第5話 バイト

 紅葉と過ごす平穏な休日が過ぎて。

 そして、その後の一日、二日。入学式後の学校も、青葉は何事もなく、本当に何事もなく終わらせ、放課後。青葉はほぼほぼ一言も発さずに、真ん中一番後ろの席で、無難に過ごしていた。

 ・・・・・・・はずだったんだが。

「ついてないっ!!」

 と、叫びたい気分になっている。

 今日の二限。委員会、係決めの時間。別に興味もなく、希望もなかったので、あまりもの志望で席に座ってたんだが。

 終わり頃には、青葉は体育委員になっていた。なぜ運動部も多いだろうクラスの中で、帰宅部の青葉が体育委員に選ばれてしまったのか。

 いや、体育委員自体は柄ではないけど別にいい。だが、問題は今日。近日ある球技大会の話し合いが今日の放課後にある。

 そして、青葉には放課後用事があった。バイトの面接だ。

 用事があると言えば帰れるかもしれないが、学校にバイトの申請をまだしていない。用事の内容を話さずに帰るわけにはいかないので、今日は出るしかない。

 まだ学校のフル日程じゃないので、集まりに出ても面接は間に合うが、走ることにはなるかもしれない。

 だからついてない。だって。

 集まりが終わったとき、外が騒がしくなっているのだから。

「雨なんだよなぁ」

 昇降口に着くなり、そう小声で口にする青葉。

 同時に、スマホで時間を確認する。面接時間まではまだ少し。雨の中走ることにはならなそうで良かった。

 常に携帯している折り畳み傘を開いて、昇降口の外へ。

「・・・・・・・ん?」

 と、暗い外で、一つの影を見つける。知っている人、というか、さっきまで一緒にいた女子の体育委員の瀬戸だ。

 見たところ、傘がないようで。急いで彼女に駆け寄る。

「・・・・・・・わっ!」

 瀬戸が走り出そうとして、いきなり遮られたみたいに、驚いて少し後ずさる。

 間に合って良かった。瀬戸が雨に濡れる前に、傘を瀬戸の上からかぶせる。

「えっと、高峰君?」

「これ、貸すよ」

「え、でも・・・・・・・」

 案の定躊躇う。まあ普通の反応だ。一緒に入っていくわけには行かないし。

 だが、ほっとくのは無理だ。瀬戸は俺の一つ前の席の人で、今日のアンケートで知ったが、電車通学らしい。濡れるのは色々困るだろう。

 そんなこと、他人の不幸ってことで無視すればいいかもしれないけど、青葉はそうしない。人の優しさに救われた青葉は、無視できないし、無視したくない。

「この後バイトで、どうせ走らないと間に合わないから」

「え、バイト?」

「じゃ、そういうことで」

「あ、待って!」

 面倒くさいので、そのまま走り去ってしまうことにした。

 あながち嘘じゃない。マンションに戻って、濡れた体をどうにかしてバイト先に行けば、割と時間はギリギリになる。むしろ、遠慮されて時間とられる方が迷惑だし。

 でも、少し渡し方がきもかったか。青葉も紅葉と同様、漫画の読み過ぎかも。超絶に引かれたかもしれない。

「・・・・・・・まあ、いいか」

 雨に濡れながら、気の抜けた極論で頭から思考を消した。




「・・・・・・・ただいまー。紅葉さーん」

 玄関で止まって、家の中にいるはずの紅葉を呼ぶ。雨水は外で落としてきたので、できるだけ家の中が濡れないように。

「おかえりー青葉―、ってなんで!?」

「人に傘貸したらこうなりました」

 簡潔に言って、重いブレザーを脱ぐ。流石にびしょぬれ、明日までに乾くのか、これ。

「へぇー、青葉友達できたんだ!良かったー」

「友達じゃないけど」

「え?あ、タオル、持ってくるね」

「うん、ありがと、紅葉さん」

 疑問を持ちながらも、洗面所に下がっていく紅葉。青葉は大人しく玄関で待つ。

 髪の毛を触る。乾かすだけで大丈夫か微妙なところだ。癖っ毛だからな。

 少しして、紅葉がバスタオルを持ってきた。

「はい」

「うん、ありがと」

 受け取って、頭にタオルを乗せる。同時に濡れたブレザーを持ってもらう。

「・・・・・・・青葉」

「ん?」

 少し静かな声で、紅葉が名前を呼ぶ。視線を向けると、どこともない空間を見つめている。

「傘貸したって・・・・・・・もしかして女の子?」

「へ?まあそうだけど」

 予想の外の問いに、少し変な声が出る。

「・・・・・・・そ、そう」

「どうしたの?紅葉さん」

「別に。流石手早いねって思っただけ」

 どうやら、大きな勘違いをしているらしい。少しむっとしてるような気がする。

「狙ってるわけじゃないし、多分引かれたと思う。キザな渡し方しちゃったから」

「どんな?」

「・・・・・・・えっと」

 少し躊躇われたが、仕方なくそのシーンを話すことにする。少し恥ずかしいけど、なんか勘違いしているみたいだから、一応話した方がいい。

