第65話 宿「会食」
宿屋タナヤ。
創業は、500年前の魔物の氾濫よりも昔からと言われている、コウの町の老舗の宿屋。
本当に、それだけの歴史があるのかは、誰も知らないけど、言った者勝ちというやつ。
コウの町には、幾つかの宿屋があるが、宿屋タナヤはその中でも小規模中堅で、常連の客を中心に、堅調な経営を続けている。
タナヤが作る料理の評判が評判で、わざわざ宿を取る人も多い。
宿屋によくある食堂兼飲み屋が無いのも珍しく、食事は各部屋に提供されて食べるこの形式も好まれている理由らしい。
その宿屋タナヤの一室。
「で、マイは大丈夫なのかい?」
宿の切り盛りをしているオリウが、帳簿をまとめながらフミに問いかける。
フミは、読み書きの練習だ。
「たぶん、大丈夫じゃ無い。
昨夜も、うなされていたし、左腕、酷いあざがあって痛そうだった」
「あざ? 昔からのじゃなくて?」
「うん、この前の依頼の時に怪我をしたんだと思う」
オリウは今朝を思い出す。そういえば、長袖の下着を脱ごうとはしなかった。
「あんまり、詮索しすぎるなよ。
話したくなれば話すさ」
名前を継いで、タナヤを名のっている家主のタナヤが、食材をまとめながら口を挟んだ。
「父さんは、マイが心配じゃ無いの?」
フミは、責めるようにタナヤに聞く。
この前の依頼は、森を案内するだけだったはずだ、なのに怪我をして帰ってきた。
本人は気が付かないようにしているつもりだが、気になって見ていれば痛みを堪えているの位は直ぐに気が付く。
「ここに流れてきた経緯は、最初の夜に聞いただろ。
そんな物を背負っているんだ、無理に話させるよりも、見守ると決めたはずだ。
今は、帰る場所を用意して迎えてやる、それが一番だと思う」
「それは、そうなんだけど。
なんか、何時も無理して、でもそれを隠して話してくれなくて。
どうしたら良いのかわかんない」
マイの事については家族で話し合った。
住み込みの店員にするというのも、その上で決めたことだ。
「おまえさんが、そばに居てやればいいんだよ」
オリウが、フミの肩に手を置いて、励ます。
「うん……」
フミは、書き取り練習用の板に目を落として、頷く。
理解は出来るけど、納得は出来ない。
マイが、この宿に来て、店員として住み始めてから、大分くだけてきたと思う。
笑い顔を見せてくれるようになった。
でも、笑った後、必ず寂しそうに遠くを見る姿を見ると、不意に何処かに行ってしまいそうで不安になる。
『マイ、今度こそ無理しないでね』
フミは、開け放たれた窓から外を見ながら、町長の館へ向かったマイの事を思った。
■■■■
無理だ。
お偉いさんとの会食なんて、全くの未経験だ。
前戦で士官との会食なら有るけど、殆ど上からの通達を集まった食事のついでにやっているだけで、マナーなんて関係なかった。
「ジェシカさん! 私に何させる気なんですか?
町長との顔合わせだけですよね?」
「前回の塊を運んだお礼もかねて、ゆっくりお話をしたいとのことです。
町長も元々、商人ギルドのマスターをしていた人で、マナーについては気にする必要は無いですよ」
いやでも、領主から町長を指名される様な人なんですよね。
ギルドマスターだった人ですよね。
嫌がる私を抱きかかえるように捕まえて連れて行くジェシカさん。
私の身体の事を思ってか、力を入れている様子は無いが、その気遣いがこちらが抵抗するのを躊躇わせられてしまう。
で、着きました。町長の館、の家。
「いえ?」
町長の館の奥の広い庭に、普通の一軒家があって、そのなんというのか、普通だ。
「町長一家は普段、この家で暮らしています。
館の方は、お客をもてなしたり、行事で集まる必要があるときぐらいですね。
今日も、ご家族と一緒に会食することになります」
ジェシカさんが説明してくれる。
少し緊張が和らぐ。
すると、家の玄関から、すこし小太りの中年のおじさんが出てきた。
「こんにちは、よく来られました。
どうぞ中へ」
案内してくれる。 服装は私服に近いけど、執事さんかな?
