第7話 眠れない悪夢のような現実

 割としっかりとした足取りで、家の鍵を開ける。

 当然のように午後も睡魔が襲ってきたが、五限は内職で気をそらし、最後の六限は自習だったので、余裕で熟睡できた。お陰で青葉は今、逆に元気だ。

「ただいまー」

「・・・・・・・おかえり―お兄ちゃん」

 部屋から柚が顔だけ出して迎えてくれる。

「柚。紅葉さんは?」

「既にいなかったよ?買い物じゃない?」

「かもな」

 紅葉が買い物と言ったら、大体本屋だと思う。そろそろ帰ってくるだろうから、家事をして待っていることにする。

 帰ってきたら今日のことを相談したい。どう考えてもおかしい現象だったし、何にも解決しないかもしれないけど、聞いてもらいたい。

 ゆっくり家事をして、夕食を作りながら待つことおよそ一時間。日が傾いたころに、玄関の扉は開いた。

「たっだいまー!」

「あ、紅葉さん、おかえり」

 妙に上機嫌な紅葉がリビングに出てくる。

「やっぱ本屋行ってきたんだ」

「え、なんでわかるの?でもそう、新刊出たんだ~」

 黒いバッグから本を取り出して、青葉に見せてくれる。

「見てよ見て見て、これこれ!いいでしょこれ!表紙神なんだよねー!・・・・・・・」

 語りだした紅葉は長い。でも嬉しそうに話す紅葉と一緒に過ごすのは楽しい。青葉も好きなジャンルの話なのは間違いないし。

 料理の手を動かしながら話を聞く。たまに見る本を買ってきた紅葉の幸福感は、周囲に構わず振りまいていく。幸せそうで、こっちまで嬉しくなる。

 それをしばらく見ていると、いつ間にか少し心境が変わっていた。

「紅葉さんおかえりなさい!」

「あ、柚華ちゃんおかえり~」

「上機嫌ですね!」

「そうなんだよー、好きな漫画買ってきてさー、柚華ちゃんも読んでみてよ!」

「紅葉さんのおすすめなら喜んで!あ、お兄ちゃん、用事はいいの?」

 二人の微笑ましい会話を眺めている最中、いきなり言葉が飛んでくる。

「え、なに?青葉」

「いえ、何も。別に用事があるとは言ってないだろ」

「なんか聞き方がそんな感じしたんだもん」

 別に何でもないときでも紅葉の所在くらい普通に聞くだろうけど、ニュアンスでそう判断したのか。鋭い妹だ。まあ十三年も一緒にいればそれくらい気付かれるか。

 でも、やっぱ話すのはやめることにした。なんとなく。

 紅葉に心配かけたくないってのもあるけど、紅葉を見てると心の底にあった不安とか、恐怖とか、いつの間にか薄れていた。紅葉が感じてる幸せが、青葉の濁った感情を中和してくれたのだ。

 だから大丈夫だと思った。こんな事そうそう起きない、明日になればすっきりするって思ったのだ。

 でも、青葉は知っていたはずだ。現実とは寛大でも、非情でもない。無感動に、ただただそれが起きる。生きる人々の感情も、不幸も幸福も思いも願いも、何もかも関係なく、必然であるかのように。

