第12話 後日談

 いきなりだけど。

 僕は天国なんてないと思う。

 死んだらきっと、何もなくなるだけだと思う。それはもう表現通りに、眠るように死んでいくのだと思う。

 寝てるときのように真っ暗になって、寝てるときのように何も認識できなくなって、唯一違うのは、もう起きられないってところだけ。

 オカルトを信じないから、そう思ってるだけかもしれないけど、そう思ってる人は意外と多いと思う。

 でも、それも『きっと』に過ぎない。

 きっと幽霊になる。きっと天国に行く。きっと眠るように亡くなる。確認の仕様がないことで、根拠も物証も希薄なものは、ただ希望的に予想する他ない。

 だから僕は、『自殺』っていう行為を、理解できない。

 人生が辛いから、今が辛いから、現実が辛いから。

 ・・・・・・・なんで死んだあとはそうじゃないと思うのだろう、と。

 どうなるか分からないのに、どうしてそんな勇気が出るのか。

 例えば、死後の世界が。

 ・・・・・・・もしかしたら、死んだ瞬間の痛みが、永遠に続くかもしれない、とは思わないのだろうか。

 そうなってしまえば、きっともう逃げ場はない。人生よりはるかに辛い永遠が確定してしまう。

 なのにどうして不確定な『死』に逃げ込めるのだろう。生きていれば、逃げ場なんてたくさんある。どうして逃げられる現状から、逃げられない状況に飛び込むことができるのだろう、と。

 そう思う。

 だから僕は。

 生きてる限りは、生きてることに幸福を感じながら、辛い現実を進もうと、中学生ながらに思っていた。




 意識が戻ったのを自覚して、でももう少しだけ目を閉じ続ける。

 中学生のときに書いた小説の一節だったか。なんでこれを思い出したか、明白な答えを反芻する。

 普通に生きてて考えることのないことを、考えたきっかけの夢を見たから。その夢を、乗り越えたから。

 自論ながらに馬鹿みたいな話で、理屈ぶってカッコつけた話で、でもみんなに知って欲しいし、みんなに思って欲しい自論だ。

 死にたい、なんて、漠然と思う人は少なくないと思う。嫌なことがあると、辛いことがあると、自分が嫌いになった日とか、そう思うんじゃないか。僕だって、思うことは・・・・・・・あった。

