだけど、何でマイちゃんが最後まで戦おうとしたのかは判ったわ。
収納空間に逃げるという手があったからなのね」
「ええ、そういう事です。
逃げるところを見誤ってしまったんですね、多分」
そうだね、何で収納空間へ逃げる手を、手足が切り落とされるような危機的な状態になるまで使わなかったのだろう?
思い出せない。
うん、この話題はここまでにして元に戻そう。
「時空転移に話を戻します。
私の時空転移は自分を収納して遠隔取りだしを行うことで実現しています。
なので、遠隔取り出しが可能な距離がそのまま転移の距離になりますね。
現状の能力は検証していないので判りませんが、当時は30メートルが実用ギリギリ、50メートルで数時間は動けなくなりました」
「うーん、転移を使える魔術師も魔法使いも現在確認されていないから何とも言えないわね。
所でマイちゃん、私も収納空間に入れるの?」
「やっぱり気になりますか?
正直に言うと、判りません。
群れウサギやイノシシの子供で試して上手くいってはいます。
条件は拒絶しない事のようですね。
ですが人間で試したことはありません。
何時か、試しても良い人間を用意できたら試すつもりです」
試しても良い人間、どんな人だろうか。
犯罪者で死刑が確定している人?
盗賊とか敵対している人?
死にかけで助かる見込みの無い人?
うん、試せるのは何時になるのか判らない。
「じゃ、早速入りましょ」
ん?
「えっと、何処にですか」
「マイちゃんの収納空間に決まっているでしょ」
思わず立ち上がり、顔の位置が大体同じ高さになったシーテさんに詰め寄る。
心がざわつく、何でこんな事を何気なく言うの?
「シーテさん、これは命の危険があるんですよ。
無事に収納できても精神に影響が有るかもしれませんし、取り出せない危険だってあります」
「で、それを確認するための人員を確保するのは、事実上無理よね。
だったら試してみるしかないじゃない」
試してみるしたない、じゃない。
もし失敗したらシーテさんが私の収納空間の中で死んでしまう、とても了承できる事じゃない。
大切な人の命を危険に晒す、そんなのは嫌だ。
気が付いたら、泣いていた。
頬に違和感を感じて、それに気が付いた。
シーテさんが私を抱きしめてくれる。
私は、声を抑えるのが精一杯でただ震えて泣いている。
「ごめんなさい、でも私はマイちゃんを信じてるわ。
だから、大丈夫。
もっと自信を持って」
それでも、頷くことが出来ない。
自分だけならどうでも良い、苦しむのも死ぬのも自分の責任だ。
でも、でも、他の人の命を預かるなんて事は私には出来ない。
シーテさんは私の頭を優しく撫でてくれている。
少しだけ落ち着いてきた。
私はどうしたら良いんだろう。
私を信じてくれるシーテさんを信じる?
シーテさんは自分自身の危険を承知で言ってくれている、その言葉を信じられなくてどうする。
「……収納します」
「うん、お願いね」
私は意を決して、時空魔術を行使する。
目を閉じたままだ。
「うわー、ここが収納空間なんだ」
シーテさんの声で胸の中から顔を上げる。
慣れ親しんだ収納空間の中だ、周りには何も無い、クリーム色の空間の中に浮かんだ状態だ。
私は収納空間内に作った床と机を呼び寄せる。
足元が無いと居心地が悪いからね。
「シーテさん、体調に変化はありませんか?
気持ち悪いとか、呼吸がしにくいとか、動きにくいとか?」
「マイちゃん、心配しすぎ。
周囲の色が慣れないけど、それ以外は何ともないわ」
ふーっ、またシーテさんに抱きついてしまう。
まだ、体の震えが止まらない。
兎に角、シーテさんに何も無くて良かった。
「では、取り出します」
今度は研究室の中央に出る。
私はシーテさんを見るが、優しい笑顔で答えてくれた。
「本当に移動してる、収納空間に入ったのも転移したのも初めてね」
私は思わず、シーテさんの体を触り回って確認する、何処かに問題があってはいけない。
見た目では問題なさそうだ、あと話し方から何か精神的に問題も出ていない感じだ。
でも、長期的には?
本当なら、何度も検証して実績を積まないといけない、また不安が湧き上がってきてしまう。
「マイちゃん、くすぐったい。
大丈夫よ、体調に何も影響は出ていないわ」
「本当ですよね?
