第19話【工作の末路 中毒症状】

「…………」

「そうか……残念だ」


 そう言って男は私の腕に注射器を刺す。体内に何かが注がれているのを感じる。


「――ぁぁああ!!」


 少しすると例えようのない高揚感が脳を満たす。理性が吹っ飛ばされた。今ならなんでもできる気がする。


「あはははは!!」


 楽しくてたまらない。身体は動かせないがそんなことどうでもいい。さっきまで感じていた恐怖は一切感じない。


(牢屋の中最高ー! 立ったままっていいわね! あ、目の前にいい男発見! 私といいことしましょうよ! あ、行っちゃった。でもそれも最高! あははは)


 30分程はただひたすら最高の気分だった。すべてのことが楽しくて、辛い事なんて一切ないと思えた。ずっとこのままでいたかった。


 1時間もすると最高の気分が落ち着いてきた。とはいえ、まだまだ楽しい。拘束されているのはつまらないが、牢屋の中で、一人でいることを満喫する。


 しかし、そんな気持ちが続いたのは1時間半ほどだった。徐々に楽しい気持ちが薄れていき、身体の節々が痛む。呼吸しているはずなのに息が苦しい。


 2時間も経つ頃には全身が痛かった。神経の中を大量の針が泳いでいるみたいだ。


「ぁあ……が……いぐ…………がぁ!」


 声を出すだけで喉の中をたわしでこすられているような痛みが走る。拘束されていなければ、暴れまわっていただろう。壁に頭を打ち付けて死ぬこともできたかもしれない。しかし、拘束されている私は、ただ耐えることしかできない。


 3時間も経つと、痛みは多少ましになった。かわりに皮膚の上を無数の虫が這いずり回っているような感触がある。


「ひっ! いや……ひぃ…………もうやだ…………」


 だいぶ理性が戻ってきてしまう。それが余計につらい。気持ち悪くて仕方ない。


「やだよぉ……薬……薬が欲しいよ……」


 薬が欲しくてたまらなかった。あの高揚感をまた味わいたい。この地獄から抜け出したい。薬のことしか考えられなくなる。


 どれくらい時間がたったのか。気付くと目の前に私を壊した男がいた。


「…………何か言いたいことはあるか?」

「はぁはぁはぁ…………最悪の……気分よ……」

「話す気になったか?」

「…………言えない」


 最悪の苦しみだ。しかし、なんとか乗り切ることができた。もう2度と体験したくないが、『あの人』に逆らうよりはましだ。中毒症状もだいぶ落ち着いてきた。


 私は耐えきったのだ。


「そうか…………残念だ」


 そう言って、男は黄色い小瓶を取り出した。


「…………え?」


 男は小瓶の中身を注射器に入れる。


「う、嘘……なんでそれが!?」


 そう簡単に手に入るものではない。手に入っていいものではない!


「蛇の道は蛇さ。人を操るのにこれほど使いやすい薬はそうないからな」


 この酸っぱい匂いは間違いない。私がガンジールに小瓶を渡すときに嗅いでいた匂いだ。間違えるわけがない。


「い、いや……いやぁ!!!!」


 私は逃げ出そうと必死にもがく。四肢が拘束されているが関係ない。四肢を引きちぎってでも逃げださなければならない。


 しかし、私の身体は私が思っているより頑丈だった。どれだけ暴れても身体は動かない。腕に注射器があてられる。


「俺の経験上、2本目を打たれたらもうおしまいだ。人に戻ることはない。これが最後のチャンスだぞ。知っていることをすべて話せ」


 最後のチャンス。その通りなのだろう。それを打たれたら私は人じゃなくなる。


 それでも……たとえ人でなくなるとしても『あの人』には逆らえない。


「…………お願い。殺して」

「そうか……本当に残念だ」


 そう言って男は私の腕に注射器を刺す。再び体内に何かが注がれているのを感じる。


「――ぁぁああ!!」


 少しすると以前感じた高揚感を感じる。しかし、依然と異なりかろうじて理性が残っていた。


(あはは! 楽しい! あれ? でも身体動かない。まぁそれも楽しいか! あ、いい男! この人が私を楽しくしてくれたんだ! ありがとう! あれ? 行っちゃった。あの人がいないと楽しくなれないのにぃ)


