第14話 旅の始まり
その日は早くに目が覚めた。
別にあの夢を見たわけではなく。普通に、自然と、目覚ましが騒ぐ前に身体が起きた。
その理由は、きっと楽しみだったからだ。今日が。
いつも通り、朝の準備をして、コーヒーをいれて、キッチンに立って朝食を用意する。
時刻は6時前。みんなまだ起きてこない時間だ。ゆっくり用意しよう。
と、思ったのだが。
「お兄ちゃんおはよ」
玄関から1つの影。柚華だ。
「おはよ、早いな」
「うん、なんかね。顔洗ってくるー」
虚ろな目で洗面所に消えていく柚華。
追加でコーヒーをもう一杯。柚華も楽しみで早く目覚めてしまったらしい。
しばらくして戻ってくる。
「ほい、柚」
「ありがと」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
無言の空気が流れる。青葉はキッチンで野菜を触っていて、柚華はのんびりコーヒーを飲んでいる。
緊張感のない、安らぐ沈黙。それを破ったのは柚華だった。
「なんか、久しぶりじゃない?」
「何が」
分かってるけど聞き返す。
「二人だけなの」
「ま、そーだな」
最近はいつも紅葉がいた。もう既に、紅葉のいる毎日が日常なのだ。柚華と二人の日常はもう過去になった。
この懐かしさは、いい懐かしさだと思う。
「お兄ちゃんはさ」
「ん?」
「・・・・・・・・・やっぱ何でもない」
「そうか」
「ん」
おもむろに聞こうとして、やっぱやめると柚華。表情で、いや空気で、何となく何を聞きたいのかが予想できた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・母さんのことか?」
「っ!」
長い沈黙の後、確信に触れた青葉。そうも反応されてしまえば、正解だったと嫌でも気づく。
仕方なくこっちから聞いてみたのだが、いらない気遣いだっただろうか。
「な、なんで?そんなの、これまで聞いたことなかったじゃん」
「制服着るくらいには成長したからな、そろそろ聞いてくるかと」
これまで、そういう話を柚華はしてこなかった。きっと、大人らしい気遣いだったのだと思う。
でも、勇気を持って聞くこともまた、大人らしいと言える。当事者なのだから、そろそろ話してもいい頃だ。
「・・・・・・・聞きたいわけじゃないよ。ほとんどもう知ってるし」
「まあそうだな」
言葉にすれば簡単だ。父さんは事故で死に、母さんはそのせいで自殺した。以上。
複雑すぎる感情を見ずに事実だけを並べればこんなものだ。
さっき言わなかった続きを、柚華が話し始める。
「お兄ちゃんはさ、お母さんのこと、もう許したの?」
「は?許すわけないだろ」
即答だった。考えるまでもない話だったから。
自分らを残して死んだ母さんを許せだなんて、あの経験をしたとて無理な話だ。残される側の気持ちをわかっているのだから、なおさら。
でも、柚華が聞きたいのはそれじゃなかった。
「・・・・・・・自分のことは、許した?」
「・・・・・・・許してない」
これもまた、考えることではなかったのに、即答できなかった。きっと柚華がそれを言い出してくると思ってなかったからだと思う。
そして、自分の言い間違いに気づく。
「いや、許してないというより、許せない、だな」
「・・・・・・・後悔、してるんだ」
躊躇うように言う柚華。
だけど、それもまた愚問だと思う。でも、それを分かってても、柚華は聞きたいのだ。
「僕が動けば母さんは助けられた。後悔しない方が変だろ」
それを夢の中で実証させられたのだ。嫌でも知りたくなかった事実で、でも知る以外の道はなかった。
乗り越えたといっても、その実あまり変わっていない。後悔も、恨みも。
目を逸らさずに、認めたという点だけ、自分の中で変わったと思える。
「・・・・・・・ごめん、こんなこと聞いて」
「いいよ別に。柚も許してないんだろ?」
カウンター気味に聞く。
「・・・・・・・うん」
「それでいいんだよ。そう簡単に、というか一生許せることでもないし」
弁解もいいわけも、名誉回復もできない相手だ。死者は何もできないのだから。
「だけどさ、知ってるか柚」
「え?」
「親子の縁って子供からじゃ切れないんだってさ」
「そうなの?」
「テキトーに言った」
