七日目:空虚の宴
そしてその日はやってきました。
私はこの日の夕方にウィンベル家を発つ予定でした。客人が来た時に掃除をしていてはみっともないので、見合い相手の来る昼の前まで清掃をし、昼からは見合いの準備を手伝うことになっていました。
清掃に充てられる時間が限られているため、今日は客人が足を踏み入れない箇所は省略されました。その上マリエ様は見合いの準備のため、いつもと違うタイムスケジュールでした。そのため一緒に食事を摂ることもなく、マリエ様の様子を知ることはできませんでした。
昼前になり清掃が終わると、私は見合いの席に出すフルーツを切ることを命じられていたため厨房へと向かいました。
厨房へ入ると、そこにはアンジェラが居て、既に幾分かのフルーツを剥いていました。私が隣に立ち一緒に剥きはじめると、アンジェラが口を開きました。
「今日のお見合い、上手くいくと思う?」
私は思わず手を止めました。
「さあ・・・私にはなんとも」
「お嬢様があの調子じゃない。せめてお見合いの時だけでも猫を被ってくれてればいいけど、お見合いが嫌だったらいつもみたいな態度をとるかもしれないわね」
「アンジェラ様は、マリエ様が見合いを嫌がっていると思いますか?」
もしかしたら彼女は何か知っているのかもしれないと探りを入れてみましたが、返ってきたのは溜息だけでした。
「わからないわ。でも最近何事にも反抗的だから、お見合いも嫌がっている可能性もあるかもしれないと思って」
「そうですか」
私達はまた、手を動かし始めました。
すると廊下の方が騒々しくなり、何人かの大声が聞こえてきました。
「今更なにを言っているんだ、もう先方も到着するんだぞ」
旦那様の声が聞こえたかと思うと、続けて奥様の困った声も耳に入ってきました。
「今回ばかりは我儘は許されませんよ、部屋に戻らないと」
何が起きたのかと廊下に出てみると、マリエ様が旦那様と奥様、それと数人の使用人に囲まれていました。どうやら見合いの直前になってマリエ様がそれを反故にしたようでした。
使用人の一人がマリエ様の腕を掴もうとした時、マリエ様と目が合いました。すると彼女は使用人の腕を振りほどき、
「リン・・・!リンレイ・・・‼」
と私に向かって叫びました。
名前を呼ばれた私は気がつくと駆け出していて、周りの人間を搔き分けてマリエ様の腕を掴んでいました。そして突然の事に固まる周囲の人達をよそに、そのままその場を離れて走り出しました。頭の隅の方でとんでもないことをしているという自覚はありましたが、私は止まることができませんでした。
走り続けた私達は中庭に飛び込みました。二人して整わない息を切らせていると、
「やっちゃったわね」
とマリエ様がにやりとしながら言いました。
「申し訳・・・ございません・・・・・・」
同じく息を切らせた私が言うと、
「でもすっきりしたわ。ずーっとどうしようか迷っていたから、これで吹っ切れた」
とマリエ様は私の肩を叩きました。
ややあって、旦那様と、少し遅れて奥様が中庭に駆け込んで来ました。私たち同様息を切らせた旦那様は、
「マリエ、今ならまだ間に合う。先方が到着する前に早く戻るんだ」
とマリエ様に手を伸ばしました。しかしマリエ様は身を引くと、きっ、と旦那様を見据えました。
「私にはお見合いなんてする資格は無いのに?向こうの家を騙すのね?」
その言葉に、旦那様の手が止まりました。赤かった顔が青くなると、「お前、何を・・・」とつぶやきました。
「お見合いをするべきなのは、リンじゃないのかしら?」
マリエ様が畳み掛けると、旦那様の肩からは完全に力が抜けていました。
「知っていたのか・・・」
奥様も眉間に手を当てて俯いていました。
「リンレイにも全てを話したわよ。私が知った時みたいに、動揺してる。私たちこれから、どうしたらいいの?」
マリエ様の言葉に、旦那様は溜息をつきました。
「ひとまず先方には謝罪して見合いを中止しよう。これからのことはその後だ」
屋敷に戻ると、私達四人は旦那様の書斎に集まりました。旦那様は引き出しから数枚の手記を取り出すと、
「これを見たんだな・・・?」
