第9話 温度
「・・・・・・・・・ん」
ゆっくり覚醒していくのを意識する。最近朝に感じられていなかった、寝起きの眠気が襲ってくる。
その後に感じたのは、腰と肩の痛みだった。凝りが酷い。
痛みを伴いながら、上半身を起こし、周りを確認する。学校、室内・・・・・・・。
「おはよう高峰。よく眠れたようで何より」
「・・・・・・・百瀬、ここは・・・・・・・そっか、そうだった」
ようやく、記憶がはっきりし出す。
今日は百瀬の相談に乗ってもらっていたんだった。眠気が取れない現象についての相談。解決するために頼った。
そして、相談した後に事切れたんだった。
外を見ると、日はもう傾いて、夕日が差し込んでいた。時計を見ると5時40分。結構寝過ごしてしまった。
「時間、まずかった?」
少し心配した様子で百瀬。時間に関しては何も言っていなかったな。
「いや、大丈夫。すまん百瀬さ、百瀬。こんな時間まで待たせちゃって」
「別に。本読んでただけだし」
そうは言っても、2時間近くも起こさず待ってくれた。やっぱ百瀬はいい奴だ。
でも、大丈夫と言ったものの、早く帰らないと。夕飯の準備が間に合わない。
「じゃあ、帰るか」
「待って高峰」
「ん、なんだ?」
バッグを持とうとして百瀬に止められる。百瀬はバッグから一枚の紙を出して、青葉に近づいてくる。
「これ」
「これ、は・・・・・・・」
青葉の目の前に置かれた紙。もしや相談料でも取るのかと思ったが、それは違うようだ。
置かれたのは学校のもの。内容は・・・・・・・。
「入部届?」
「高峰には文芸部に入って欲しい」
唐突だな。
「僕あんま時間ないから部活に入る気はないんだが」
バイトも始めて、家での家事も一応仕事なわけだし、小説も書いているとなると本当に時間がない。
「分かっている。が、こっちにも引けない理由がある」
「というと?」
「文芸部の部員は私しかいない。このままでは人員不足で廃部になってしまう」
まさかの廃部の危機。
「他の日には人がいるんじゃ」
「そんなこと言った覚えはない。私しかいないと言ったはずだけど」
「そう、だったか?」
眠気であまり詳細に覚えていない。けど、そうだった気がするような。百瀬がテキトー言うとは思えないし。
いや、それよりもひとつ不自然なことがある。
「そもそもなんで文芸部に入ったんだよ」
百瀬は一年生だ。それで部員1人ということは、わざわざ誰もいない文芸部に入ったことになる。
「尊敬する先輩が元部長だったからだよ。なくなっちゃったら寂しいって言ってたし、私も読書は好きだから」
「ああ、なるほどな」
それなら筋は通る、か。素で納得してしまった。
「でも先輩が言ってた通り、部員は他にいなかった。私には誘える友達とかもいなくて、困ってた」
「じゃあ、気になってたってのは、」
「言ったはずだよ。部活に入ってる気配もなかったって」
「相談に乗ったのって、」
「面倒ごとはごめんとも言った」
「そうだったな」
確かに言っていた。なるほど、ここでこれを持ちかけるために、色々と言葉を選んで話していたわけか。
まあ青葉からしたら、裏があって逆によかったと思う。無償の親切はたしかに素晴らしいが、そういう人は大体損しかしない。裏のある親切の方が青葉は好む。百瀬の優しさは揺るがないしな。
でも、そこまで見越して言葉選びされていたと思うと、百瀬の頭の回転の速さには恐れ入るな。
「でも、強制はしないよ。もちろん、これからも相談には乗るし、嫌な顔もしない。部員はまだ当てがあるし、2人いればとりあえずは大丈夫らしいし」
青葉を気遣ってそういう百瀬。そういうところが優しさなんだと思う。単純に執着する程じゃないだけかもしれないけど。
少し考えたが、すぐに結論が出た。
「・・・・・・・まあ、いいよ別に。入部くらい」
「ほんと?」
「言った通りあんま時間取れないかもしれないけど、それでも大丈夫なら」
簡単に言えば行けないだけだ。行けないのなら、幽霊になってしまえばいい。
