第4話 日常
夢を見る。
あの時の夢だ。
意識のはっきりとした夢。記憶にも残るし、それに毎回同じところから始まる、同じ夢だ。
よく分からないけど、定期的に見る夢。
始まりは、教室の騒がしい朝。クラス替え直後の空気がなくなりつつある、まとまり始めたクラス。僕は以前同じクラスだった友達と、女子も含めた新しい友達の輪の中にいる。
そんな、中学二年の何気ない日常の風景だ。
なんでこんな夢を。この頃何かあっただろうか。初恋でもしていただろうか。友達と喧嘩でもしたか。
いや、誤魔化す必要もない。
・・・・・・・母さんが、死んだ日だ。
母さんを、柚の母親を守れなかった日だ。
その笑い合う輪の中で、僕だけが笑っていない。僕の異変には誰も気づかない。きっと、気づけないのだと思う。それか、気づいても相手にするのが面倒くさいからほっといているだけか。まだ浅い関係だし、どちらも有り得る。
この後の展開は、何度も見てきた。毎回同じ道を辿る世界。このまま何事もなく授業が始まり、終わり、それを二回ほど繰り返して、そして三限の授業の途中。青い顔した先生が慌てた様子で教室に駆け込んでくる。
「た、高峰君。に、荷物を持って、ちょっと来てくれる」
先生の泣きそうな、でもぐっと堪えたかのような顔を見て、僕はあの時動けなかった。だから、動かずに。
「・・・・・・・仕方、ない、じゃないか」
口と後頭部を手で抑えて、机に伏せる。僕はこのときどう思ってたのか。泣きそうになっていたのか、怒っていたのか、あまり覚えていない。
ただ、確信した事実を前に、動けなくなった。確信を、確定させたくなかったから。
「母さんは、父さんが大好きだったから」
先生が入ってきたところで、僕は制御できなくなる。認識が客観的になって、毎回同じ結末を見る。
何も変わらない夢。夢だから何をしてもいいのに、何かを変えようとは思えずに、いつもここに行き着いて。
そして・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・またか」
ゆっくりと上半身を起こす。
目覚ましの煩わしい音を止めて、ベッドから足を下ろす。
気持ちの悪いくらい目覚めのいい朝。この経験も一度や二度じゃない。この夢を見た朝は、毎回こんな調子で目が覚める。もはや、起きたあとの第一声も定番化している。
なんでこんな夢を見るのか、という疑問すら枯れ果てて、さっさとキッチンに出る。
時刻7時半。早く起き過ぎた。今日は土曜日だから、しばらく二人とも起きないだろう。
とりあえず、コーヒーを入れて一息つく。見慣れない部屋だけど、紅葉の匂いがするこの家は、やっぱり落ち着く。
「・・・・・・・・・はぁ」
やることがない。小説を書こうにも、スマホは柚華の部屋にあるので使えないし、今はそれを考える気分でもない。
青葉はこういうとき、少し困ってしまう。普通の高校生なら、暇はスマホゲームやら何やらで埋めるのだろうか。だけど青葉にはそういうのはない。育成系のゲームとか、やりこみ要素とか、そういうのとは無縁だった。やるのは物語重視のRPGやノベルゲーとか。
そこで、椅子を引いてゆっくり立つ。小説でも読むことにした。本なら全て読み終わるということはないから、その点では暇つぶしに事欠くことがない。
部屋に行こうと玄関に差し掛かったところで、襖が開く音がした。
「青葉?」
「紅葉さん」
足を止めて、後ろに背を沿って紅葉の部屋の方に目をやる。そこには、パーカー姿の眠そうな紅葉が目をこすっていた。
少し戻って、紅葉の目の前まで行く。
「おはよ、青葉」
「おはよう、早いね紅葉さん。起こしちゃった?」
「ううん。なんか青葉が起きてる気が・・・・・・・したのかな?」
「そっか。とりあえず、コーヒー入れるね」
部屋に戻るのはやめて、キッチンに戻って、いつも通りのコーヒーを入れる。
入れてリビングに戻ると、タオルで洗った顔を拭く紅葉がいた。
「はぁー少しすっきりした」
「どうぞ、紅葉さん」
「ありがとー、青葉」
飲み終わってはないけど、青葉の分も入れ直して、二人でもう一度一息つく。まだ四月で、朝は少し肌寒い。コーヒーの温かみがちょうどいい季節だ。
マグカップに口をつけながら、青葉は正面の紅葉を見る。
少し眠そうにコーヒーをちびちび飲んでいて、朝からこうして一緒にいるのがなんだか不思議な気分になる。青葉が中学の頃は、早くても10時くらいからだった。