とマリエ様に差し出しました。マリエ様がええ、と答えると、旦那様は手記を机に置き、私達に座るよう促しました。マリエ様と私が隣で座り、ご夫妻と向かい合うかたちになりました。
「・・・それで、マリエ、お前はこのことを前から知っていたようだが、この家の娘として生きていくつもりが無いなら、なにか決めたことがあるのか?」
旦那様の問い掛けに、マリエ様は、「それは・・・」と言って目を伏せました。
「私も今日までどうするかずっと迷っていたのよ。さっきは咄嗟に逃げ出しちゃったから・・・具体的に考えてはいないわ」
旦那様は私に向き直りました。
「リンレイ・・・非常に申し訳ないが、もう今更君をこの家の娘として迎え入れることはできない。マリエにも悪いことをした」
奥様も涙ぐみながら仰いました。
「私のせいです。二人とも・・・本当にごめんなさい」
私はいいえ、と頭を振りました。
「私は使用人として生きてきたことに不満は無いですし、原因はお姑様だと聞いています」
私は心からそのように言いましたが、マリエ様は腕組みをして黙ったままでした。
そんなマリエ様を見て、旦那様は咳払いをした後に口を開きました。
「・・・マリエ、お前・・・アイザックと暮らすのはどうだ?」
その言葉に、マリエ様は腕組みを緩めて、驚いたように旦那様に視線を向けました。
「お前たち、そこそこ良い仲なんだろう。ここの近辺でなければ、嫁ぎ先が名家でないとは分かるまい。好いた人間と結ばれるのであれば、お前もお前の人生を歩むことができる」
「気づいていたのね・・・」
「今回タイミング良く彼が暇を申し出たのもお前たちの共犯か?私達がリンレイを呼ぶと思ったのだな」
どうやら私の代わりに七日間の暇を申し出た使用人のことのようでした。確かにマリエ様はその話をした時に使用人のことを「彼」と呼んでいましたし、今回の事情を話した上で協力してくれる異性であれば恋仲であってもおかしくはないと思いました。
「アイザックには・・・聞いてみないとわからないわ。明日、戻ってきたら聞いてみる」
困ったように話していましたが、マリエ様はどこか嬉しそうな表情をしていました。先ほどまで会ったこともない異性に嫁いで偽りの人生を送るはずだったのが、意中の人と自分の人生を送れるかもしれないのですから、嬉しくないはずはありませんでした。
「それで・・・あなたはどうするの、リンレイ」
真剣な顔に戻ったマリエ様が私に問いましたが、当然すぐに答えは出てこなく、私はエプロンドレスの裾をきゅっと握りしめました。
「私は・・・わかりません、まだ・・・。一旦は、キーズ家に帰らせていただこうと思います。両親や家の方たちと今回のことを話して、改めて考えようかと思います」
「まあ、そうなるわよね。・・・でも、困ったら何でも言ってよね。元はといえば、この家が引き起こしたことなんだから」
マリエ様の言葉に、ご夫妻があらためて私に向き直りました。
「リンレイ・・・本当に悪かった。でも、無事立派に成長してくれて嬉しい。これからは、ちょくちょく顔を見せてくれないか」
その言葉に、私は微笑んで頷きました。気づくと私は涙を流していて、同じく泣き笑いのご夫妻に抱き締められていました。
それから私は名残惜しそうにするご夫妻やマリエ様をあとにウィンベル家を発ちました。来る時は心がはずんでいたのに、今はどうキーズ家の人たちに打ち明けるかとか、これからの自分の人生のことやらで打って変わって頭の中が一杯でした。
キーズ家に帰ると、まず両親に私が自分の出生を知ったことを打ち明けました。両親は驚きながらも、いつかはこうなる日が来るかもしれないと覚悟していたらしく、私に詫びを入れたあと、一緒に家主のもとへ付き添ってくれました。
キーズ家の夫妻も私達の話を冷静に聞き、向こうの家が許すならば身の振り方はどのようにしてもいいと仰いました。私はそれに対する礼を述べ、ひとまずは休ませていただくことにしました。ウィンベル家で使っていたベッドより質素なそれに横になると、何度も寝返りを打ちながら、この凄絶な二日間のことに思いを巡らせていました。
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