 話し終えた頃には、紅葉は肩を揺らしていた。

「そ、そうなんだ。それはちょっと・・・・・・・ぷっ」

「笑わないでよ。走り出しそうで急いで止めようとしたらそうなっちゃっただけだし」

「いやごめんごめん。でも、優しいね、青葉」

「・・・・・・・僕は紅葉さんみたいになりたいんですよ」

 紅葉は青葉の目標だ。それは作品を作り出すクリエイターとして紅葉ではなく、それを含めた紅葉の全部が、青葉の憧れだ。

 紅葉の言葉、紅葉が自分にくれたもの、紅葉が気づかせてくれたもの、紅葉の優しさ、全部覚えてる。全部が、今の青葉を形作っている。

 だから、青葉が紅葉に憧れるのは自然な流れだ。そして、自分が貰った親切を、他の人にも分けたいって思うのは普通のことだと思う。

「・・・・・・・そっか。うん!存分にマネするといいよ!」

「はい、尊敬してます」

「・・・・・・・流石に真っ向から言われると照れるなー」

「以前も言いませんでしたっけ、って時間ないんだった!」

「あ、バイトの面接!急がないと青葉!」

「ちょ、手伝ってください!」

 流石にのんびりしすぎたようで、普通に時間が迫っていた。

 濡れた髪を乾かし、濡れた服を着替え、制服は紅葉に任せて、紅葉の傘片手に家を飛び出した。




 スマホの地図アプリ片手に、少し早足でバイト先に急ぐ。

 決まったバイト先は紅葉からの紹介だ。日曜に話がきて、火曜日に面接が決まった。流石に日程が急すぎる。

 流石に驚いた。あまりバイトに積極的でなかった紅葉がバイトを紹介してくれるなんて何事かと思ったが、そのバイト先が、まさかのカフェだった。駅から少し離れたところにある個人経営のカフェ。紅葉が冗談半分で言っていたことピッタリ。

 どこで見つけたのか聞いてみたが。

「Google先生で検索して、直接行ってみただけだよ?」

 とのこと。青葉が日曜に探したバイト先は無駄になってしまった。紅葉が最速の面接日を決めてきてしまったから。

 勝手なことだが、でも青葉からしたら都合がいい。そんなに早く面接を組めるなんて他にないだろうし、元々ファミレスで働こうと思っていたから接客はやるつもりだったし。

 だが、流石に初日に遅刻はまずい。びしょ濡れで面接するのも駄目だ。濡れないように急がないと。

 そうして、意識を凝らして、どうにか目的地に到着した。神経を使って、どっと疲れが来る。

 だが、もうすぐ時間になってしまうので、軽く息を整えて、店に入った。

「すみませーん」

 静かな空間のカフェに合わせて、声を小さくして声をかける。閑散とした空気、薄暗い店内、客はちらほらって感じだ。雰囲気のいいところだな。

 しばらくして、カウンターの奥から店の人が出てくる。

「いらっしゃいませ。って君は、もしかして、」

「遅れてすみません、面接予定の高峰です」

「高峰、青葉君だよね?遅れてないから、だ、大丈夫です。どうぞ、中へ」

「お願いします」

 てっきりマスターが出てくると思っていたが、女性が出てきた。茶色い長い髪の眼鏡の女性。身長は紅葉より一回り小さくて、でも雰囲気的に紅葉くらいの歳だと思う。

 とりあえず、言われるがまま中へ。カウンターの横の扉を開け、事務所のような場所に通される。

 女性の方が椅子を引いてくれたので、一言添えてそこに座る。

「女性が面接相手とは思いませんでした」

 周囲を少し観察しながら、話を進める。

 個人経営だけあって、生活感のある事務所。自宅兼お店だし、当たり前か。居やすくて、落ち着くところだ。

「私は、ここのマスターの娘、です。すみません、お父さんは今出てて」

「なるほど。待った方がいいですか?」

 と、聞いたものの。

「いえ、私に任された、んですけど、私でも大丈夫ですか?」

 時間指定されてるんだから、聞くことなかった。

「それは別に。というか、なんで敬語なんです?がっつり年上ですよね?」

「い、いえ、初対面は、敬語使っちゃうんです」

「いいですよ、敬語は。まだ高一ですよ、僕」

 まだ正式に働ける歳になったばかりな上に、仕事の先輩になるかもしれない人に、敬語を使われるのはなんかしっくりこない。

「わ、分かりました。けど、じゃあ高峰くんも、敬語じゃなくて、いいから」

「いえ、僕はいつもの癖抜けないから、少し軽く話すくらいでいいですか?」

 紅葉にもいつもほぼ敬語を使っているし、年上には敬語を使うというのがもう染みついている。それに、紅葉には敬語で、仕事の先輩にはため口ってのも、関係の長さ敵に変な話だし。

「うん。じゃあ、よ、よろしくね、高峰くん」

 ぎこちないが、どうにか敬語じゃなくなっている。

 ん?よろしく?

