六日目:告解
その日はマリエ様のお見合いが翌日に控えていたため、屋敷内は朝からどことなく慌ただしい空気が流れていました。
いつもと同じようにマリエ様の部屋に掃除に向かうと、マリエ様は机に頬杖を付き、窓の外を眺めていました。私が声を掛けても生返事しかせず、視線は窓の向こうの野鳥を追っていました。
「明日のお見合いが億劫でいらっしゃいますか?」
私が再び声を掛けると、彼女はゆっくりとこちらを向きました。
「そうね」
それもそうだと思った私は頷き、置物のガラスの鳥を拭きながら、
「マリエ様なら大丈夫でしょう。こんな他所者の私にも親切にしていただいたのですから」
と何気なく口にしました。しかしマリエ様は、私の発言に一層顔を曇らせました。珍しく何かを思い悩んでいるようでした。気分が悪いのかと問い掛けるとそうではないといい、机にとんとんと指を打ちつけていました。そして大きく頭を横に振ると、吐き出すように仰いました。
「・・・・・・あなたは、他所者じゃないのよ」
私は置物を拭く手を止めました。
マリエ様の言葉の意味が分からず振り返ると、彼女は顔を歪めて、
「・・・あなたは、ここの家の子なの」
とつぶやくように口にしました。
「・・・仰っている意味が、分かりませんが」
私が狼狽していると、マリエ様は堰を切ったように話し出しました。
「・・・いい、よく聞いて。ここの家の本当の子はあなたなの。私の方が他所者で私はここの家の子どもじゃない。
あなたの本当の母親、つまり今の私の母親ね・・・彼女がここの家に嫁いできたものの、お父様の母親・・・姑に嫌われていたの。
そしてあなたが生まれたら、その嫌がらせの矛先は弱いあなたに向かった。
最初は腕をつねったり、使用人が用意した離乳食を床にぶちまけたりする程度だったけど、だんだんエスカレートしていって、とうとう二歳の時に焼き石をあなたの腕に押し付けた。・・・あなたの腕の痣はおそらくその時のものよ。
それでもうこれは危険だってことになって、昔から懇意にしていた、今あなたの働いている家に相談がいったの。
それでそこの使用人の娘だった私と、あなたが交換されることになった。
ここの家はそこそこ名のある家柄だったから、単純にあなたを預けてしまっては、子どもはどうしたって周りに詮索されてしまう。・・・跡継ぎの問題もあるしね。
本当は令嬢同士を交換できれば良かったんだけど、キーズ家の令嬢はその時もう六歳で、誤魔化すのが難しかったから、当時生まれたばかりの私と交換されたの。
・・・だから、あなたの本当の家はここで、本当の両親は今の私の両親、私の本当の家はキーズ家で、あなたの両親が私の両親。あなたは令嬢で、私は使用人よ」
私は少しの間、黙ったままでした。マリエ様の仰っていることを理解するのに時間が必要でした。
「そうすると・・・私の本当の名前はマリエなのですか?」
「それは違うわ。交換する時、あなたがもう自分の名前を覚えてしまっていたから、名前はそのままにしたの」
「マリエ様はこの話を、・・・今のご両親から聞いたのですか?」
マリエ様はかぶりを振りました。
「お父様の部屋に入った時に、偶然手記を見つけてしまったの。私も当然驚いたし、どうしていいか分からなくなったわ。それで心の整理がつかないうちに縁談の話が来て、余計に自分のすべきことが分からなくなった。
・・・だから、お父様たちが「この子は他所にやれない」って思ってくれないか期待して、とりあえず我儘に振舞ってみたの。・・・そんなことしたってしょうがないのに、子どもみたいよね」
気づくと私は、マリエ様の手を握っていました。
「そんな思いをさせて・・・、すみませんでした・・・!私なんかのために、人生を狂わせてしまって・・・」
珍しく私の声は震えていました。しかしマリエ様は私を抱きしめて肩を優しく叩くと、
「それはこっちだってそうよ。本当はあなたが令嬢だったのに、私がそこに収まって、本来あなたが歩くはずだった人生を歩こうとしている。令嬢のあなたに、使用人の仕事をさせている」
と、子守唄を歌うような穏やかな口調で仰いました。
「私は・・・どうすれば・・・・・・」
マリエ様から身を離した私が弱々しくこぼすと、彼女もまた困り顔を作りました。
「私だって分からないのよ。どうしたらいいか分からないまま、明日の見合いを迎えようとしてる」
「少し・・・考える時間をくださいますか。掃除の仕事に戻ります」
私はそう言って、逃げるようにマリエ様の部屋を後にしました。掃除をしながら頭を冷やそうとしましたが、私の心中はいつまでも驚きと狼狽が渦巻いたままでした。
その日の夕食時、いつものようにご夫妻とマリエ様と四人で食事を摂りましたが、マリエ様の話を聞いてしまった私はどのような顔をしていればいいか分からず、終始うつむいたまま料理を口に運んでいました。私の様子に気付いた旦那様が具合が悪いのかと尋ねてきましたが、私は何も問題ないと言って食事を続けるほかありませんでした。
マリエ様も口を開くことはなく、ここ数日賑やかだった食事の席は一変して静まり返っていました。
私達の異変に困惑したご夫妻が先に食事の間を後にした為、テーブルには私とマリエ様だけが残されました。
どちらも口を開くこともなく、それぞれの料理を突っついていましたが、少しするとマリエ様が先に口を開きました。
「頭の整理は・・・まだつかないわよね。私もあなたに話したのが正解だったのか、よく分からない。でもこれ以上自分の中にあの秘密を仕舞っておけなかったの。許してくれる?」
私の顔色は相変わらず良くなかったですが、二度、頷きました。
「マリエ様を恨むはずがありません・・・ただ・・・とても驚いていて、どうしたらいいのか分からなくて・・・」
今度はマリエ様が頷きました。
「見合いの話が来た時、私はとにかく一度あなたに会っておかないといけないと思ったの。
・・・それで、一人、懇意にしている使用人がいるから、彼に無理を言って七日間ここを離れてもらったの。そうしたら代わりの使用人が必要になるでしょう。あの二人だって、あなたを傍における絶好のチャンスなんだから、きっとあなたが呼ばれると思ったわ。
そうしたら見事あなたがやってきた。最初はあなたとどう向き合ったらいいか分からなくて、あんな態度になってしまったのは悪かったわ。今ならお父様とお母様があんなにあなたを歓迎したのも分かるでしょう?十五年ぶりの我が子との再会だもの。使用人と同じ扱いなんて出来なかったのね。」
私はマリエ様の話を聞いてはいたものの、心ここにあらずでした。
そしてマリエ様は大きな溜息をつきました。
「明日、どうしたらいいのかしら・・・」
マリエ様はつぶやきましたが、彼女の中にも、私の中にも、明確な答えは何も浮かんできてはくれませんでした。
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