「なんでこんな話してんのに、そんなにもお兄ちゃんなの」
呆れた様子で言う柚華。誰のせいだと心の中で言いながら、無視して続ける。
「だから、自慢しながら生きるくらいでいいんじゃないか?親いなくても優秀な中学生やってんだぞーってさ」
「さすがに友達に話せる話じゃないよ」
「確かにな」
青葉とて高校でこの話をしたことはない。当たり前だな。
「ま、あんま考えない方がいいぞ。考えるだけ無駄だし、考えるのがもう面倒くさいだろ」
最近考えるきっかけがあって、余計にそう思った。考えるのにもカロリーを使う。
「うん。ほんとごめん、こんな話」
「全くだな」
「朝にする話じゃなかった」
それだ。朝起きて1番にする話じゃない。
「でも、2人の時しかできない話だったんだろ?」
「まあ、そうだよ」
紅葉がいる中でする話ではない。最近は、紅葉が遅い日には部活を入れていて、柚華と二人という時間があまりなかった。
「紅葉さんになら、聞かれてもいいけどな」
「いいけど、紅葉さんは聞きたくないでしょ」
「そーかなぁ。優しい紅葉さんは微笑んでくれるって」
「お兄ちゃんは紅葉さんの優しさに甘えすぎ」
確かに柚華の言う通りだ。百瀬も言っていた。聞かない方がいいと。聞かせたけど。
「お兄ちゃんはさ、紅葉さん好きなんだよね?」
「柚は好きじゃないのか?」
質問を質問で返す。
「んなわけないじゃん!」
「同じ答えだよ」
「いや違っ、そうじゃなく、」
「おはよぉ」
青葉と柚華の話は、気の抜けた一声で中断された。
「も、紅葉さんっ!おはようございます」
「紅葉さんおはよ。まだ早いよ?」
言いながらキッチンに移動する青葉。
「二人も起きてるじゃん。楽しみで起きちゃったんだ」
「柚はそうらしいな」
「お兄ちゃんもでしょ!」
「僕はそんな子どもっぽくない」
堂々と嘘をつく。いや、嘘ではなく、ただ単に朝早いから早く寝て、早く起きただけだ。
「じゃあ私も違うもん!」
「紅葉さんがいないとこで、僕と二人だけで話したいから早く起きたんだよな」
「ちょっ!」
正直かつ簡潔に事実を述べた。これは100点だな。
「なになに、恋愛相談?柚華ちゃん」
「え、っと、いえ、お兄ちゃんの恋愛相談です!」
「母さんの話を少し」
誤魔化す必要もないので、普通に紅葉に事実を伝える。
「なるほどね。青葉も色々あったしね」
「そのことは話してないんですけど」
「え?」
「色々?」
わざわざ柚華に話すことでもないので話してなかった。話してもいいけど、話したところで何にも変わらないから。
そして、一から話すのも面倒くさい。
「まあとにかく、早く起きて良かったじゃないですか。どーせ荷物できてないんでしょ?」
紅葉にコーヒーを渡しながら決めつけたように言う。柚華にも、紅葉にも。
「できてるよ」
「できてるに決まってんじゃん」
「じゃ、早めに出ますか。買い物行けるし」
「お兄ちゃんほんとにできてないと思ったの?」
「半分冗談だ」
避難するような柚華の言葉を華麗に躱す。「半分思ってんじゃん」と、本人は不満をこぼしているが。
「でも、早めに出るのはいいね〜。ササッと準備しちゃおっか」
スマホをいじりながら紅葉が言う。
「朝食食べたらね」
「うん!今から楽しみ、京都!」
そう、今日は5月3日。火曜日。今日からの3連休を使って京都旅行に行く。
きっと楽しい休暇になる。
「楽しみで起きてきたのは紅葉さんか」
「もちろん!サプライズもあるしね!」
「ん?」
「さ、ご飯食べよ〜」
スマホを傍らに置いて紅葉、やけに上機嫌な様子で笑う。それが逆に不安になって。
それと一つ。紅葉のスマホが2回ほど諦めを含んで鳴ったように聞こえたのは、何も知らない今、やはり気のせいだったのだろう。
「と、いうことで!新メンバーの楓ちゃんでーす!」
「なんですかそのテンション」
元気よく紹介された篠崎。この二人こんな仲だったろうか。
どうあれ、紅葉が言っていたサプライズはこのことだったらしい。
「どうも、おはようございます。青葉君、柚華ちゃん」
「お、おはようございます!」
「ども。すみません、聞いてなかったんで驚きました」
緊張気味な柚華には伝えておいた方が良かったんだけど、仕方ないな、紅葉だし。
「私も何も聞いてないんですが、今日は朝から何しに?」