「あれ?もう採用ですか?」

「え、うん。決めるのはお父さんだし、お父さんはもう採用でいいって」

「雑だなぁ」

 思ったままが口に出る。面接とか、形だけなようだ。

「バイトの面接って大体そうなんじゃない、かな?」

「バイト初なんで、知らないですけど」

 正確には紅葉のを入れると二回目だが。

「あ、忘れてた。私は日野茜、大学三年生、です」

「はい、高峰青葉です。これからよろしくお願いします」

 確かに、目の前にいる女性の名前を知らなかった。

 軽く自己紹介した後は、仕事内容やメニューの確認、シフトの希望などを軽く話して、今日の面接は終わりとなった。




 面接が終わった後、せっかくだからと、コーヒーをご馳走してくれるそうなので、お言葉に甘えておいた。

 お店のカウンター席に移動して、席につく。その数分後、茜が正面に立って、コーヒーを出してくれた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 とりあえず、コーヒーを一口。

「・・・・・・・美味しい」

「良かった。ありがと」

 違いとかよく分からない青葉だが、それでもこれは美味しいと分かる。口触りとか、後味のほろ苦さとか。

 思わず二口目を運んでしまう。その間に、茜が口を開く。

「あの、私は、茜、でいいからね?お父さんも、いるから」

「じゃあ茜さん。他にバイトの方はいないんですか?」

 会話の始まりをきっかけに、少し気になることを聞く。さっき入った部屋、休憩室と紹介されたけど、他に人はいなかったし、その形跡もなかった。

「あと一人、女の子がいるよ。高校三年生の。学校の先輩、かな。多分」

「そうかも」

 ここらにある高校と言えば、青葉の通う高校しかない。駅からも遠いし、恐らくそうだろう。

「シフト少ないから、会う回数もあまりないかもしれないけど」

「それでこの店回ってたんですか?」

「あまりお客さんで混みあうことないから。でも、私もどれだけお店手伝えるか分からないし、お父さんにもあまり無理させられないから、高峰君が来てくれて助かったよ」

 要らない労働力だったらと心配していたが、そういうことなら少し安心した。紅葉が無理やり話しつけてきた可能性もあったから。

「僕も青葉でいいですよ。こっちだけ下の名前変だし」

「う、うん、分かった。青葉、君」

「紅葉さんが持ってきた話だったから、少し心配してたんですけど。紅葉さん無理な頼み方しなかったですか?」

 もちろん本人にも聞いて、問題なしと言われたが、本当にそうか確認しないと。迷惑をかけたんなら謝らないといけないし、そもそも青葉が働くこと自体迷惑だったらおいてもらうわけには行かない。

「・・・・・・・あの、ずっと聞きたいことがあったんだけど」

「ん?なんです?」

 青葉の質問に答える前に、質問が返ってくる。

「紅葉先生とは、どういう関係なの?」

「どういう・・・・・・・」

 つい固まってしまう。探るようにされた質問に、少し考えが巡る。

 紅葉とどういう関係か、言葉にすると難しい。

 青葉と紅葉の関係。恩人、同棲者、雇い主、色々思い浮かぶが、人に言うには少し不適切なような気がする。

 こういうとき、どういえばいいか。いや、その前に。

「紅葉さんのこと、知ってるんですか?」

「知ってますよ!大っファンです!」

「そ、そですか」

 これまで聞いた中で、一番大きい声で主張された。

 もしかして、ファンってことを理由にして、青葉のバイト許可とったのかもしれない。あの人顔出ししてないから、自分で言ったんだろうし。ある意味職務怠慢だな。

「で、どんな関係なんです?」

「あ、えっと・・・・・・・まあ、弟子、かな」

「弟子!?ほんと!?」

「僕の目標です」

 こう言うのが一番しっくりくると思った。青葉の遥か前にいる存在で、追いつかないといけない背中だから。

 たまに小説見てもらうこともあるし、教わってると言えばそうだから、嘘ではない。

「漫画書くんですか?青葉君」

「小説なら書きます。そんなことより茜さん」

「はい?」

 青葉自身の話になりそうだったので、上手く会話を躱す。

 でも、そんなことよりの先を考えていなかった。茜が乗りそうな話は・・・・・・・。

「・・・・・・・・・」

「青葉君?」

「いえ。紅葉先生のどのキャラが好きなんです?」

「っ!え、えっとね!・・・・・・・」

 茜が嬉しそうに笑って、少し音量を調節しながら話し始める。

 薄々は気づいていたが、茜はオタクだ。なら、こういう話をすれば、喜ぶと思ったし、嬉々として話し始めると思った。

 素晴らしいものを共有したい。それがオタクの習性で、普通の思考だ。俺もそうだからよく分かる。

 その後は、長々とオタクらしく語り合い、数十分間も店に居座ったあと、雨の降る空を帰ることになった。茜とは良い友人になれそうだ。

 次のバイトは明後日。その日が初仕事だ。その日までは、身体を休めて備えておこう。




 新学期、順調にことが進んでいく。だが、その不穏な変化は確かにあって、その順調である幸福が、それを隠す。

 その変化が青葉に牙を向ける。そこからが、この物語の始まりだった。

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