 でも、実際に死ぬ人はいない。

 死にたいで死ぬ人はいない。死ぬしかない人しか、きっと死なない。

 僕はみんなに、『死にたい』なんて、思わないで欲しい。僕は思わなくなった。変えてくれる人がいたから。

 ・・・・・・・僕は、人を変えられるものを作りたい。

 今、明確に。そう思って。

 ・・・・・・・目が開く。

「おはよう、青葉」

「・・・・・・・紅葉さん、起きてて、くれたんだ」

「青葉唸ってたからね」

「ほんとに?」

「唸ってはなかったけど、浮かない顔してた」

「なんでそんなとこで、嘘、つくかな」

 自分でも妙に詭弁だと思っていた青葉の肩が、次第に揺れる。

 ・・・・・・・別に、どうってことないって思ってた。

 死別した母といっても、憎しみの対象だったから。自分たちを置いて自殺なんてした、ろくでなしだったから。

 悪態の一つでもついてやろうと思っていた。怒りを全部吐き出して、少しでもスッキリしようと思っていた。

 でも、実際は・・・・・・・上手くいかないものだ。

 気づけば青葉は、紅葉の胸を掴んで、泣きじゃくっていた。




 しばらくして。

 長らく涙していなかった涙が枯れて、赤くなった目を擦りながら、青葉が起き上がる。

 一緒に紅葉も。そして、ベッドの上で向き合う形になる。

「落ち着いた?」

「うん、大分。迷惑かけて、」

 青葉の目線が紅葉の胸元に落ちる。涙で濡れた服を見て、顔が少し熱くなった。

「迷惑かけて本っ当にごめんっ!」

 手を前に合わせて、自然に視線を真下にする。

「青葉のえっち」

 視線を見透かす紅葉の一言。

 ・・・・・・・何してんだ高峰青葉!子どもみたいに泣いちゃって、本当にダサい。

 感触も、隣にいるのが思いを馳せる相手であることも忘れて、こんな醜態を晒すなんてっ。

 なるほどこれが、『穴があったら入りたい』って気持ちか。

「でも、頼ってくれて、嬉しかった」

「・・・・・・・・・」

 紅葉の言葉を黙って聞く。今の青葉は、紅葉の声ってだけで十分ダメージが入る状態になってしまった。いたたまれない状態で、何も話せない。

「すごいよ青葉は。夢の中でも不安な顔して、あんな泣いちゃうくらい辛いことと向き合って」

「・・・・・・・・・」

「だから・・・・・・・頑張ったね、青葉」

 ・・・・・・・違うよ、それは。

 青葉は自分一人じゃ何もできなかった。紅葉が手を貸してくれたから向き合えた。紅葉が撫でてくれたから間に合った。

 青葉はすごくなんてない。逃げてばかりの、助けられてばかりの、ただの男子高校生だ。

 でも、今の青葉には羞恥心へのダメージが大きくて、何も言葉にならなかった。だから、一旦撤退の策を選択する。

「・・・・・・・ありがと紅葉さん。一度頭を冷やしてく、」

 そう言い残してベッドを立った瞬間、手を取られる。もちろんその手は紅葉のもの。

「逃げるのダメ。まだここにいて」

「・・・・・・・まじですか」

「私のお願いも聞いてね」

「・・・・・・・はい」

 渋々ベッドに座りなおす。

 いつもならむしろご褒美なのだが、今は勘弁してほしかった。羞恥で多分顔赤いし、上手く紅葉の顔見られない。

 紅葉に話すことが嫌で逃げた訳じゃないんだけど、いや紅葉もそうは思ってない様子だ。

「紅葉さん楽しんでるでしょ」

「心外だなー、そんなことないよ。ちゃんと心配もしてるって」

「楽しそうに見えるけど」

「青葉との時間が楽しいからかなー」

 いきいきした紅葉をみて、無性に危険感が増してきた。

 どうにか一度離れたい。

「そういえば時間は?柚起きてくるかも」

「まだ早いよ。6時前」

 早いな。柚に見られたら変に誤解されると思ったのだが、まだまだ起きてくる時間帯じゃない。

 紅葉に差し出されたスマホの画面に目を向けて、同時に紅葉の服が目に入る。

「・・・・・・・服、着替えた方がいいよ」

 少し迷ったけど、言うことにする。

「ん、そう?あんま濡れてないから大丈夫だよ」

「着替えて欲しい、し、柚が見たらなんか勘づかれるかも。柚最近なんか鋭いし」

「ん〜じゃあ着替える」

 ほっとしたのも束の間、その場で紅葉がパーカーを捲り上げる。流石の青葉も慌ててしまう。

「ちょ、まだ僕いるって!」

「私は気にしないよ?」

「そこは気にして!」

 いたずらに成功した子どもみたいな無邪気な笑顔を見せられて、耐えられなくなって席を立つ。

「コーヒー入れてくるから、着替えたら、で、出てきて」

 動揺の様子を隠せないまま、でも今度は引き止められなかったので、そのまま襖の方へ。

 でも、出る直前に、紅葉の声で足が止まる。

「青葉」

「・・・・・・・?」

 振り向いて、次の紅葉の言葉を待つ。

 紅葉は貫くようなまっすぐな視線で青葉を見やって、微笑みながら、あの問いをまた口にする。

「・・・・・・・大丈夫?」

 ・・・・・・・大丈夫か、なんて、決まってる。

 何を持って大丈夫か、どんな根拠があって問題ないか、そんな論理的で頭の悪いことを考える前に、言葉が口に出ていた。

「もう大丈夫です!紅葉さんがいたから。紅葉さんが、いるから」