 次の日。青葉は死人のような目で目が覚めた。




 虚ろの、妙にしっかりした意識で、鉛のような重たい身体を起こす。

「・・・・・・・・・また、か」

 頭を抱えて、うなだれてしまう。

 気持ち悪い。身体のだるさも当然として、それでもそれを感じさせないほどの、この現象の不気味さだ。

 なんで?なんで眠気が覚めない。どうしてあの夢を見る。

 気が付いて、焦って時計を見る。時刻は7時25分。起きるのは遅くなったけど、まだ朝食前の時間で良かった。

 ふらつく視界に気を付けながら、ベッドから降りる。

 昨日は意味が分からないというほうが大きかったが、気分的には昨日より今日の方が幾分マシだ。昨日は午後に昼寝をしているから。

 とりあえず洗面所で顔を洗う。全く目は覚めないけど、しないよりはずっといい。

「あ、お兄ちゃんおはよう。また起きるの遅いね。夜寝てないの?」

「ああ、おはよう柚華。すまん、すぐ朝食作る。紅葉さんは?」

「まだ起きてないよ。起こす?」

「・・・・・・・いや、今日大学ない日だから起こさなくていい」

「分かったー、じゃあ先に学校行く準備しちゃうから」

 そう言って、青葉と入れ代わりで洗面所に消えて行った。

 とりあえず、コーヒーを濃いめに入れる。カフェインもほぼほぼ気休めにしかならないけど。

 それと同時に朝食も簡単に用意。目玉焼きとベーコンを焼いて、キャベツの千切りを添えて、ドレッシングかけて完成。

「・・・・・・・やばっ」

 テーブルまで運ぼうと持ち上げて、身体がふらつく。危うく皿を落としそうになってしまう。

 少し・・・・・・・きつい。

 そのまま、キッチンの床に座り込む。

「ああ~~」

 薄く、意味のない声が唸る。

 起きてそうそう、眠りたいと思っている。異常な事態。青葉にも、誰にも理解できない。

 混乱している混乱してしまう戸惑っても無理はない。誰にだって背負えるものでないと、青葉は思ってしまう。

 誰かに・・・・・・・紅葉に。話そう。

 頼らないと、頼れないといけない。気遣って、心配されたくなくて、不安にさせたくなくて。でも。

 ・・・・・・・助けて、が言えないのは弱さだと思うから。

 青葉の人生は、他人に支えられてきた人生だ。助けられ続けた人生だ。今更それを、躊躇うことはない。

「あれ?お兄ちゃんどしたの?」

「ああいや別に。ただもの落としただけだ」

 柚華がいきなり頭を覗かせてくる。青葉は平然と座り込んだ状態から立ち上がった。

 柚華には言う必要はない。無駄な心配をかけさせる意味はないから。

「そ。早くご飯食べよー」

「すまん柚。今日急がなきゃいけない日だったから、朝ごはんは一人で食べてくれ」

「え?ご飯は?」

「キッチンに置いてある」

「お昼はー!」

「買っていく!」

 部屋に行って、さっさと学校へ行く準備をする。軽く歯磨いて、制服着て、寝ぐせはそのままで、急ぎ足で家を出た。




 少し速足で学校へ向かう。いつもより全然早い時間の登校。他の生徒は全くいない。

 身体のふらつきを抑えて、目を開けることに意識を回して、周囲への注意も怠れない。なんとも、体力の使う。

 朝食を抜いて家を早くに出た理由は一つ。学校で寝るためだ。遅刻せずに睡眠をとりたいなら、そうするしかない。

 紅葉にこの事態の相談をするつもりだったが、今朝は無理だと思った。起きてこないどころか、目覚ましの音もしないのは、きっと昨日買ってきた本を読んで創作意欲に駆られて仕事し、夜更かししたのだと思う。

 つまりはしばらくは起きてこない。さらにはバイトで夜まで話す時間はない。

 別にいい。すぐ話そうと、夜話そうと変わらない。とりあえず、今日を乗り越えなければ。

 学校に着く。部活動に勤しむ音が聞こえるが、気にせず教室へ。

 時刻は8:00。当然のように、教室には誰もいない。

 まあもう考えることもない。席について、即意識が落ちた。




 その日の学校は、まあ予想通りだった。

 死にそうな目で一日を過ごした青葉。瀬戸に世話され、先生には軽く怒られ、休み時間は睡眠に費やした。昼食も瀬戸が買ってきてくれた購買のパンで、六限は自習じゃなかったけど、しっかり寝て過ごしたした。起こされはしたけど、先生が優しい系の人で助かった。