「席だけ置いてくれればいいよ。文化祭とかも私だけでやるし。でも、週一くらいは来て欲しい、けど」
そもそも文芸部だ。大してすることもないようだ。
真面目にやっても週一時間取られるだけだ。更には、予定があるなら来なくてもいいと。だったら嫌な顔することもなかった。
「そんだけでいいなら。それに、文化祭とかなら全然手伝えるから。流石に相談乗ってもらっておいて、断るなんてな」
「あ、りがと。助かったよ」
少し意外そうに答える百瀬。断られると思っていたのだろうか。
そもそも、ここまで誘導したのは百瀬だろうに。そして、青葉との関係を作って、入部するか否かの選択肢に立たせた。
名前すら知らなかった百瀬に勧誘されても入るかどうかなんて考えなかった。青葉に考えさせることをやらせてみせた百瀬の勝ちだ。
「こちらこそ。これは来週でいいか?」
入部届をひらひら見せて聞く。
「うん、大丈夫」
「じゃ、そろそろ帰るか」
今度こそバッグを持って、部屋に背を向ける。すると背に呟く声が聞こえた。それに思わず振り向いてしまう。
「これは必要なかったか」
「ん?どれだ?」
「高峰の寝顔写真。断られたら、これも使おうかと」
「消せよ。というか、逃がさない気満々じゃん」
寝ている間に取られたのか。悪趣味な。割と粘る気だったらしい。
実は既に1枚取られているとも知らない青葉は、百瀬の写真だけ削除させて軽い足取りで帰っていった。
早足で帰宅し、ドアを開ける。
「ただいまー」
「あ、おかえりお兄ちゃん」
廊下の奥、キッチンから顔を出して、柚華が雑に迎えてくれる。部屋に荷物を投げて、洗面所で手を洗って、リビングに出る。
「ごめん、遅れた」
「遅かったね青葉。最近、忙しそうだね」
柚華と同じくキッチンにいた紅葉は、包丁を持って手を震わしている。キャベツを前に。
「連絡もしなくてすみません。夕ご飯、作ってくれてるんですか?」
「ま、まあね!大変そうな青葉を見越して、今日は私たちが、作ろうって柚華ちゃんと」
「そうだから、お兄ちゃんはゆっくりしてて」
「・・・・・・・紅葉さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよ!私だって包丁くらい、使えないと!」
大丈夫そうには見えない。恐らくキャベツの千切りをしてるんだろうけど、動きがめっちゃ遅い。見ててハラハラする。
「怪我したら仕事に支障出ますよ。料理は僕に任せてください」
手を怪我したら、篠崎が怒りそうだし。
「いやっ!やるの!」
「子どもですか」
「集中出来ないから黙って」
「・・・・・・・分かりましたよ」
何故か意志が固いので、仕方なく青葉が折れた。怪我は怖いけど、そこは本人も特に注意することだろうから大丈夫だろう。
仕事を取られてやることがなくなった青葉。最近朝洗濯できていないと思ったけど、紅葉がやってくれたらしい。しっかり洗われ、畳まれている。
まずい。バイトする、家事の質は下げないって言ったのに、バイトのせいではないけど、実際家事できていない。不甲斐ない。紅葉に申し訳ない。
それでも紅葉は、何も言ってこない。バイトやめろとも、家事できてないとも。それが優しさではなく、信頼だと知っている。
待てば、いつも通りに戻るって信じてくれている。
青葉の拳が強く握られる。
青葉はその信頼に、答えないといけない。こんな意味わからない現象に構っている暇なんてないのだ。
暇になった青葉は、お風呂を沸かして、先に入った。どうやら料理は結構時間がかかるっぽいから。
そして、青葉が出たタイミングで、ちょうど完成したらしい。食器がテーブルに運ばれていた。
「あ、お兄ちゃん出来たよご飯。早く早く!」
「うん。せんきゅな、柚」
「私だって女子だもん。このくらいできて当然・・・・・・・でもないよね!凄いでしょー」
「はいはい」
後ろのしょんぼりした様子の紅葉を見て、柚華が咄嗟に言い直す。紅葉は漫画書いてて時間なかったのだから、別にしょうがないと思うのだが、本人なりには結構ショックだったらしい。
