第6話 夢
高校入学から、一週間が経った。
もう既に高校の通常日程は始まっており、授業にも少しづつ慣れてきた。そもそも、中学と比べて授業時間5分しか違わないし、今のところ難しいところもないので、慣れるもくそもない。大きな違いといえば、午前に四限授業があるのと、昼食が遅いくらいだ。
学校生活の方も概ね問題はない。誰とも話そうとしないせいで休み時間ぼっちだが、問題はない。
いや、正確にはぼっちじゃなかった。
チャイムが鳴って、嫌いじゃない数学の時間が終わる。同時に教室が騒がしくなって。
青葉が教科書を机に閉まっていく間に、前の席の住人が身体を横にして座り直す。
「峰くんおつかれー」
「疲れてないけどおつかれ。なんでそんなくたびれてんだよ」
「だって数学面倒くさいんだもーん」
前の席から青葉の机に肘をついて、もたれかかってくる。
彼女の名前は瀬戸綾乃。茶色いポニーテールを無造作に揺らす元気女子だ。同じ体育委員で、傘を忘れたあの雨の日の女子。
あの後傘を返してもらって以来、短い休憩のときに話しかけてくるようになった。どうやらドン引きはされなかったらしい。
話しかけてくれる人を拒むのは流石にできないので、最近学校で一番よく話すのは間違いなく瀬戸だ。青葉だって別にぼっちでいたいわけじゃないし、ありがたく話し相手になってもらっている。
「なんでスーガクなんてしないと行けないのかなぁ。電卓使えばいいじゃん」
「そーだなー」
電卓に因数分解は可能なのかと考えながら、テキトーに返す。
「こんなん将来で使うことあるー?」
「そのテンプレはもっと意味わからん問題のときに取っといた方がいいぞ」
「じゃあそのときも言うよー」
展開、因数分解の応用で言っているようじゃ、頻繁に聞くことになるな。
「ところで、峰くんって何?」
当然のようにスルーしたが、初めて呼ばれた呼び名だ。青葉の名字は高峰のはずで、以前まではそっちで呼ばれていた。
「峰くん。呼びやすいでしょ?」
「まあ、確かに」
「嫌?」
「いや、別に」
「じゃあ峰くんで!」
「はいはい」
正直呼び方なんてどうでもいい。ちょっと聞きなれないあだ名で引っ掛かっただけで、誰に何と呼ばれようと気にはならない。
ただ、瀬戸は少し特有の距離の近さがあって、少し戸惑うことがある。社交的ゆえの性質で、青葉には到底できない芸当だ。
「ところでさ、峰くん。さっき席替えあるって先生言ってたよ」
「席替え?今日?」
ガラッと話題は変わって、青葉の初耳の情報が入ってくる。
「明日!近くの席になるといいね」
「ま、なるようにしかならないだろ」
どうせくじ引きか何かで決めるのだろうし、この席の近さがなかったら、話すこともなくなるのだと思う。
別にそうなっても、きっと何も思わない。青葉もそうであるように。だからあまり不安とかはないし、席替えに胸躍らせたり、逆に肩を落としたりはない。
できれば端の方の席になって欲しいと思う。
「ところでさ、余計なお世話かもしれないけど、峰くんはどうして友達作らないの?」
直球で厳しい事を言ってくれる。
「・・・・・・・作れないからだけど」
「もっと話しかけたりさ、会話に入ったりすればいいのに」
それが難しい人もいるから、この世にボッチが存在しているのだが、瀬戸の言いたいことも分かる。避けているというほどじゃなくとも、関わろうとしない青葉を、案じているんだ。
実際青葉は、人と関わることを拒んでいる。
それは、周りとの違いゆえだ。時間がない、余裕がない、接点がない、表情がない。人を不快にさせることも、人に迷惑をかけることも、疎まれることもあるだろうから、無闇に関われない。
そう思われるくらいなら、一人でいい。
そう思考を巡らせて、何も言えなくなった。
「・・・・・・・・・」
「まあいいけど。少なくとも、今は一人いるからね」
「ん?」
「え?」
ああ、何となく分かった。
「いや、うん。そうだな」
「待って今テキトーに反応したでしょ!私もう友達だと思ってたんだけど!?」
「分かってるよ、わざわざ言わなくても」
きっと、こういう人がリア充と言うのだろう。友達のラインの甘さが、大きな輪を作る。
