1.拒絶する死者はしあわせな夢を見る
おめでとう、ドゥセル。
あなたは死んだのですよ、おめでとう。
「――何が『おめでとう』だ、くそったれ!」
怒りは、しばらく経ってからやってきた。
最初は自分の不幸に対する悲しみが押し寄せてきた。しかし、今の僕は泣くこともできない。鈍いとはいえ感覚があるならば、涙くらい流れればいいのに。
理不尽だ、と思った。自分の失敗で命を落としたことは、僕のせいだからまあ、いい。だけど、この状況はどうだ? 身体は醜い木偶人形だし、命令されれば従うだけの操り人形だ。
悲しい、苦しい、理不尽だ。少なくとも僕は、死んだからって人形になりたいなんて願っていない。こんな、不細工なかりそめの命を与えられて、喜ぶわけもない。
「……殺してくれ」
人間のものですらない耳障りな声は、自分の状況のみじめさを際立たせた。
「何なんだ、これは。何だっていうんだ、僕が何をしたって言うんだよ!?」
叫べば叫ぶほどに、心は砕けて跡形もなくゆがんでいく。空しかった。何もかもが、悔しかった。僕が愚かにも身の丈に合わぬ『エクリサ』の調合に手を出したのは事実だ。
だが、それだって難病を患った友人を助けたい一心だった。少なくとも、こんな仕打ちを受けるほどのことはしていない。こんな、死してなお辱めを受けるようなことなど。
死霊術師アンナ・ベルは、僕の叫びに何も答えなかった。凍った水面にも似た銀の瞳は、僕の怒りと悲嘆を見ることもしなかった。
「何とか言えよ! 僕を、元に戻せ! できないなら」
「殺せ、と? はぁ、聞き飽きますよね、その台詞。私はあくまでも死霊術師であって、殺人者ではないのですが」
「だったら僕をこの体から解放しろ! こんなのはあんまりだろう……!?」
「容れ物が気に入らなかったのですか。ふむ、それについては再考の余地はありますね。ですが、私の呼びかけに応じたのは、ドゥセル、あなたのたましいの方なのですよ?」
東屋の入り口に立ったアンナ・ベルは、ゆっくりと首を横に振った。わずかだが、血の気のないまぶたが伏せられる。
「僕が、だって?」
アンナ・ベルは無言でうなずいた。憂いを含んだまなざしを向けられると、声を荒げている僕の方が悪者のように思えてしまう。
「そうですよ。私は確かに死霊術師ですが、たましいの承諾もなしに相手を使役することはできないのです。ですから、あなたが私に怒りをぶつけるのは逆恨み以外の何物でもないのですよ」
「逆恨み、だって」
人間はどうして、怒りが強すぎると頭が真っ白になるのだろう。
死霊術師の言葉は、ぎりぎりで踏みとどまっていた僕の理性にとどめを刺した。ふらりと、作り物の足が動く。アンナ・ベルは無感動に僕を見つめた。そのきれいな銀色を傷つけてやりたい。僕が感じている痛みを、かけらでも与えてやりたい――!
腕を振り上げる。こんな少女を痛めつけるなんて外道だ。だけどもう、銀の瞳に移りこむ僕は、人間の姿をしていなかった。
「――ヴェイン」
アンナ・ベルが呟きをもらす。しかし僕は構わず腕を振り下ろした。が――。
「おぉっと、失礼!」
拳は、アンナ・ベルには到達しなかった。少女の一歩手前あたりに現れた銀のトレーが、僕の拳を受け止めていたからだ。
「お嬢様におさわり禁止でございますよ、新入り殿!」
視線を横に動かす。傍らには、カタカタとあごを鳴らしながらしゃれこうべが笑っていた。それだけでも理解不能なのに、そいつはシルクハットをのせ、身体には燕尾服をまとっている。
「ありがと、ヴェイン。もういいですよ」
「さようでございますか、お嬢様? もっと派手な演出をお望みなら、世界最高の魔術師『ヴェイン・M・オスロー』お任せあれ! でございますよ?」
「間に合ってます。それよりも、彼を落ち着かせてもらえる?」
すでに何一つ理解が追い付いていない。トレーに拳を打ち付けたままの状態で、僕はぴくりとも動けずにいた。
そんな状態に気づいたのだろう。ヴェインと名乗った骸骨紳士は、恭しく礼をすると軽快に指を鳴らした。
「承りました! では新入り殿には、世界最高の魔術師による最高のおもてなしを!」
骸骨ヴェインはかかとを鳴らす。瞬間、僕の体は宙に浮かんでいた。反射的に悲鳴を上げ、手足をばたつかせる。どうしてこうなるのかまったく、何もかも理解できない。
「ささ、そのままそのまま、すーっと、そーっとこちらのイスへ! ゆっくりー、おちついて~、さぁ、ひと思いに着地!」
ふわふわと宙を飛びながら、強制的にイスの上に座らせられた。ぐるぐると目が回っているのか、何となく頭が気持ち悪い。抵抗する気力が失せて、僕はそのままテーブルに倒れこんだ。
「新入り殿! 空中散歩の感想はいかに!?」
「きもちわるい」
「な、なんと! む、むむ。で、では、こちらをどうぞ!」
とん、と軽い音を立て、何かが顔の横に置かれた。目を動かすと、白いカップが湯気を立てているのが見えた。
「なにこれ」
「吾輩特製の『メチャウマ☆ほっとするティー』ですぞ! ささ、新入り殿! ぜひともぐーっと! 一気にどうぞ!」
「……なにそれ」
バカバカしすぎて、どうでもよくなってきた。僕は身を起こすと、カップを手に取った。中に注がれた液体は、赤みがかった澄んだ色をしている。においをかいでみると、酸味を含んだ甘さが漂ってきた。とりあえず、まともな飲み物のように思える。