「・・・・・・・まじですか」
まさかの篠崎にも。
そこまで何も言っていないとは思わなかった。何も聞かずにこんな早くから来てくれる篠崎の人の良さが良心に刺さる。
結んだ玉から垂れる髪を揺らして、紅葉が元気よくプランを伝える。
「えー今日から三日で、京都旅行に行きまーす!」
「・・・・・・・・・は?」
「紅葉さん・・・・・・・」
これはもう頭を抱えるしかない。今回ばかりは紅葉の味方はできないな、これ。
「二泊三日で京都旅行だって。聞こえなかったの?」
「・・・・・・・聞いてないんですが」
「だからサプライズ!びっくりしたでしょ!」
篠崎の声が怖くないのか紅葉、まだ嬉々として語っている。
「なんで、呼んだんですか?」
「だって京都だって広いから。車、必要でしょ?」
まさかの移動要員。普通はそういうの言わないんだよ紅葉さん。
「・・・・・・・着替えとかないんですが」
「「「・・・・・・・・・」」」
篠崎の一言で、三人の沈黙が流れる。いや、正しくは紅葉の沈黙だけど。
当の本人で、この問答の原因でもある紅葉は固まったまま。テンションそのままで、笑顔そのままで、言葉だけが止まっている。
冷たい沈黙を経て、紅葉の笑顔の輝きが増す。てへぺろ、という効果音の幻聴とともに。
「・・・・・・・忘れちゃってた」
ガシッ!!
とでも聞こえたかのようにまたもや錯覚する青葉。篠崎の手は容赦なく紅葉の顔面を掴んでいた。
「いたいいたいっ!ちょ、楓楓いたいいたいって、暴力反対ぃ!!」
「自分の分は持ってきておいてなんで忘れてるんですか」
静かに揺らめく篠崎の怒りはやっぱ怖い。
まあでもこれは、完全に自業自得だ。青葉だけでなく、あまりそういう目を紅葉に向けることのない柚華も、呆れ顔で紅葉を見ているのがすごい。
助け船とは違うが、とりあえずどうにかしないと。
「篠崎さん、本当にすみません」
「いえ、お見苦しいところを。悪いのは全部この馬鹿ですから」
「馬鹿じゃないもん、大学行っていたいいたいっ!」
篠崎が力を入れたらしく、大げさに痛がる紅葉。いや、大げさじゃ、ないのか。
「というか、先生から話きた時点で、青葉君に確かめとくべきでした。きたの昨日だけど」
「青葉ぁー助けてー」
「・・・・・・・無理して付き合ってくれなくて大丈夫ですから」
いつもならしないけど、今回ばかりは紅葉の助けは無視だ。
「待って!もう車レンタルしちゃってるから駄目だよ!」
元々助かる気はないらしい。
だがそれは無視して、青葉に応じてくれる篠崎。
「こちらにも非は・・・・・・・ないですけど」
「ないですね」
「でも、ここまできたら私も行かせてください。あと服買わせてください」
「いいんですか?」
「まあゲームと買い物の予定しかありませんでしたので」
どうやら、快く同行してくれるようだ。紅葉の頭も放してくれた。
青葉が提案したこの京都旅行。始まりから波乱で少し心配だが、まあそんな心配も、楽しめばすぐに吹き飛ぶだろうと、楽観しておいた。
「あそうだ、柚華ちゃん、青葉!お菓子かっとこ!お菓子!」
「そうですね!」
いつもより数歳精神年齢が低い紅葉が、柚華とともにテンションをあげている。微笑ましい限りだが、少しはわきまえるべきだと思う。
「子どもですか二人して。二人で行ってきてください。篠崎さんと待ってるんで」
「ほいほーい」
ため息混じりの一言も気にせず、そのままのテンションでお店に向かってしまった。
残される篠崎と青葉。篠崎が先に話してくれる。
「青葉君は行かなくていいんですか?」
「まああのテンションじゃ」
目立っていないとは思うけど、気にならないと言えばそうではないと思う。
「青葉君はそういうの気にしないと思ってました」
「僕はそうですけど、篠崎さんは違うでしょ。篠崎さん一人で待たせるわけにはいかないし」
青葉は気にしない。1度気にする余裕がなくなってから、無為に気にして楽しさが減るなら、気にするなんて馬鹿らしいと思えるようになった。もう自分は普通ではないのだし。
だが、普通の人は違う。他人の目を気にしないようにし続けるのは意外と難しい。気にしないと意識してる時点で気にしているのだから。
あれほど失礼なことを紅葉がしでかしてしまったし、一人で待たせるのは気が引けた。