 多分頑張れば六限寝なくても過ごせたけど、そういうわけにはいかない。この後はバイトがある。雇ってもらってまだ浅いし、中途半端にやるわけにはいかない。

 一度家に戻って、すぐにバイトへ。ちょっと早出だけど、今ゆっくり休むのはちょっと危ない。

 お店の入り口を開ける。従業員用入り口なんてないので、店頭から。

「いらっしゃいませー、って青葉君」

「どうも」

「早いねー、どうしたの?」

「することなかったんで、少し早く。着替えてもう出ちゃいますね」

 それだけ言って、休憩室に入る。その場ですぐさま制服に着替えて、ホールに出る。

「青葉君、少し、早いよ?」

「今日はすることないので」

「出てもあんますることないよ?」

「茜さんと一緒にいたほうがいいから」

「そ、そう?」

 以前として眠気は凄い。ぼーっとしてたら危ないから、立っていた方がまだ楽だ。

 その後は、結局立ちながらぼーっとして、数人のお客さんの接客をして、時間が過ぎて行った。

 その途中。ふらつきを意識して抑えながら、カウンターへ戻ってるとき。

「高峰」

「・・・・・・・?」

 数テンポ遅れて、呼ばれた方に目を向ける。そこには一人の女子の客がいた。見覚えがあるような。

「えっと、同じクラスの・・・・・・・」

 見覚えがあって、高校生くらいに見えるってことは、同じクラスなのは分かる。でも、クラスの大半の生徒の名前を記憶していない青葉が、女子の名前なんて覚えているわけがない。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・名前なんだっけ」

 待っても向こうから言ってくれる気はなさそうだったので、こっちから促す。

「やっぱそんなとこだと思った」

「接点のない女子覚えてる方が怖いだろ」

 まだ高校生活始まって早々だし、尚更。

「百瀬。百瀬理恵」

「百瀬さんは僕のこと覚えてたのな」

「気になってたからね。怒られてたし」

「目立ってたからなぁ最近」

 先生に怒られて。周りと接点作らない人が怒られてるのは、やっぱ記憶に残るのか。

「いや、それ以前に。趣味が合うと思ってた」

「僕の何を知ってんだよ」

「読書好きでしょ。読んでるの見たことあるし、集中力が普通じゃない」

 なんでそんな場面見てるんだか。

「趣味が合うから気になってるって、もしかして口説いてるのか?」

「まさか。自分が一目ぼれされるなんて思ったことあるの?」

「まさかな」

 百瀬の言う通りだ。そもそも自分が人に好かれることなんてない。普通の顔で、つまらない性格で、表情が死んでる男なんて、いいとこなしだ。まあ、表情に関しては、百瀬も似たようなものかもしれないけど。