ラフな姿は割と見慣れているけど、朝から向かい合っているのは・・・・・・・少しいい雰囲気かも。
「紅葉さん疲れてないの?」
気になってそう質問する。
「んー、まあ大丈夫。本気で疲れてたら熱出してるし」
「無理はしないでね」
「分かってるよ、そりゃー。以前はすこぶる迷惑かけちゃったからね」
流石は漫画家の性というもので、紅葉は年に一回は風邪を引く。以前はクリスマスイブ前日に体壊して、青葉が看病した。
青葉からしたらクリスマスに予定なんてあるわけないので、別に何も迷惑ではないのだが、紅葉は少し気にしているようだ。まあでも、それでよりいっそう注意してくれるなら、それでもいいけど。
「紅葉さんがそんなにぎりぎりまで原稿延ばすなんて。やっぱ引っ越し大変だった?」
「別に?それを言い訳にするのは楓さんにだけだよ?」
「そ、そう」
そういうの全部バレてるからあの人は紅葉に容赦ないんだろうな。
「それより、青葉は?やっぱあれ?」
「あれ」
あれ、というのは夢のことだ。紅葉には話したことがある。不思議な体験なわけで、話題にしないのは勿体ない。
「なんなんだろうね、その現象。不思議、というか不気味だよね」
「ですね」
紅葉が今日青葉が例の夢を見たのだと勘づけたのは、その夢を見た日の傾向ゆえだ。一つは妙に目覚めがいいこと。それと、平日休日関わらず、早めに目が覚めるということだ。
不思議で不気味だけど、実害があるわけでもない。見る夢があの日のことなら、青葉はそれを見る理由があり、それ自体は不思議ではない。
今のところ不都合や困ることがない以上、あまり気にしてはいないが。
「でもま、紅葉さんが起きてくれたし、別にいいかな」
「そ、そう?一人じゃ退屈?」
「することはあるけどさ、紅葉さんと一緒にいる方が楽しいし」
「昨日夜すぐ寝ちゃったからね。今日はとことん相手してもらうつもりだから!」
「元気だね、紅葉さん」
「そりゃーね!」
原稿終わった後だからだろう。特に〆切に追われている後の解放感で、テンションを上げるなというほうが無理な話だ。
紅葉は本当に凄い人だ。大学に通いながら〆切にも追われて、課題もやって、周りの人に優しくできる人。青葉にとって、最も尊敬できる人だ。
だから、紅葉みたいになりたいと青葉は目標にしている。するべきこと、つまり肝心の原稿は今現在不調だが。
「で、何したいの?紅葉さんは」
「んー、そう聞かれると答えずらいなー。青葉は何かしたいことない?」
紅葉とならなんだって楽しい。ゲームしたり、一緒にアニメを見るのもいい。ボードゲームとか、アナログゲームも面白そう。アウトドアも、運動不足の紅葉にはちょうどいいかも。
でも、したいことと聞かれて、青葉が真っ先に思い浮かんだことがあった。
「バイトがしたいかな」
「え?バイト?」
変化球を返したせいで、紅葉がきょとんとしてしまう。
「バイト」
「なんで?欲しいものあるなら、気遣わないでって言ったよ?」
「別に遠慮してるわけじゃないんだけどさ、そっちの方が僕としては気が楽だから。どう?紅葉さん」
細かいことは言わないでおいた。もちろんやるべきことも、やらなきゃならないこともある。
だけど、それだけをこなして、紅葉に養われるのは違う。そう思った。
家事の仕事は、いつもの家から紅葉の家へ、移動する時間がなくなったので、少し余裕ができた。その余裕を他の仕事に回すだけ。家事の仕事は絶対に手を抜かない。小説も書く。勉強ももちろん。
できるかは分からないけど、分からないなら行動しないって選択肢はない。紅葉なら、そう言う。だから相談せずに決めた。
「・・・・・・・そっか。別に反対はしないよ。でも、辛くなったらすぐ言うこと!」
「うん、分かってる。ありがと、紅葉さん」
反対されるとは元々思っていなかった。創作の仕事志望なら、バイト自体いい経験になるから。
そして、心配してくれるとも思ってた。その予想通りの反応で、青葉の頬が少し緩む。
「・・・・・・・あんまり、入れないでね」
「ん?」
「シフト。少なくとも休日は片方にしてね」
どうして休日だけ指定をするのだろう。まあでも休日の片方だけってのは無難だけど・・・・・・・。
「そこはまだ考えてないけど。それは約束できないかな。バイト先にもよるし」
「えー、それは許したくない」
意外とはっきりとした拒否だ。
「なんで?」
「・・・・・・・あんまり、青葉と遊べなくなるから」
「遊んでばっかじゃ原稿落とすよ?」
