Episode 02:ヘテロセクシャル

 ぴったりしていないシャツに紺地のリボンタイ、臙脂色のカーディガン、黒のパンツ、ヒールのないフラットシューズ。仕上げの頭に栗色ミディアムボブ。

 オレは結局、【箱】で水落が見立てた服に文字通り頭からつま先まで着せ替えさせられた。

「ちょっと記念写真でも一枚」

「抜かせ」

 指のフレームを覗いてにやにやする水落にボディブロー。

 頭が浮く感覚がどうにも気持ちが悪い。後頭部を撫でつけながらオレはむっすりとラウンジ席に座り込んだ。

 約束の時間までもう少し。足組んで、煙草を唇に咥えたら、火を点ける前に取り上げられる。

「オンナノコなんだから、ちょっとはらしくしろよ」

 引っ手繰った煙草は、そのまま水落の唇で火を点される。

 更には膝に膝ぶつけられて、足を組むなと顎をしゃくる始末だ。

 何でこんな不自由な目に。言い掛けて、馬鹿馬鹿しくなってやめた。

 おとなしくなった、というか諦めきったオレを前に水落はそれでいいって感じで満足そうに頷いて、ソファの背にいつもみたくふんぞり返っていた。

 嶋谷は時間の十五分前に現れた。学生学生した前よりラフな私服で、多少印象が変わった。多分きっと、この人は上辺を繕うのが上手いタイプだ。そう思った。

「……似合うね。多少骨張ってるけど、違和感が少なくていい」

「はあ。センスは水落任せなんで、褒めるなら水落でドーゾ」

 嶋谷の視線は相変わらず好奇を隠そうともしていなくて、オレはじろりと水落を睨んだ。何が悲しくてオレは野郎を喜ばせるために女装なんてしてるんだよ。それもノンケの。うれしかねえよ。

 オレの不機嫌な顔を見ても水落は気にもしない。ウインクかまして立ち上がる。

「んじゃ、俺はお先に。"ヒロちゃん"独りで待たすには不安だったから来たまでだからよ。後はよろしく」

 すたこらさっさ、振り返りもしないで出て行く水落に嶋谷はありがとう、なんて真面目に返してやがる。誰がヒロちゃんだ、ばかやろう。背中に罵ってやりたかったけれど、嶋谷が対面じゃなく隣に腰を下ろしたことに気を取られてしまった。

 そっと、手の上に手が重なる。…無駄に慣れてる挙動。

 どういうつもりなのか、恐る恐る見上げた嶋谷の瞳は、感情を読ませない。ただ柔らかく微笑ってから視線を移し、バドワイザーを注文した。

「センパイ、……ホントにノンケなんですか」

 オレがそれを聞けたのは、ビール瓶が運ばれてさあ乾杯、といつものジュースカクテルのグラスかち合わせた後だった。つまり、あんまりにも時間が掛かった。

 その間中、気づいてるくせに気づいていないかのように手が重ねられたままで。ふつうにオレは動揺していたのだと思う。

 唐突な質問に、嶋谷は驚いてから、あっさりと笑った。

「抱けるかと言われたら無理だろうなあ。女であることが大事なんだろうね、だから、君にもこんなこと強要してる」

「じゃあ、センパイ本当はかなりの遊び人なんじゃないですか」

 水落との会話を思い出す。縁談を断るための口実に、態々女に頼めない理由は。

 そんなの、ひとつしかない。水落が言った通りに。

「………、そうかもね?」

 人の好さそうな顔して微笑う。瞳の奥はやっぱり読ませない。

 酒を入れた後で、それらしく楽しもうよ、と言われて街中を歩いた。しっかりと手は握られたままだった。人並のデート。ウインドーショッピング。服は見ないけど。

 別れ際、地下鉄の改札口で人目も気にせず唇を奪われた。

 呆気に取られているオレのフェイクの髪を撫で梳いてから、封筒を握らせる。

「楽しかった。また今度、会えるのを楽しみにするよ」

 嫌な顔をすることはなかったけど、複雑すぎる心境で、オレはただ黙って頷いた。

 じゃあね、とハグをひとつ。名残惜しささえ滲ませて、手を振り改札潜る姿にオレはある種の確信をした。

 間違いない、女を垂らし込んで来た男の挙動だ、って。

 性差を超えられないという嶋谷の言葉は、オレには重すぎた。別に、超えられると思っていたのでもないけど。その言葉は、ヘテロセクシャルたる人間の言葉はつまり、高橋の中にもあっただろう当然の価値観をオレに意識させた。

