6.満たされた舞台は、静かに幕を下ろす

 死者たちのパーティーは夜まで続いた。

 皆それぞれ、自由に飲み食べ、歌い踊り――賑やかさはいつしか食堂から飛び出し、邸宅中に広がっていった。


 僕とアンナ・ベルは、死者たちの輪から少しだけ離れ、庭先で夜の空を見上げていた。何を語るわけでもなく、楽しげな死者たちの声に耳を澄ます。互いに無言であっても、不思議と居心地悪さは感じなかった。


 吹き抜ける風は、穏やかに熱をさらっていく。心なしか、空を覆う雲も薄くなった気がした。かすかに輝く月、きらめく小さな星々。漆黒の夜は、いつしか別の色彩をまとい始める。


「ねえ、ドゥセル」


 不意に、アンナ・ベルがこちらを見た。銀の瞳は光を弾き、少女の表情を明るく見せている。


「なんだい、アンナ・ベル」

「どうして、ここまでしてくれたの」


 問いは、掻き消えそうなほど小さかった。アンナ・ベルは少しだけ不安げに、僕の服の裾を握る。


 どうして。答えを返そうとして、僕は言葉に詰まった。すべては、あの『葬儀屋』の言葉が始まりだった。今日の舞台を整えられたのも、あの黒い男が伝えてきた『幽霊でも食べられるアップルパイ』のレシピがあったからだ。


「どうして、か。そうだなぁ」


 『葬儀屋』のことを伝えようとして――なぜか、僕は何も言えなくなった。


 口が岩のように固まり、喉は意志に反して震えるだけだ。口に手を当てる。言葉は思い浮かぶのに、まさか、この体はしゃべり方を忘れてしまったのだろうか?


「ドゥセル?」

「え、あっ。……ああ、大丈夫だ」


 声が出た。安心すると同時に、疑問が薄く心に広がっていく。『葬儀屋』のことになると、何も言えなくなるのはどうしてなんだ?


「……まあ、きっかけはいろいろある。君に料理を作ろうと思ったのは、ここで何か自分の役割が欲しいと思ったことが始まりだったんだ」


 口にした言葉に間違いはない。僕は、僕の思いを裏切る体に違和感を覚えながら、問いに対する答えを紡ぎ始める。


「僕はさ、誰も助けられず、何も為せずに死んだから。せめて誰かの役に立ちたかった。大した理由じゃなくて、がっかりしたかな」


 良く考えても見れば、本当に大した理由じゃないな。しかしアンナ・ベルは、僕を見上げたまま、小さく首をかしげる。


「誰も、助けられなかった?」

「うん、そう。助けられなかった。僕が死んだ理由、聞いたら笑っちゃうよ。伝説の霊薬『エクリサ』を作ろうとして爆発事故を起こしたんだ。それで最期は誰にも看取られず、ひとりで死んだ」

「どうしてそんな……命を懸けてまで、薬を作りだそうとしたの。そこまでして誰を助けたかったというの?」

「家族同然の、友人だよ。苦しんでるそいつを……どうしても助けたかった」


 感情を吐露するなんて、格好がつかない。それも幼さの残る女の子の前で、生前の無念を語るなど、仮にも成人している男のやることではないと思う。


 心に苦いものが広がっていく。アンナ・ベルは僕の袖をつかんだまま、長いこと何も言わずにいた。彼女の髪に結ばれているフリルのリボンが揺れる。少しだけ、本当にわずかに、僕たちの間で時が止まったような――そんな気がした。


「家族を助けたいと思う気持ちは、それだけでとても健やかで幸せなことだわ」


 笑い声が響く。振り返れば、ガラス窓一枚隔てた先で死者たちが踊っていた。楽しげに、幸せそうに、満たされていくように。僕も今は、あんな風に笑えているだろうか。


 何気なく隣を見る。すると、アンナ・ベルは小さく顔をうつむかせた。


「わかるわ、ドゥセル。私にも、すべてを賭けて助けたい人がいるから」


 呟きは、笑い声に紛れてしまうほど小さかった。けれど、無表情に思える横顔には、切実さと悲壮な気配が漂っている。


「アンナ・ベルは、誰を助けたいんだい」


 静かに、問い返す。アンナ・ベルは無言で顔をあげた。


「それは」


 答えは返らなかった。


 瞬きをするよりも早く、視界の端を、暗闇の空を――白い輝きが切り裂いていった。


「アンナ・ベル!?」

「これは――!」


 刹那、足元が激しく振動する。僕たちは互いに支えあいながら、はるか東に光の柱が立ち上るのを、成すすべなく見つめていた。

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