「そこはしっかり調整してるもん!できるだけ少なくしてね!これはお願い!」
「・・・・・・・それは約束できないって」
話題を交わそうとして、でも意外と食いついてくる紅葉に、しっかりと返す。
青葉だってそんなにお金を稼ぎたいわけじゃないし、ましてや生活の足しに、なんて思ってはいない。他にもやることがあって、体力的にも心配だし。
でも今は時間がない。急がなきゃいけない理由がある。だから、約束できない。
「なんでよーもー。欲しいものあるなら買ったげるよ?」
「そういう話じゃないから。というか、休日なら僕じゃなくても、柚がいると思うけど」
「柚ちゃんもいいけど・・・・・・・いや、柚ちゃんだって遊び行っちゃうと思うから!」
まあ確かに。柚華の場合、一からの人間関係で大変だろうけど、上手くいったのなら遊びにくらい行くか。中学生だし。
「・・・・・・・ま、できるだけそうするよ、じゃあ。僕も紅葉さんとの時間が減るのは嫌だし」
「そう?ならいい」
今はこのくらいまでしか言えないけど、ずっと詰め込むわけじゃない。きっと紅葉を不満にさせるほどはやらないと思う。
許可が取れたとなれば、すぐにバイト先を探さないと。多分学校の方に申請を通す必要もある。青葉の場合、事情が事情なので通らないことはないと思うけど、どれくらい時間がかかるか分からない以上、後から申請することにはなりそうだ。
「なんのバイトするつもりなの?」
頬杖をつく紅葉が、微笑みながらそんなことを聞いてくる。
「まあ、ファミレスとか、コンビニとかですかね」
「無難だねー。どうせなら、おしゃれな個人経営のカフェとかで働いてみてよ!」
「どこにあるんですか、そんなカフェ。ところで、紅葉さんはバイトしたことないんですか?」
「ないよ。する必要もなかったし、漫画書いてたしね」
「まあそっか」
考えてみればそうだ。大学生の今現在ですでに紅葉は連載しているわけで、高校生の頃もたくさん努力してきたのだろう。バイトなんてしている暇はないか。
にしても、紅葉の高校生時代、見てみたかった。
「カフェ、近くにないかなー」
「ああ、カフェ。駅の方行けばあると思うけど」
でも、個人経営のカフェだったら、駅の方は物件が高いから逆にないかも。ここは割と大きい駅だから、チェーンのカフェはあると思うけど。
「探してみたら、バイト募集のとこあるかもよ?」
「漫画の読み過ぎ」
「漫画家だもん」
その返しに、呆れ顔で返す青葉。
そもそもバイトを募集している可能性が低いって話だ。それに、ド陰キャの青葉にはおしゃれな店は荷が重い。
まあ、物語の肥やしになるなら、働けるなら働くけど、そんな店はまずないし、求人サイトにはもっとないと思う。給料は高い方が嬉しいけど、とりあえずは働きやすい普通のお店でいい。
話が一段落ついて、二人してコーヒーを口に運ぶ。一瞬静かな時間が流れて、ほぼ同じタイミングで、コーヒーを口から離す。
マグカップをテーブルに置いたタイミングで、青葉から。
「で、今日何するって話でしたっけ」
「そうだった。青葉がバイトとか言うから」
一応問いにはちゃんと答えたけども。
「まあまあ。それで、何かしたいこと思いついた?」
本当の問いには答えず、とりあえず紅葉にバトンを返してみる。青葉の頭じゃ何も浮かばなかったし、そもそも原稿頑張った紅葉が決めるべきだと思う。
「んー・・・・・・・・・・・ーと」
「ん?と?」
小さすぎて、というか言葉になってない言いかけで、流石に分からなかった。聞き返しちゃったけど、そもそも何か言おうとすらしてなかったかも。
「と、とにかく!楽しければ何でもいいかなーって」
極論を持ち出す紅葉。何でもが一番難しい。
でも、確かに何でもいい。何しても、きっと安らぐから。
「なんでも。まあじゃあ、三人でゲームでもしますか」
「そう、だね!うん、何しよっか」
「それは紅葉さんが適当なやつ決めてください」
最後の決定は紅葉に任せて、このどうでもいい議論は終わりを迎えた。
誰かと一緒に時間を過ごせば、だらだらと時間は過ぎて行く。それでいい。
時は金なりと誰かが言っていたけれど、その通りだと思う。時間にだって価値がある。
そして、長く感じる時間よりは、短く感じる時間の方が、絶対に価値があると思うから。短い価値ある時間を、大満足で消費していきたいと、そう思う。
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