 別れは必然的だった。どうしたって、足掻いたってアイツも、嶋谷もただの男でしかないのだから。

 多目的トイレの個室で化けの皮を落としながら、どうしようもなくただ、そんなことが頭を占めた。




「一体どういうつもりだよ。あれじゃオレ、ノンケに手解きしようとしてるみたいじゃん」

 一限の講義が休講になったその日、オレは同じく掲示板を見に来た水落を捕まえた。

 第一声がそれかよ、という感じだったけど、数日考え続けて溜まったモヤは水落の顔を見た瞬間に暴発していた。

 構内の食堂へ連れ込んで、腕を組んでどっかと腰を下ろした。

 水落はいつもの涼しい顔で前に座って、透明プラ製ブリーフケースの中を整理しながら、軽く鼻で笑う。

「何があったって?」

「口実どころか、味見ぐらいに思ってンじゃねーのって話」

「構えすぎだろ、ボン。何のかんの考えねえで、稼げるとこで稼いでおけばいいじゃないの。せっかくのいい案件。……難しいこと言ってるか、俺?」

 ほら落ち着けよ、と取り出したいちごオレのパックにストロー挿して差し出して来る。いつも思うけど、水落が慌てるところなんて、あるんだろか。

 とにかく、文句を言わずにおられなかったオレはパックには一瞥くれるだけで話を続けた。

「あの人、堕胎経験あンだろ。…だから女じゃマズいって話」

 違うか? 違わないだろ。

 上目投げた視線に、水落が手を止めて考えるみたいに顎を撫でた。

 ふん、と納得するんだか息を吐いて、斜めにしていた体をオレに向き合わせる。真面目に応える気になったみたいだ。

「……俺は腐ってもあいつのダチだから、悪く言うつもりはないんだ。だけど、ボン、ひとつだけ言ってやるよ。孕ませる側が絶対悪なんてことは無い。世の中、男が悪い女が悪いってどっちか決め付けたがるけどさ、それぞれに事情があんだから、それを外から批難するのは無粋ってモンだよ」

「否定は、しないんだな」

「事実だからな。……けど、お前が負担に感じたってことは、案外、予想以上に嶋谷もキテるのかもな。軽く忠告はしておいてやるよ」

 「キテる」。この言葉の意味が、オレに入れ込むとかそういう類でないことだけはよくわかる。女に対して不信感が強くなってるってことだろう。

 だからって、じゃあ男なら孕まないしいいや、とはなるわけないだろ、なったらおかしいだろ、ってオレは思うけれど。嶋谷が何考えてるのかなんて結局のところは想像しかできないわけで。

 水落の言う忠告がどんなものなのかはわからないけど、オレは頷いてからパックを手元に引き寄せた。

「……ごめん、言葉選ばなくて悪かった」

 オレの言葉が無神経だったのには自分でも口にしながら気づいてた。目の前で仲のいい知り合いを悪く言われて、激情しない水落は、少なからずオレよりはずっと大人だった。オレの中で、いい加減でしかなかった水落に対する印象が変わった瞬間だった。

「ボンは、尖ったナイフみたいだな。けど、嫌いじゃないぜ、そういうの」

 煙草吸って来る、と言って水落は席を立った。すぐ戻るつもりなのか、ケースは置いたままで、離れ際、ぽん、と頭を叩かれた。

 構内は禁煙で、すぐ隣に喫煙ブースが併設されている。ガラス越しをしばらくの間、目で追って見ていた。

 思案巡らせるみたいに、虚空をぼやり見上げながら水落は煙を燻らせている。

 自分の中のガキっぽさが、嫌で仕方がなかった。

 一本を吸い終えるまでの時間がとても長く感じた。戻って来た水落は、ブリーフケースを拾い上げた。

「今晩、俺の部屋に来いよ。発散させてやるから」

「な、ンでそうなるんだよ…」

「なんでも。気に入らないか?だったら、俺の慰安に付き合うってことでもいい。嶋谷の件以来だろ、ご無沙汰じゃん」

 てっきり、水落は苛立ってるんだと思ってたオレは、普段通りにちょっとにやついた面持ちで持ち掛けられて思わず声が上擦った。椅子を半分立って見上げる水落の顔には、オレが断らないのを見据えた余裕があった。オレが、流されたがる性格なのを既に見抜かれている。

「……わかった。鍵開けといて」

 拒む理由が見つからない。けど、少し悔しくて半ばヤケ気味に返事をした。そんなオレを見て水落がオレの頭をわしわしと掻き撫ぜた。

「待ってるぜ」

 アデュー、なんて馬鹿っぽい挨拶投げる水落の背を見送る。

 入学の春からじきに三月。水落との関係は、ある意味では高橋よりずっと親密だった。気持ちの面でも、カラダの面でも。

 それでも、お互いが強く意識し合うことはないって、何故か言い切れる、妙な具合だった。

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