「青葉君も、自然にそう言えるんですね」
「はい?」
「優しくないってことですよ」
微笑みながら言う篠崎。確かに優しくしようとはしてなかったけど。
「それ、言うこと合ってます?」
「合ってますよ。自覚なしで人に優しくできるのは、すごいことですから」
「・・・・・・・・・」
自覚せずに、か。優しくした覚えはないし、対して優しいことしていないと思う。
優しくすると意識しないから、『優しくない』か。
でも、篠崎がそう言ってくれるのなら、それはきっと。
「・・・・・・・僕のは、真似してるだけだけど」
「それでもいいと思いますよ。そのオリジナルは、自覚なしに人を怒らせもしますから」
「・・・・・・・そう、ですね」
弁明の余地なしだ。
だがしかし、篠崎との会話はすごくストレスがなくて話しやすい。言っている言葉の裏まで読んでくれるから、話しやすいのだと思う。流石編集の仕事をしているだけのことはある。
二人並んでベンチに座る。荷物も置いて、その荷物で思い出す。
「あ、篠崎さん、洋服大丈夫なんです?」
「まあ向こうで買いに行きます」
「そう、ですか。すみません無駄な出費を」
「社会人からしたらそうでもないですよ」
そうなのかもしれないが、それでも申し訳なく思ってしまう。払うなんて言い出せば、篠崎が困るだろうから言わないけど。
こっちの心境を読むように篠崎。
「あまり気にせず。紅葉先生には言えませんが、実は結構楽しみですから」
「そうなんですか?」
「旅行久しぶりですし。ちょうど休み3日あってよかったです」
「その辺も確認してなかったんですね」
今日は朝からよく呆れる。でも、優しい笑みをこぼす篠崎が、気を遣っていているわけではなさそうで、少し安心した。
「ところで青葉君、小説の方は進んでますか?」
「あまり、ですねー。最近大変で」
「やっぱ新生活は疲れますか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
新生活だからっていう原因かもしれないけど、さすがに新生活のせいにはできない理由がある。
全く進んでいないわけではないけど、正直言って良い進捗具合とは言えない。
「ん?何かトラブルでも?」
「お待たせーおふたりさーん!」
会話が中断されて、声の方へ。腕を振っている紅葉と柚華が戻ってくる。
「あっと、長くなるんで後で」
「・・・・・・・ええ」
「何話してんのー?」
「紅葉さんのこと謝ってたんですよ」
他の話もしたかったけど、思ったより帰ってくるのが早かった。
でもきっと、これから話す機会なんていくらでもあると思う。
「楓は怒ってないって。ね?」
「先生は反省してください」
「先生じゃないもーん、今はただの女の子だもーん」
「じゃあ紅葉さんでもないじゃん」
「それは言わない約束!」
紅葉はもっと反省した方がいいと思う。というか、今日の紅葉のテンションの高さが気になるのだが。
それを聞く前に、一声かけて紅葉が先に進んでしまう。
歩きながら聞こうと思ったのだが、その前に篠崎が動く。
「青葉君」
「ん、はい?」
さっきの続きを聞かれると思った。柚華にも言ってないからここで話すのは難しいのだが。
でも、要件は全然違った。
「私のことは楓って呼んでください。こちらも下の名前で呼んでるので」
「「え」」
何故か紅葉と声がハモる。少し唐突すぎて一瞬考えてしまった。
「まあはい、分かりました。けど、なんで?」
「別に。少し違和感を感じただけです」
少し楽しそうに笑っているように見える楓は、顔を逸らして先に進んでしまう。
「そう。って、違和感って言うなら、楓さんが僕に敬語使ってるのもじゃないですか?」
「それはくせなので気にせず、ってなんですか紅葉さん」
もう少し追求したかったのだが、紅葉が小声で楓に詰め寄ってしまって、これ以上は話せなかった。
呼び方なんてどうでもいいけど、楽しそうにしているのが少し気になって。
「・・・・・・・まあいっか」
自身の発言通り、楓もこの旅行をそれなりに楽しんでるんだろう。
時計を見てまだ余裕があることを確認して、1番後ろをゆっくり歩くことにした。
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