 この現象が、この苦しみが終わったかは分からない。もしかしたらなんにも解決していないかもしれない。明日もまた、眠気の取れない眠りが来るかもしれない。

 でも、それでも大丈夫だ。

 なんだってできる。なんだって試す。紅葉はいれば、どんな難解なことも超えていける。故に。

 ・・・・・・・大丈夫、と。

「紅葉さん、早く出てきてくださいね。今日は寝かせませんから」

「厳しいなぁ青葉は」

 その一言を背中で聞いて、キッチンに向かって準備を始めた。

 いつも通り、寝覚めは気持ち悪いくらいいいけど、今日は清々しいほどの晴天で。

 今日のコーヒーは、新しい日々の匂いがした。




 その後は早かった。

 その日は紅葉に全ての事情を話して、話した後も紅葉と一緒に時間を過ごした。眠かっただろうに、それを一切見せずに付き合ってくれた。

 そして夜。事が解決したか、それが決まる夜が来る。

 でも、青葉はそれほど心配していなかった。その日、あまり眠気を感じなかったから。

 そしてそれは的外れなどではなく、青葉の夜は久しぶりに一瞬で過ぎていった。

 こうして、青葉の災難は、一週間も待たずに去っていった。

 そして月曜。今はその成り行きを、功労者に説明しているところだ。

 10数分に渡り、話し終えた後、その功労者が口を開く。

「同衾した記念日の自慢なら他所でやって」

「話聞いてたか?」

 退屈そうに紅茶を飲みながら、半眼で俺を見やる百瀬。

 世話になったから、せめてもの礼儀で包み隠さず全部話したのに、辛辣なコメントだな。

「にしても、あっさり解決したようで何よりだね」

「かなり厳しかったけど、まあそうだな」

 客観的に見てみれば、相談に乗ってもらった日に解決だ。青葉の体感は随分長かったけど。

「百瀬には助けられた。ありがとうな」

「私はいいよ。別に私が言わなくても、切羽詰まったら自分で気づいただろうしね」

「それでも、僕には百瀬の助言が必要だったから」

 今回の件はひとえに紅葉のおかげで解決したけど、相談をして覚悟が固まっていたおかげでもある。

 だから百瀬には感謝している。大して面識もないのに、こんな馬鹿な話を真面目に聞いてくれたのだから。

「感謝はいいよ。私も得したからね」

 青葉の名前が記入してある入部届を振りながら言う百瀬。満足そうで何より。

 時間はないけど、悪くはないかと思う青葉が、一応聞いておこうと思っていたことを口にする。

「結局今回のはなんだったんだろうな」

「それを解明したいなら専門家尋ねた方が早いよ」

「テキトーでもいいから、なんかないか?」

 別にそこまでして知りたいことではない。事態が収束した今では、信じてすら貰えないだろうし。

 青葉が知りたのは、納得できる答えに過ぎない。解答は求めていないのだ。

 ちょっと待ってと一言いい、黙ってしまう百瀬。数分間たっぷり無言の時間を使って、満を持して再び口を開く。

「まず、眠気が取れない要因に関してだけど」

「へ?うん」

「眠気が取れないということは、覚醒状態と同じ脳の消費エネルギーがあると考えられる」

「うん」

「つまりは、高峰は『自分は寝ている』と錯覚していて、本当は覚醒していた、というわけ」

「・・・・・・・なるほど?」

 錯覚か。寝ていたと思っていただけで、寝ていなかった。

 じゃああの夢は?夢は寝ている間にしか見れないのでは。

 その疑問を見兼ねた百瀬が、解をくれた。

「簡単に言うと、高峰は目を瞑りながら夜な夜な妄想に勤しんでた、らしい」

「・・・・・・・それはなんとも」

「痛いね」

「だよな」

 あんな必死な思いして、実は毎夜無意識に妄想して、それが体験として生じていた、と。

 間抜けな話、いや抗えない現象だったのだから、そうでもないのか。結局、超常現象が起きていたことに変わりはない。

「発生条件としては、高峰の話から察するに、少なくとも以前の生活が思い出される状況で、その現象が起こると仮定するのが妥当だね」

「そうだな」

 眠るのがトリガーで、条件が以前の生活だ。青葉が言った最近で変化したことに、引越しがあった。紅葉が年上だったり、2人の生活じゃなくなったり、少なからず余裕ができたり、そういうのがその『以前』に近づく要因となり、家での睡眠のときだけ、条件が揃っていた。だから学校での睡眠時は、条件不十分で、現象に襲われなかった。

 学校でさえこの現象が起きていれば、軽く死んでいたなと、背筋が凍る青葉。それを知ってか百瀬。

「場所時間問わずその現象起きてたら、植物人間状態だったかもね」

「笑えねえなぁ」

 起きて意識ははっきりしてても眠いのは確かだから、極限になれば起きてもすぐに意識が落ちてしまう。そうだったら、軽く詰んでいた。そうじゃなくて心底良かったと思う。

「原因は自分の心。それはわかってるんでしょ」

「ああ」

 簡単に言うと、母さんを助けられる立場で、助けなかったこと。普通でいたい、易々と学校を休めない無駄な責任感と無為な完璧主義が邪魔して、取り返しのつかない選択ミスをしてしまったことが、本当の始まりだった。