青葉は少し眩しく思えた。ころころ表情の変わる瀬戸を見て、自分には到底無理だと。ただの馬鹿な明るい女子と思っていた彼女が、大きく見えた。
「ありがと、瀬戸」
「感謝はいいの。私が峰くんの友達になりたかったんだから」
「お前すごいな」
「でっしょー!」
「よくスラスラと恥ずかしいことを」
「ちょっと!?いきなり傷口に塩塗るのやめて!?」
自分でも薄ら自覚していたらしい瀬戸が、顔を真っ赤にしている。その様子が、少しおかしい。
「じゃあ、もう席離れても大丈夫だな」
「それは近くの方がいいよー」
そうは言われても、青葉は端の席のなるように天に願うだろう。そもそも、生粋の無神論者である青葉が願うのは何処にだろうか。
でも、その信じられていない神とやらは、妙に気前がいいようで、青葉は窓際一番後ろで、瀬戸はその隣という、要望に完璧に応えてくれた。青葉も少し、神を信じる方向に傾いてしまった。
とまあ、そんな風に学校生活も流れていく。順調に、時間を積み上げていく。
新しい席で、しばらくは平穏な日々が送れそうだ。
「・・・・・・・・・・・・・ばっ!青葉!起きてってば!」
「・・・・・・・っ!?」
いきなり耳が音を拾って、身体が反応するように飛び上がる。
ベッドの中。その脇には、紅葉が。
「良かった、起きた」
「紅葉さん?どうしたの?」
寝起きにしてはしっかりとした口調と目付きで、紅葉を心配するように見る青葉。
その不思議な状況に気付かぬまま、紅葉が続ける。
「どうしたって、もう朝だよ?珍しいね、青葉が寝坊なんて」
「え?は!?」
少し驚いても時計に目を移す。確かに、デジタル時計が示す表示は水曜、8時前。完全に寝坊だ。弁当も朝食も作ってない。
寝坊なんて、もうずっとしていなかった。一年と半年以来。その事実がまず信じられないが、青葉が驚く理由はもう一つ。
夢を見たから。
例のあの夢だ。母さんが死ぬ日の夢。その夢を見た日は、いつも決まって早起きを強制されていたはずなのに。
どうして、いき、なり・・・・・・・。
「・・・・・・・?青葉?」
「っ!す、すみません、すぐに準備を!」
「ああ大丈夫。ちゃんと柚華ちゃんと準備したから。青葉も慣れないバイトで疲れが溜まってたんだろうし、しばらくゆっくり休んでもいいんじゃない?」
「疲れ?」
確かに昨日はバイトに行った。けど、すごく疲れたとかはあまりなく、逆に寝付けなくて夜な夜な小説書いてたくらいだ。
特に身体に異常とかは・・・・・・・。
「・・・・・・・あれ?」
視界が、揺れてるような。瞼もいきなり重く。
・・・・・・・眠い?
「青葉?ほんとに大丈夫?」
「ああ、はい。朝食ありがとう、紅葉さん。早く食べないと遅刻しちゃう」
「うん!急いで急いで!」
とりあえず眠気を振り払って、学校に行く準備を始めた。
チャイム2分前にどうにか教室に入る。先生は来ていたが、間に合ってよかった。
教室はもう騒がしい。こんな時間に登校するのは初めてだ。青葉もまさか自分が寝坊するとは思わなかった。
疲れた足を休めるように、深く椅子に座る。
「おはよー峰くん、遅かった、ってなにそれ!?」
書き物をしていた瀬戸が顔を上げた瞬間、大袈裟に驚く。
「・・・・・・・何が」
「頭だよ、頭!ボッサボサじゃん!」
「ああ・・・・・・・寝坊、したから」
机に突っ伏したまま、ゆっくり答える青葉。誰がどう見ても普通じゃない。
「どんだけ夜更かししたの」
「・・・・・・・あんまり」
嘘はついてない。昨日寝たのは2時過ぎ。そのくらいの夜更かし、いつもしているし、それで朝に影響が出たことはあまりなかったはずだ。
それにこれは、その程度の眠気じゃない。
「程々にしなねー」
「んー」
ホームルーム前は軽く瀬戸と会話し。ホームルーム後はなぜか頭をいじられ、その次。
問題の一限の数学が始まる。
(まずい、全然覚めない。しばらくしたら、いつも通りになると思ったのに。あー・・・・・・・駄目だ。目が、閉じる・・・・・・・・・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・みね、たかみね、高峰、高峰!」
「っ!!・・・・・・・はい」
