死霊術師アンナ・ベルと幸福の庭

雨色銀水

第一部「幸福な死者たちの庭」

0.一度目の『死』は甘ったるい砂糖菓子の味

 『僕』が一度目の死を迎えたのは、聖王歴1927年10月末日のことだった。


 冷たい雨が窓を打つ夜に、僕は死んだ。死因は出血性ショック死。単純に言えば事故死だった。伝説の霊薬『エクリサ』を作り出すための調合のさなか、つまらない失敗のために爆発を起こしたのだ。


 実験を失敗した。本来なら、大事になどなり得ないつまらない失敗だった。けれど、実験用錬金鍋は白い光を吐き出し、刹那、耳をつんざくような轟音が響き渡った。


 最初に窓ガラスが吹き飛んだ。ほぼ同時に僕の体は宙を舞っていた。あっ、なんてのんきに思う間はなかった。一瞬よりも短い間に、僕は固い壁に叩きつけられた。


「――……ぁ」


 短くうめく。唇の奥にドロッとした熱いものが広がる。血だ。意識した途端、全身をぐちゃぐちゃに押しつぶされたような激痛が襲ってきた。


 悲鳴を上げられたら良かった。けれど聞こえたのは心臓の音で、どくどくと激しく脈打っている。ほんとうに嫌な音だった。実験中には気づくこともなかったのに、こんなに鼓動がうるさく聞こえるなんて、命の最期とは意外ににぎやかなものらしい。


 炎が肌をなぶっていく。熱くてたまらないはずなのに、身体は芯まで冷え切っていた。寒くて、息苦しくて、喉の刻から高い音が漏れ出てくる。


 ああ、僕は死ぬのか。あらぬ方向に曲がった指先を見つめ、思った。

 結局、僕は誰も救えず、何を成すこともなく死んでいくのか。ばかばかしい。ほんとうに無価値な人生だ。


 変な咳が出て、熱いものが滴った。これは決して涙なんかじゃないぞ、と。我ながら無意味なことを考えながら。僕は最後の一息を吐き出し、誰もいないまぶたの闇に身を落とす。



 血は死の味なんて言ったのは誰だったか。


 最後の最期まで、鉄錆の味なんて感じなかった。

 口の中に広がっていたのは、ただただ甘いだけで何のひねりもない。


 ――甘ったるい砂糖菓子の味だった。


 ――――

 ――


「気が付きましたか」


 耳元で誰かの声が響いた。

 澄んだ響きを持った高い声だった。しかし反面、作り物のように感情が感じられない声音だった。


「気づいたなら目を開けてください。さあ、はやく」


 『僕』は緩慢にまぶたを押し上げる。しかし、身体はまぶたひとつ思うようにならない。鉛でも張り付いているんだろうか。遅々として動かないまぶたに、声の主は無感情な言葉を投げかけてくる。


「このぽんこつゴーレムは……そんな命令ひとつ満足にこなせないのですか」


 ぽんこつ、ゴーレム? 『僕』がぽんこつだと? いや、問題はそこじゃない。


「やはり名前がないと、上手く動作しませんか。仕方ないですね」


 ややあって、何か温かいものがまぶたに触れた――気がした。曖昧な表現が似合うほど、その接触は些細なものだった。『僕』は目を開く。今度はちゃんと動いた。


 それだけのことに感動するなんて馬鹿げている。だが、視界いっぱいに広がった『それ』に、『僕』は馬鹿みたいに言葉を失っていた。


「おや、キス程度で目を覚ますなんて、安いたましいですね」


 銀糸のような髪が、白い顔を縁取っている。切れ長のまぶたの奥の瞳は、髪と同じ銀で――声と同じぐらいに無感情で、『僕』を見下ろしている。


 黒いフリルが大量に使われた豪奢なドレスを身にまとう姿は、高価なアンティーク人形のようだった。あるいは、美しい死の化身か。


 作り物めいた美しさを持つ『少女』は、にこりとすることもなく、『僕』の鼻先に指を突き付けてくる。


「起きましたね。では、あなたのたましいの名は?」

「……たましいの、名?」


 自然に声が出た。けれど、どうしてか壊れた自動人形みたいな声だった。『僕』が戸惑っていることに気づいているのかいないのか、少女はぐい、と鼻先に指を押し付けてきた。


「あなたの、たましいの名は?」

「いたいです」

「む、面倒ですね。命令しないと従わないのですか。では」

 


 ――『あなたのたましいの名を答えなさい』


 簡潔な命令に、身体がぶるりと震えた。がくがくとあごが動き、意に反して口から奇怪な音がもれだす。


「ぼ、ボクのな、なまえは……『ドゥセル』でス」

「なるほど、あなたは『ドゥセル』というのですね」


 答えに満足したのだろうか。少女はゆっくりと立ち上がる。長いスカートの裾が頬をかすめ、導かれるように『ドゥセル』であるところの僕も上体を起こした。


 周囲は静かだった。風も吹かず、かといって熱いとか寒いとかもない。停滞した静寂が広がるここは――庭園、だろうか?


 緑の木々に囲まれた東屋のような場所に、僕と少女はいた。先ほどまで寝そべっていたのは、モノクロのベンチで、少し離れた場所には同色のテーブルがある。


「さて、名前が分かったところで」


 テーブルを挟んだ向かいに腰を下ろし、少女はテーブルの上に手を伸ばす。気づかなかったが、テーブルの上には手鏡らしきものがあり、彼女は迷うことなくそれを手に取った。


「いらっしゃい、ようこそ。『たびびと』さん――私は、アンナ・ベル。あなたの主人であり、また、この幸福の庭の主でもあります」


 ――『たびびと』。僕に向かって少女、アンナ・ベルはそう告げる。


 どうしようもなく不審なものを覚えて、僕はふらりと立ち上がった。ここにいてはいけない。本能的に去ろうと足を動かす。しかし、一歩も進めない。


「待ちなさい」


 アンナ・ベルは無感情な声で呼びかける。僕はまたしても機械人形のようにぎこちなく少女を見る。アンナ・ベルは笑いもせず、鏡をこちらに向けた。


「ドゥセル。あなたは私の下僕。どこに行くというの?」

「なに、を。僕は、君の下僕じゃない……!」


 拒絶。すると、鏡がきらりと光を放った。澄んだ水面のような表面に映し出されたものは、土気色の肌をした木偶人形のような姿で――。


「覚えていないの? あなたは死にました」


 どくん。心臓が脈打――たなかった。背中を冷たいものが伝うこともなく、僕は呆然と鏡と少女を見つめる。


「僕が、死んだ?」

「ええ、確かにあなたは死にました。でなければ、そのゴーレムにあなたのたましいが定着するはずがない。それはこの死霊術師『アンナ・ベル』が保証します」


 死んだ、死んだ? 僕が、この僕が、死んだだと?


「うそだ」

「そう思いたければそう思いなさい。ただし、もうあなたは元には戻れない。ここで私の下僕として暮らすか、死ぬこともできずに永遠をさまようか」


 突きつけられた絶望に、膝が震える。理不尽だ。叫びたくても、身体は想いに応えてはくれない。


「私はどちらでも構いませんが。さて、とりあえず改めてようこそ。あなたは死の恐怖から自由になれました。おめでとう、ドゥセル。あなたの主アンナ・ベルはあなたを歓迎しますよ」


 アンナ・ベルは微笑むこともなく告げる。


 鏡の中の木偶人形はうなだれ、両手で顔を覆った。

 絶叫は、なにひとつ響かなかった。

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