 別に、今回のことが大きな何かを変えたわけじゃない。過去は変わらず、事実は変わらない。

 ただ、心の整理がついた。それだけで、ほんの少しだけ、世界が明るく見えるようになった。

「良かったね」

「ま、少しは気が晴れたかな」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・ん?今なんで、そんなこと言ったんだ?」

 少し、ほんの少しだけ感じた違和感を一応聞く。善意で言ったことは分かっているけど、聞きたいのはなぜ言ったかだ。そんな会話の流れじゃなかったのでは、と。

 全て把握してる全能の笑みを浮かべた百瀬が、淡々と言う。

「そんな顔、してたからじゃないの」

「・・・・・・・そ、っか」

 ついつい顔を確認してしまう。もちろん今の顔になにかついているわけじゃない。でも、確かについていたという百瀬の言葉に。

 やっぱ変わったと、そう思って・・・・・・・。

「これで人間関係良くなるんじゃない?」

 青葉が笑えなかったこと、そして笑えるようになったことまで看破した百瀬が、そんなことを言ってくる。

 それに、ため息を添えて。

「こんなんで良くなるほど人間関係は甘くねえよ」

 百瀬も知ってるだろと、目で挑発する青葉。が、百瀬は真正面からそれを受けて。

「高峰の方がましだけどね」

 自虐気味にそう零した。

 まあ、確かに。学校の外までは把握できないけど、学校内に限れば青葉には瀬戸がいる。

 でも、と。青葉が続ける。

「少しは良くなったかな」

 疑問の目で返す百瀬に、一息ついて続ける。

「1人、友達増えたことだし」

 そう、増えたのだ。1人から2人に増えたのなら、かなりの進歩だと思う。

 青葉の目と、それを聞いてようやく理解した様子の百瀬。少し視線をそらして、でもなんでもないように、

「部活にも入部したことだしね」

 淡々とそう言った。

「素直じゃないなぁ」

「・・・・・・・連絡先。部活の連絡用にね」

「ほんと、素直じゃないなぁ」

「うるさい」

 まあ、素直なのも少し雰囲気に合わないけど。

 そのあとは部活の活動として、数冊の本を勧められ、貸してもらい、30分ほどで部室を後にした。

 今日の目的は報告と確認、それと感謝を伝えるためにきたのだ。それが終われば残る理由はない。元々放課後には予定を入れていて、早めに帰るつもりだった。

 事態の収集もありテンションの高くなる青葉。この学校で1人目の連絡先を手に入れたことで、さらに。

 事件が終われば、あとは平和が残るのみ。これからが楽しくなりそうだと、漠然と思いながら、青葉は帰路を急いでいった。




 部室にて。

 まだ時間は早い。もう少し残るつもりで、それとなく部室の扉を眺めてしまう。

 高峰が通って行った扉。

 別に、引き止める理由はない。大したことではなく、ただ論もなく、予想ですらなく、可能性の話だ。

 ・・・・・・・この世に、超能力は生まれるのか、レベルの話。

「人を不幸にする能力、なんてね」

 高峰がこの現象を経験した。それは、高峰の特殊な過去が原因で、そこに違和感はない。

 でも、それだけで?

 この世に、高峰ほどの不幸な生い立ちを持つ人は、この世にどれくらいいるのだろうか。もしかしたらいないかもしれないし、もっと不幸な人も、いるかもしれない。

 前例のない条件で、前例のない事象が起こる。

 不幸だから、不自然ではないから、という理由だけ。それだけで、そう結論づけた。矛盾していなければ問題ないと。

 だが、矛盾の有無が、正解に結びつくわけじゃない。

 本人すら、過去の清算すべきことを、はっきりと自覚していなかった。それなのに、過去に苦しめられる?

「もし、意思が介入していたら」

 もし、他人の意思が、他人の思考が、他人の感情がこの現象に関わっていたのだとしたら、きっと、高峰は・・・・・・・。

「ま、いいか」

 そんなたらればの話に意味はない。想定しておくのは大事かもしれないけど、想定したところで対応できないわけだから。

 無関係な自分が、どうこうする話でもない。結局自分は、何かが起きた後にしか、高峰青葉に関われない。

 面倒ごとはごめんだ。でも、当事者でなければ別だ。今回は高峰が当事者だった。

 そして仮に、おそらく次も・・・・・・・。

 腕を伸ばして、大きく伸びをする。

 高峰からしたら迷惑以外の何物でもないのだろうけど、文芸部の部長である私からしたら、これから楽しくなりそうだと思えるくらいは、興味深い未来が待ってそうで。

 密かに高峰に同情をしておいた。

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