「まあ、ごゆっくり」

 仕事中だし、ほどほどにしてカウンターに戻る。

 だが、すぐに足が止まってしまう。百瀬の一言で。

「・・・・・・・悪夢にでもうなされてるんだ」

「・・・・・・・今、なんて?」

「夜、眠れてないでしょ」

 的確な分析に少し驚いたが、よくよく考えてみれば授業中めっちゃ寝てたし、そんなの考えなくても分かることだ。

 でも。悪夢って言葉に引っ掛かった。

「ただの夜更かしだよ」

「そんな単純じゃないでしょ。歩幅のばらつき、それと微妙な軸のずれ。自分自身の身体を把握できないタイプには見えないけど」

「観察力凄いな」

「注視すればだれでもわかるよ。眠れないんでしょ?眠らないんじゃなくて」

「・・・・・・・・・」

 頭がいい、というよりは、気づく人だ。そこまで初対面の人に言い当てられるなんて思わなかった。

 百瀬は多分、頼れる人だと思う。こっちからでなく、向こうから言ってくれたのには何か意図があるのか。

「無責任な人じゃないと思ってたからってのもあるけど」

「百瀬さんは僕のこと気になってるって言ったよな?何が気になってたんだ?」

「真面目そうで、本読んでて、いつも一人。来るときも帰るときも一人で、部活に入ってる様子もないから、気になってただけだよ」

「あぶれ者で視界に入ってただけか」

「私も似たようなものだけどね」

 あぶれ者同士仲良くなれると思ったのか。まあ十中八九そんなんじゃないと思うけど。

 ただ、次に聞き捨てならない言葉が紡がれる。

「そんな人にどうして彼女が出来たのか」

「・・・・・・・・・は?」

「予想通りの反応だね」

「誰が誰と付き合ってるって?」

「もちろん、高峰と瀬戸さんだよ。噂になってるよ」

「噂?」

「距離が近いからね。特に今日昨日は完全に確信させたね」

「百瀬さんもそういうの鵜呑みにするんだな」

 半分呆れでそう言った。

 正直、自分が得た情報しか信用しないタイプだと思っていた。百瀬の観察力なら分かりそうなものなのに。

「もちろん信用しないよ?ただ、その噂も真実だから」

「真実じゃない」

「そうでもないよ。その噂だって、高峰たちを見た人間が圧倒的に足りてない情報で導き出した結論なんだから。その人の現段階での情報で出る真実は、その噂なんだよ」

「・・・・・・・事実じゃないってことか?」

「・・・・・・・そういうこと。よく分かったね」

 感心したようにそうこぼす百瀬。

 なるほど確かに理解はできる。つまりは、そう見て噂を流した人ではなく、そう見えるような行動をした自分らが悪いと。

 だとするなら、噂ってのは達が悪い。事実を伝えた状況も踏まえ、それのどれをその人が事実と捉えるか分からないから、事実を嘘と捉えられて、誤情報を流すのも自由と。さらにそれに悪意まで合わされば、どうしようもない。

 理解はできても納得はできないってやつだ。

「もちろん私は思ってないから。ただの忠告だと受け取ってもらっていいよ」

「で、何が言いたいんだよ」

「何も言わない。私は答えただけ。どうして気になってるのかって質問に」

「そうだったな」

 そこが起点だったか。この忠告は、ただの百瀬の優しさか、

 でも正直、青葉は噂とかを気にするタイプじゃない。多少なり、高校生なのだから中学生から成長していると思っているし、そんな茶化す人間も少ないだろう。

 ただ。瀬戸が気にするになら、意識して接するべきか。

 いや、そんなことより今は。

「百瀬さん」

「ん?」

「少し、いや大分困ってて。相談したいことがあるんだけど」

 紅葉に相談するつもりだった。青葉の人生で、一番頼りになる人だ。

 紅葉のことは信頼しているし、どんなことだって解決してくれると思う。今回の意味の分からない僕の話も、少しも疑わずに真剣に聞いてくれて、支えてくれて、乗り越えるために手を貸してくれると確信してる。

 でも、だからって紅葉にばっか負担をかけていいのかと、思うことがある。

 頼るときは頼る。他にどうしようもないときは迷わず頼みにいく。

 けど、紅葉にしか頼れないようでは、きっとダメだ。

 だから、百瀬に頼ってみることにした。

「相談?悪夢をどうにかしろとでも言うつもり?」

「そこまでは言わないけど。少し、いやかなり意味のわからんことが起きてて」

 少し考えた様子を見せる百瀬。その後すぐに、結論を出す。

「・・・・・・・じゃあ明日放課後、教務棟3階の一番奥、文芸部室まで来て。詳しくはそこで聞くよ」

「文芸部員、なのか?」

 この学校に文芸部なんてあったのか。部活に興味ないからか、分からなかった。

「私しかいないはずだから」

「分かった。じゃあお言葉に甘えさせて貰う」

「ん」

 少し口角を上げて、返事をしてくれた。やっぱり百瀬は良い奴らしい。

 その後、すぐにバイト中であることを思い出して、カウンターに戻った。

 茜の話だと、百瀬はここの常連らしい。なるほど確かにしっくりくると思った。

 その後は接客、在庫整理、店の掃除を少しやってバイトは上がりとなった。

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