覚醒した意識で、恐る恐る顔を上げて、返事をする。
「一限そうそうから堂々寝てんじゃないよ!全く」
「すみません・・・・・・・」
怒られてしまった。初めて。なんかショック。
「じゃあ高峰、これ解いてみろ」
「えー、-1、3」
「お、おう。高峰、具合悪いなら保健室行けよ」
「はい、すみません」
先生の意地悪を暗算で躱して、席に座った。
具合悪い、か。どうだろうか、これは。ただ眠いだけだ。尋常に。これもその『具合悪い』に含まれるのか。
そう思いながらも、どうにか一限の数学は乗り切った。練習問題を即終わらせて、眠れたのが良かった。
そして休み時間。
「峰くん、本当に大丈夫!?ずっと見てたけど、ずっと死にそうだったよ!?」
「・・・・・・・死にそー」
呂律も怪しくなってきた。異常すぎる状況なのに、全く頭が回らない。身体が徹夜の状況に近い。
「保健室行ってきたら?熱あるかもよ?」
「熱はない。というか、寝る、から、授業前に起こして」
机から次の地理の授業教材を引っ張り出して、再び突っ伏す。
その後、瞬時に意識が落ちた。
地理の授業の前にしっかり目覚めた後は、ちゃんととは言い難いが、一応起きて授業を受けた。
確かに異常だったし、眠かったけど、身体の状態は徹夜程度だ。徹夜はたまにするし、死ぬほど辛い訳じゃない。一周回れば耐えられる。
そして昼休み。
「あ、峰くん。お、おつかれー」
「ん」
ジャージの瀬戸が席に戻ってくる。早めに終わった青葉は、もう服を着替えて制服姿だ。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
珍しい沈黙が流れる。青葉が話し始めないのは普通として、瀬戸が話し始めを黙るのはあまりない。
青葉が不思議に思い、目線だけ持って行ったタイミングで、ようやく瀬戸が動いた。
「ね、眠気はどう?覚めた?」
「まあサッカーすればな。今は大丈夫。そういや、女子は何やってんの?」
「え?」
「体育」
「ああ、バレーだよ」
「そう」
なんかおかしいような。瀬戸より青葉の方が口数が多い。
まあ気にすることでもない。机の上を片付けて、カバンに手を突っ込む。
「峰くん!」
「ん、っと、どした?」
少し強い口調で呼ばれて、リュックに手を入れたまま固まる青葉。
「わ、私、運動得意なんだけどさ、バレーって難しいね!特にアンダーのパスがさ、全然思った方向に、行かなくて」
「・・・・・・・?」
思考に余裕がなかったらしく、素直な反応が出てしまう。取り繕うこともなく、まだ固まったままで返答に詰まる。
そうして口を噤んでいる間に、再び瀬戸が動く。
「いや、そうじゃなくて!お昼、一緒にどうかなって」
「昼?いつもの友達は?」
瀬戸はいつも女子のグループで食事していたはず。
「今日は用事だって言うから。どうかな?」
様子がおかしかったのは、昼食に誘うのが少し気恥しかったからだろうか。
「一緒にって、別に横並びで食べるだけだろ?」
別に拒むこともない。いつも通り青葉は席で食事をとるだけだし。
「・・・・・・・じゃ、失礼して」
「ああ、前来るのな」
「え?普通こうしない?」
「まあ、そうするか、普通」
青葉はてっきりこのまま横並びで話しながら会話すると思っていたが、瀬戸は空になった前の席の椅子を借りて、青葉の目の前に弁当を持って座った。机は青葉の机を使うらしい。
誰がどこで食べようと勝手だから青葉は気にしないが、こういうことするのは勘違いされそうで、あらぬ噂が流れそうだ。
「そういや、着替えなくていいのか?」
思考が重いので、さっさと気にするのをやめた青葉。素朴な疑問を投げる。
「食べた後にするー。って、今日はパンなの?いつもはお弁当だったでしょ」
「今日は寝坊したから」
「え?」
「ん?」
少しの沈黙。さっきからなんだと瀬戸に顔を向けると、恐る恐る瀬戸が口を開いた。
「・・・・・・・もしかして、自分でお弁当作ってる、わけじゃないよね?」
「まあそうだけど」
「ええ!?本当に!?」
「声でかいな。そんなに驚くことか?」
過剰反応する瀬戸相手に、落ち着いた様子で返す青葉。別に驚くことじゃない。料理が出来れば、弁当だって同じことだ。