少なくても数日は体調の確認をしますよ」
影響が無い事を確認しないと、他の人を収納するなんて出来ない。
シーテさんが椅子に座ることを提案して落ち着く。
お茶を飲むけど、中々精神状態が戻らない。
昔に比べても自分の弱さを制御できてない気がする。
違うな、弱さを意識している余裕が無かったんだ、それに側にはフミが居てくれた。
シーテさんを信用しているけど、保護者として見られているんだよね。
研究所に入ることになって、当面は安定した生活が保障された、それが自分の危機意識を薄めてしまっているんだ。
色々考えているうちに、落ち着いてきた。
うーん、戦闘訓練をして貰おうかな?
「ね? マイちゃん。
次は何時 収納空間に入れてくれるのかな」
ガン
頭を机に打ち付ける。
そのままの姿勢でシーテさんを見ると、ワクワクしているのが見て取れる。
何だろ、心配しているのが馬鹿らしくなってきた。
ジトー、っとシーテさんを見る。
私がどれだけ心配したと思っているんだ、思いっきり泣いちゃったし。
私の視線に気が付いて、少しを視線を逸らしてる。
うん、これは危険より興味の方が勝ってしまっているんだね、判らない事も無いけど。
「うん、落ち着いたようね。
判ってるわ、体調の確認はしっかりするから。
でも、収納空間をもっと調べたいから、どんどん試していきましょう」
「本当に危険なんですよ。
私が初めて使った時も、それしか方法が無かったからですし。
時空転移もそうですが、検証が十分じゃないので、どんな副作用が起きるのかも判っていないです。
時空魔術に関する書籍を領都の学術図書館で調べたんですが、殆ど判らなかったんですよ」
「ふーん、学術図書館でも判らなかったんだ。
ここの領都の図書館は王都の図書館にも匹敵するほどと言われているわ。
これ以上の情報を得たいのなら、領主様や王室が持っている図書や禁書になるわね。
読める機会はまず無いと思うわ」
「ですね。
宰相様に時空魔術に限定して、より詳しい書籍の閲覧をお願いしたことがあるのですけど、2つの理由で駄目でした。
1つは、単純に知りたいという理由では駄目ということ。
もう1つは、読めないんです」
「読めないの?」
「ええ、禁書では無い書籍を見せて貰ったんですが、単語や文法が変わっていて意味が読み取れなかったんですよ。
昔の言葉使いだそうで、もう別の言語ですね。
禁書の殆どが500年以上前の物だそうで、読み方から勉強する必要が有ります」
そう、禁書に登録されている書籍は、領内の機密情報除くと古くから受け継いでいる書籍になる。
宰相様から読ませて貰ったのは、誰かの日記で昔の生活の様子を研究するために宰相様が持っていた物だ。
で、単語は幾つか判る、けどその単語の意味が変わってしまっている、そして言い回しが判らない。
昔の生活様式の研究は宰相様の趣味なんだそうだ、それで500年前の書籍を借りているのだから、私用も大概だね。
なお、宰相様から送られてくる書籍は手書きで写本した、かなり高価な物だそう。
貴族や高学歴者の内職みたいな物だそうで、貴族院や大学院の生徒が勉強を兼ねて行っている。
印刷は色々な方法が有るよ、けど印刷しないといけないほど大量に必要なものに限られている。
書籍を印刷しようとすると大事で、書籍の印刷は滅多に行われない。
その書籍の原版と印刷技術を保存していくのも貴族の大切な義務の一つだ。
魔法学校でも教科書が駄目になってくると、写本をする依頼が出ると聞いたことが有る。
私が在籍している時には出なかったのか、出ても他の生徒が受注したのか見てはいないね。
「そうなんだ、言葉って年が経つと変わる物なのね、実感出来ないわ」
「私もです、読めない理由を聞かされた時は何のことだか判らなかったですし。
あ、他の国も言葉は変わるのでしょうか?」
「ええ、近い商工業国家も使われている言葉は違うわね、だから他国と取引の有る商人は両方の国の言葉を使えるようになるのが必要らしいわ。
私も商工業国家の言葉は少しの単語なら判るわ」
他の国かあ、行く機会は有るのかな?
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