慰めるのも違うと思って、特に気にせず席につく。メニューはコロッケ。いい感じの色合いで、上手くできている。美味しそう。
準備するのを無言で眺めて、全員が席についたところで手を合わせる。
「じゃ、いただきます」
「いただきます!」
「いただきます・・・・・・・」
コロッケを一口大に切って、口に運ぶ。熱々で美味しい。ご飯によく合う。
「美味しい、流石柚華ちゃん」
「まだ拗ねてんの、紅葉さん」
まだ声にいつものハリがない。
「別にー。ただ私は手を貸したっていうより、足を引っ張ってたなって思っただけ」
「拗ねてんじゃん」
「そんなことないですよ!紅葉さんがいて助かりました」
「お世辞はいいよ、気を遣わせてごめんね、柚華ちゃん」
「お、お兄ちゃん、どうすればっ」
隣の柚華が助けを求めてくる。それを目の前で紅葉が聞いているのだから、いまさら何やっても意味ないと思うけど。
とりあえず、思いついたものを口に出してみる。
「紅葉さんが切ってくれたキャベツ美味しいなー」
「切っただけだけどね。柚華ちゃんの三倍くらい使って」
「紅葉さんと一緒に食べるご飯、美味しいなー」
「そ、それは・・・・・・・」
気付かされたように言葉が途切れて。その後すぐに、笑ってくれた。
「そうだね、美味しい。みんなで食べるご飯」
「はい、美味しいです!」
「だよね。なんかごめんね、最初からうまくできるわけないよね」
やっと機嫌を直してくれた。笑って反省して、すぐにいつもの調子を取り戻してくれた。だから青葉も、いつも通りだ。
「僕は割とうまくできてたけどね」
「覚えてるからね。最初の頃指包丁で切ってたの」
「覚えてたか」
「お兄ちゃん、家でも切ってたじゃん」
「見られてたか」
誰だって最初はうまくできないものだ。包丁の扱いなんかは、上手くできないのに上手くやろうとすれば、血が飛ぶものだ。そう考えれば、紅葉が慎重にやっていたのは、正解だった。
柚華と紅葉の会話を聞きながら、食事を進める。最中、違和感が。
・・・・・・・手が震える。
微妙に、でも間違いなく、手が震えている。寒くないけど、寒い。お風呂でも、身体の芯が温まらない感じがした。
時間が進むたびに意識せずにはいられない。夜のこと。夢のこと。明日のこと。
怖くはない。だけど、緊張が身体を支配するのだ。手先が冷たく、視野が狭く、味覚が鈍い。
紅葉と柚華に悟られないように、お茶をゆっくり飲む。震えると言ってもわずかだし、問題はない。すぐに収まる
・・・・・・・なのに。なぜか、見つかってしまうのだ。
「・・・・・・・青葉、大丈夫?」
「そんなに自分の料理の腕心配しなくても。ちゃんと美味しいですよ」
「いやそういう・・・・・・・そっか、なら良かった」
紅葉が話を合わせてくれる。青葉が誤魔化したこと、バレているだろうに。
合わせてくれるなら、そのまま続ける。
「ほぼ柚が作ったわけだし」
「凄く料理できてた。流石は青葉の妹さんだね!」
「いえいえ、紅葉さんも筋は良かったですよ!すぐできるようになります!」
「う、うん、頑張ってみる、私!」
前でガッツポーズして、分かりやすく気合を入れる。紅葉は絵描きで手先器用だし、すぐに出来るようになりそうだ。
その後、紅葉が青葉と視線を絡める。
「青葉も手伝ってよ」
「怪我は気をつけてね」
「だから・・・・・・・青葉も頼ってね」
「!・・・・・・・うん」
その一言。困ったような顔で、でも微笑むように。何気ない一言を、青葉にくれた。
ああ・・・・・・・そっか。
柚華がいるから、青葉に話させることを躊躇ったんだ。だから紅葉は、青葉が話題を逸らすためだけに振った話に乗った。その一言を言うために。
一言でよかった。その一言だけで、青葉には十分だった。
いつの間にか震えは止まって、コロッケの熱が温かかった。
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