何よりの変化は早起きしないといけないことだが、別に早起きは苦手じゃない。朝寝坊した青葉が言えることじゃないが。
「そりゃ驚くよ!峰くん料理できるの!?」
「・・・・・・・食事は俺に担当だから」
「すご、女子力高!峰くんに女子力負けてるのは普通にショックー!」
確かに女子力のなさそうな瀬戸が悔しそうな顔をする。だが別に大きな顔できることでもない。
「大したもんじゃないから。過大評価し過ぎ」
「いやいやいや、朝起きて自分で作ってんでしょ?めちゃ凄いよ普通できないから!」
「はいはい、さっさとご飯食べろよ」
「はーい」
なぜか少し不満そうに自分お弁当を食べ始める。習って青葉もパンを食べ始める。
「甘そうなパンだねー」
「まあ、そだな」
これは、今朝紅葉が持っていたものを貰ったものだ。紅葉がはまってる長方形のチョコチップケーキと、シナモンロール。どちらも糖分の量がえげつなさそうだが、青葉も甘いものは嫌いじゃないから、ちょうどいい。
だが、一個目のシナモンロールで既に手は止まってしまう。
「瀬戸、甘いもの好きか?」
「うん?そりゃー好きだよ、女子だもん」
偏見の入った返答だが、まあいい。
「じゃあこれあげるよ、もうきつい」
「え、それ一個でだけでお昼終わり?お腹空くよ!」
「寝不足で喉通らないんだよ」
一限ほどのゾンビ状態じゃないとはいえ、寝不足であることには変わりない。まあ寝不足なわけない睡眠時間だが。
でも実際は身体がそんな感じだし、喉が通らないのも仕方ない。逆流してきそうだし。
「元々少ないのに、せめて二つくらい食べなきゃ!」
「まあまあ、助けると思って。ほらほら、甘いからさー」
パンを振って誘惑してみる。少し困った顔の瀬戸が見える。
「んー・・・・・・・じゃあ、半分こしよう。半分は食べて。いい?」
「・・・・・・・分かったよ、りょーかい」
仕方なく、その条件で了承した。青葉を心配しての提案だし、無下にはできない。
パンを半分にして、机にティッシュを敷く。自分の分をティッシュに置いて、もう片方を袋のまま瀬戸に渡した。
「ありがと」
「どうも」
残り半分をかじる。甘くておいしいけど、喉につっかかる。息を吐きながらゆっくり小さく食べ進める。
「・・・・・・・峰くん」
「ん?」
「こっちも食べる?」
弁当を傾けて俺に見せる。
「喉通らないって言わなかったか?」
「だってさ、ちょっと量がさー」
「食べれないなら無理はさせないけど」
「食べれないことはないけど、カロリーがちょっとね」
なるほど。太るから嫌、と。
「瀬戸はも少し丸くなるくらいがちょうどいいって」
「丸くなるって表現がもうアウトだよ!」
「まあ大丈夫だよ。少しくらいは」
「そーかなー」
青葉の都合だから強制はできないけど、感じからして断る気はなさそうだ。言った通り、甘いものだからだろう。
少し不安そうに弁当を食べ進める瀬戸が、いいこと思いついたような顔になる。
「峰くん、じゃあさじゃあさ、このお礼に今度峰くんの弁当食べさせてよ!」
「弁当?」
「うん!食べてみたいなぁ、峰くんの料理!」
「弁当箱二つないから無理」
弁当を作るときに、一つも二つもあまり労力は変わらない。だから作ること自体は別にいい。
それに、本当は紅葉の分を考えれば弁当箱はある。けど、紅葉の弁当箱を使うのは少し気が引ける。
「じゃあ事前に渡しとくからさ!それか交換でもいいよ!」
「なんでそんなに食べたいんだよ」
「そりゃ峰くんの女子力を確認したからだよ!」
青葉の女子力の高さが思ったよりもショックだったらしい瀬戸は、少し前のめり気味だ。
いつもなら丁重にお断りするところだが、今日一日色々世話になっている。睡眠から起こして貰ったり、ノート貸して貰ったり。
「・・・・・・・ま、機会があったらな」
「やった!言質とったからね!」
「ああ」
そのあと半分のパンを食べ終えて、いつもより騒がしい昼食は過ぎて行った。
その後も授業中の内職で上手く時間潰して、どうにか入学以来一番つらい学校生活の一日を乗り切った。
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