少し大きい、8人位座れる食卓がある部屋に通される。
家の内装もごく普通だ。 よく手入れされているのか、あちこちに花が生けてある。
椅子を引いてくれて、座る。
「ありがとうございます。 えっと」
言いよどむ、なんて呼べば良いのだろう。
「あ、失礼しました。 町長をしているコウです。
本日は、来て頂き感謝します」
町長でした。
なんで、町長自ら出迎えて案内しているんですか?
「あ、は、は、始めました、時空魔術師のマイです。
本日はお呼び頂きありがとうございます」
かみかみです。 カーっと顔が赤くなる。
ん? コウ。町の名前と同じ?
「町の名前と同じなんですね?」
「いえ、本名はジャズです、町長を任命されたので町の名前のコウを名のっています。
マイさんが住んでいる宿屋タナヤも同じでしょう」
コウさんの本名はジャズさんで、町長を任命されたときに町の名前を受け継いで名のっているそうだ。
宿屋タナヤと同じというか、この辺りの習慣らしい。
なので、ある程度 歴史があって大きなお店の店主の名前は、代々同じ名前が継がれている。
「あらあら、可愛いお客様ですね」
奥から、スラッとした中年の女性が出てくる。
ニコニコした優しい顔で、3歳位? の子供を抱いている。
まさかね。
「町長のコウの妻で、クリスと言います。 よろしくね、小さい魔術師さん。
この子はシイ、3歳の女の子です」
まさかの奥さんでした。しかも子持ちです。
子供の方は、よく判っていないのだろう、私の方を興味深そうにジッと見ている。
ジェシカさんも町長さんに、いやもうコウさんに椅子を勧められ座っている。
慣れている、つまり、私が驚くのを期待していたのか?
ジェシカさんをジト目で責める。
「ね、気にする必要なかったでしょ」
しれっと言うなぁ!
口元に人差し指を当てる、可愛らしく似合っているのが悔しい。
向かい合うように、町長のコウさんとクリスさん、そしてその横には子供用の椅子があって、シイちゃんが座る。
奥から、年配の家政婦さんが飲み物を持っては入ってくる。
町長との会食というイメージがガラガラ崩れていく。
「さ、まずは食事としましょう」
コウさんが言うと、先ほどの家政婦さんがカートに乗せた料理を運び込んできた。
どれも、ちょっと豪華に盛り付けては居るけど、普通の料理だ。
テーブルには、ナイフとフォーク、スプーンが一セットしかない。
本当に家庭の食事と同じだ。
あ、スープには専用のスプーンが添えてあった。
「今日は、妻も張り切ってしまいましてね、お口に合うと嬉しいのですが」
一瞬、飲み込んだスープが気道に入りかけて焦る。
奥さん何しているんですか?
料理をするのが、スキなんですよとか、手を頬に当てて言ってますけど。
うーん、うーん。
うん、考えるのはよそう。
「どれも美味しいです。
丁寧に料理されていて、心遣いが感じられます」
「そう言ってくれると、うれしいわ。
タナヤさんの食事を何時も食べているのでしょ、それには及ばないとは思いますけと」
タナヤさんの料理は確かに美味しいし、クリスさんの料理より洗練されている。
だけど、そういう問題じゃない。
「いえ、本当に心がこもっていて美味しいです」
タナヤさんも、宿泊客が居ないときは、家庭的な料理を作る。
その味と比べても遜色ない美味しさだ。
つい、美味しくてニコニコしながら夢中になって食事をしてしまう。
あ、会食だった。
「あ、すいません。食事に夢中になってしまって」
私が謝るが、みんなして私を見て微笑むのは止めて欲しい。
顔が赤くなるのが判る。
「いえ、妻の料理を気に入って貰えて、とても嬉しいですよ。
難しい話は後にして、まずは、食事を楽しみましょう」
その後、美味しい料理と、ここ最近のたわいのない話に盛り上がって美味しく食事をすることが出来ました。
会食ってこんなんで良かったっけ?
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