I'm first liar.

She doesn't know anything.

「大丈夫か? えーと」


 バクバクと跳ね続ける心臓を静めようと、深呼吸を何度か繰り返していた時。

 バスが離れた所から聞こえた。


「……頭皮以外は案外無事。サンキュ」


 フードを被った男の人の手を借りながら、リーダー格の女の人は立ち上がる。


「いやー、ごめんよ皆。驚かせたっぽいね」


 彼女がさっき見せた激昂は鳴りを潜めていた。ニッと口角を上げて、笑ってみせている。母親は〖マスター〗に殺されたようなもの。そう判明した直後にしては、随分と冷静だ。

 ……平静だと思わせるだけの振る舞いは、できていた。その指先が震えている部分以外。


「ホンットにだよ」


 ソプラノがリーダーの背中に投げかけられる。嘲りを含んだ声色からは敵意を色濃く感じ取れた。


「この子とか怯えちゃってるじゃん。アンタ、大人でしょ? そのくせしてうるっせーし、ヤバそうなのキレさせっし。アンタのババアなんか知らねーしキョーミねーしカンケーねーのにさあ? ひたっすらにメーワクだわ」


 化粧の目立つ女の子が言い募る。その後ろで泣きそうな顔をしているのは、青緑色のチョーカーを身につけている子供。

 チョーカーの子供は怯えているというよりも戸惑っているように見えた。女の子が羽織っている薄手のカーディガンを、引っ張っては離すを繰り返している。


 それに気づいているらしい。柔らかな笑顔を向けて頭を撫でてから、女の子はツワブキ(?)さんに対して言い放った。



「マジでくたばれってハナシ」



 全体に鋭い緊張が走る。

 重苦しい静寂が訪れる、その寸前。

 「ねえっ」と。メッゾソプラノとソプラノの中間音域が鳴った。


「さっきの人って、ちょっと……割と……かなり……変わってたね」


 しどろもどろになりながら、黒いハイヒールを履いている女の人が言う。全体の注目が集まると微かに頬を赤らめた。


「なんか探偵っぽい服装だったー。アニメとかマンガとかで見る感じの」

「それ思った! あとはなんかこう、煙を吹く……水道管の茶色いやつみたいなのがあったら絶対それだよな!」

「パイプだよ」


 そこに便乗するように、榕樹高等部の男の子2人とその間に挟まれた子供がわざとらしく声をあげる。


「ああ、あれってタンテー? の服なんだ?」

「……君はやっぱり、そういうミステリとか探偵モノのマンガとか見ないよね」

「ショージキ。でもオススメとかあったら教えてくれると嬉しいな!」


 ……少しは予想できていたけど。化粧の目立つ女の子は、錆色短髪の男の子と穏便な会話をし始めた。むしろ彼の方が居心地悪そう。


 あまりにも分かりやすい手のひら返しに、リーダー格の女の人も肩を竦める。それを見て何を思ったか、「あの……」と蚊の鳴くような高音が聞こえた。


「……オオイワ、です。オオイワ、セッカ」


 チョーカーを付けた子供が挙手している。それを俺は無意識の内に見つめていた。流石に視線に気づかれて、怯えた風に縮まれてしまう。


「セッカちゃん、かあ。見た目もだけど、名前の響きもすっごくカワイイじゃん!」


 息するように子供を褒める女の子。彼女に何とも言えない笑顔を向けた後、短い茶髪の子供が「すみません」と手を挙げた。


「自分はロウバイツヨシです。提案があるんですけど、ちょっと良いですか?」


 全員が彼に意識を向けたのを確認して、リーダー格の女の人が頷く。敵意は無いと伝えたがっている笑顔で子供は続けた。


「既に……オオイワ、さん、が名乗ってくれた手前で言いにくいんですけど……皆さんの名前を書いて見せてくれませんか?」


 理由を長考している余裕はなかった。分かりやすく動揺を示している人がいる。


「…………えっと……あはは……」


 また化粧の目立つ女の子だ。自分の名前が好きじゃないのかな。

 そう思った矢先の発言だった。


 パンッと手を合わせて彼女は頭を下げる。


「ごめんねツヨシ!! あたし自分の名前漢字で書けないの!!」


 切羽詰まったかの大声に、俺の全身がすくむのを感じた。また荒れ始めた脈を大人しくさせるために首筋へ右手を置く。


「あら。ここ最近流行っている、きらきらネームというものなんですか?」


 薔薇家の親族らしい女の人がそう尋ねる。

 途端に、化粧の目立つ女の子は眼光を鋭くさせた。


「アンタにカンケーないじゃん。黙れよ」


 今度はもう、ハイヒールの女の人が口を挟む暇もない。誰もフォローに回れず沈黙した。


「……なあ、おまん、なんなん? やったらめったら噛みつきよって」


 耐えきれなくなったらしいのは、白い肌の男の人だ。威嚇するかのように彼はゆったりと立ち上がる。


「さっきのこともや。親の死んだ原因を前にして冷静でいられる奴なんか、そうそうおらん。場合によっちゃもっと錯乱しとってもええくらいじゃ。

 けんどこの人はこっちの心理状態を慮る言葉を使いよった。なのにあん態度ってのはどうなんやろって、ウチは思うけどな」


 女の子に反論する隙を与えず、「それに」と割れたホワイトボードを指差して言った。今はあれの近くに、灰色のピアスを付けた男の子がしゃがんでいる。


「あんな物騒なルールを読んどいてなんち、何をどう考えたらああもあっさりと言えるのか不思議でたまらんわ」


 売り言葉に買い言葉みたいな台詞を胃が潰れそうな思いで聞いていた。

 激昂するかと、反射的に耳を塞ぐ。


 ――でも。女の子は薄い胸を反らして言い放つだけだった。



「あたしはサルよりバカだから、ハナからあんなの読んでないっての」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 彼女は何も分かっていない。

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