視線を動かすと、骸骨紳士ヴェインは期待に満ちた目――といっても、眼窩は空洞だが。何となくそんなニュアンスでこちらを見ている。いまさら逆らう気力もなく、僕は惰性のままに飲み物を一気にあおった。
「…………」
「お、一気に行きましたな! さすが男前! いや顔はほぼ真っ平でしたな、ははは!」
「……ぅ……」
「で、して! お味は? お味の感想は!?」
「う」
「う? うまい!?」
「う、ま……」
僕はだばっと液体を吐き出した。我ながら汚い。骸骨は勢いよくあごを落とす。
「し、新入り殿……?」
「う、げ。ま、まま、まず……くそまずいんだよぉおおおおおっ! 何だこれ! 甘くて苦くてしょっぱくて、ありえないくらいくそまずい! どこが『メチャウマ☆』なんだよ詐欺だバーカバーカ!」
「お、おぉ……なんという、ことでしょう……! お、お嬢様! 吾輩はもうやっていく自信がございませんー……!」
混沌が、この場にはあった。液体のくそまずさにのたうつ僕と、うずくまって嗚咽を漏らす骸骨紳士。なんだこれ、としか言いようがない。
「落ち着きなさい、二人とも」
そこに天の声、ではなく、死の声が降り注いだ。アンナ・ベルは顔色一つ変えず、手にした銀のトレーで骸骨の頭をぶっ叩いた。
「お、お嬢様……!? 何をなさいますか!」
「うるさいですよ、ヴェイン。彼を落ち着かせろ、とは言いましたが、吐かせろ、と命じた覚えはありません」
「それは見解の相違というやつですねー。とりあえず怒りは収まったからいいじゃないですかー」
「口答えしない」
「はぁい」
なんだかもう、全部がどうでもいい感じだ。僕はテーブルの冷たさを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。これが夢だとしたら、僕は完全に頭がどうかしている。
「ドゥセル」
けれど、趣味の悪いこの光景は現実らしい。名前を呼ばれてまぶたを開くと、黒い花を手にしたアンナ・ベルが立っていた。
「何だよ。僕は疲れたんだ、放っておいてくれないかな」
「できません。ドゥセル、あなたは私の下僕なんですよ」
「下僕、ね」
もう少し耳障りのいい言葉なら、あるいは受け入れられたかもしれない。
だけど今は、何もかもが億劫だった。力なく笑い声を立てれば、アンナ・ベルは無言で花を差し出してきた。
「私は、死霊術師であり、あなたを使役する立場でもあります。でも、できれば命令はしたくないのです。私は、ほんとうに、心から死を経たあなたたちを……尊敬し、憧れてもいるから」
「尊敬? 憧れ……? 理解できないね。どうして君は、そんなふうに思うんだ」
「それは」
黒い花は、よくよく見ればバラのようだった。普通のバラは赤や白とか、明るめの色が多いと記憶している。黒いバラなんて不吉だ。けれど、死霊術師の少女が手にしていると、黒バラは死そのものの象徴にも思えた。
「それは、言えません。だけどもし。ドゥセル、あなたがこの幸福の庭で過ごしてくれて、それでもなお、この場所に何の意味も見いだせなかったというのなら」
アンナ・ベルの唇が動く。僕はゆっくりと体を起こした。少女の背後には、骸骨の紳士が恭しく控えている。誰も今度は茶化さない。だから、この言葉は本気だとわかった。
「私が、今度こそあなたを永遠に眠らせてあげます。これは死霊術師アンナ・ベルが、下僕として存在する『たびびと』に誓う、ただ一つの約束なのですよ」
「……さっきは、下僕にならないなら、永遠に死ぬこともできずさまよえ、とかって言わなかったか?」
「私は、自分のものは大切にするのですよ。下僕にならないなら、私がしてあげられることは何もない。それだけのことです」
「そう。自分勝手なことだなぁ」
アンナ・ベルの眉が下がる。何となく、少女に対する怒りは失せてしまった。我ながら甘いと思う。それでも、僕が死んだのは僕自身のせいであって、アンナ・ベルに責任はない。
僕は何も語らず手を伸ばす。たとえ、彼女が自分勝手だとしても、それを言う僕だって、十分自分勝手に生きていたじゃないか。
「承ったよ、ご主人様」
黒いバラを、アンナ・ベルの手から取り上げる。銀の目に初めて、はっきりとした感情が浮かぶ。戸惑い、困惑? それと、少しの怯え? 美しい瞳が複雑そうに揺れ、僕とバラを見比べる。
「いいのですか」
「構わないさ。どうせ僕は僕の勝手で死んだんだ。君の自分勝手に付き合うのは、えーっと、そう、人生のついでってやつだな。だから君は気にしなくていい。僕も、僕のために君の下僕になるんだから」
「そう、ですか」
ぎこちなく言葉を吐き出し、アンナ・ベルは頬をひきつらせた。
それはきれいな顔に似つかわしくない不格好な表情で――それでも彼女が精いっぱい微笑んでいるのだと、僕にも理解できた。
「では、これからよろしく、ですね。ドゥセル」
「ああ。よろしく、だ。……アンナ・ベル」
おめでとう、ドゥセル。どこからともなく声が響く。
振り返っても誰の姿もなく、あれほどにぎやかだった骸骨ヴェインも姿を消していた。
アンナ・ベルが伸ばしてくれた手を握る。
彼女の手のひらは温かい。ただそれだけのことで、僕は自分が死んだことを、やっと受け入れられた気がした。
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