 楽しくてたまらない。しかし、ところどころ不安が残る。以前のようにひたすら最高の気分にはならなかった。


 1時間もすると、不安が増してくる。楽しくて怖い。嬉しくてむなしい。心のバランスをとることができなかった。


「あー!!!!」


 何とか大声を出して不安を紛らわせた。しかし、時間が経つとともに、楽しさが減り、不安がどんどん増してくる。心の中をぐちゃぐちゃに侵されている感じだ。


 2時間も経つ頃には体中に激痛が走っていた。前回よりもさらにひどい激痛に声を我慢することもできない。


「が! ぐあ! ぎ……あぎゃー! んが!」


 体中の神経をやすりで削られているようだった。声を出すと喉が破裂したかと錯覚するような痛みを感じ、自分が出した声で鼓膜が爆ぜる。その激痛でさらに声を出してしまう悪循環に陥る。もはや意味のある言葉をしゃべることはできなかった。しかし、意識だけははっきりしていて、この激痛を感じ続けている。


 3時間も経つと痛みは落ち着くが、虫が這いずり回っている感覚に襲われる。前回は肌の上を這いずり回られたが、今回は通常ではありえない血管や気管、歯茎の中や脳みその中を這いずり回っているように感じるのだ。


 常人では理性を保つことなどできない感覚だ。しかし、私はむしろはっきりと理性が残っていた。ただただ気持ち悪く、発狂したかったが、その望みは叶わなかった。


 しかも、前回と違い、中毒症状が治まることはない。体中を虫が這いずり回る感覚がずっと続く。気持ち悪くて仕方がない。


 ただ、ただ、薬が欲しかった。この虫を何とかしてほしかった。あの高揚感を再び味わいたかった。そのためには薬が必要だ。薬だ。薬。薬。薬薬薬薬薬…………。


 気が付くと目の前にあの男がいた。私は男に向かって叫ぶ。


「薬を! 改造ヘロインを頂戴!!!!」


 男はこれ見よがしに黄色い小瓶を振った。酸っぱい匂いが漂ってくる。もう耐えられない。


「それ! それを私に頂戴! お願い! お願いします!!」

「だったらお前が知っていることを話せ」

「話す! 話します! サーカイル王子です! 第2王子のサーカイル王子に命令されてやりました。だから薬を!」


 男は嘘発見用の魔道具を確認し、私の発言に嘘がないことを確認する。嘘がないことを確認できたのだろう。私の口の中に小瓶の中身を注ぎ込む。


 すると、薬に対するどうしようもないまでの飢餓感が薄れていった。わずかながら高揚感も感じる。


「――あ、あああああ!」


 薬の中毒症状から一時的に解放された私は『あの人』のことをしゃべったことを自覚する。決して許されないことをしてしまった。


「知っていることをすべて話せ。そうすれば、楽に・・殺してやる」


 男が懐から小瓶を出した。先ほどまでの小瓶と違い、無臭で青い小瓶だ。


 改造ヘロインの中毒者となった私に普通に生きる術はない。サーカイル王子のことを話したことがバレれば、さらなる地獄をみるだろう。もはや私にとっての最上は、楽に殺してもらうことだった。


 私は全てを話した。男は聞き終えると、私に青い小瓶の中身を飲ませてくれる。


(甘い)


 意外にもそれは甘い味がした。甘味を楽しんでいると、急激な眠気に襲われて私は意識を手放す。




【side 尋問者】


 必要なことは聞けた。後はミッシェル様に報告するだけだ。牢屋から外に出ると牢番が青い小瓶を指さして言う。


「前から気になってたんですが、それなんですか? それ飲んだ奴ってみんな幸せそうな顔して逝きますよね?」


「これか? 即効性の睡眠薬と遅効性の猛毒をシロップでコーティングした薬だよ」

「シロップってことは甘いんですか?」

「甘いよ。正直に話してくれたことへのお礼さ。わずかでも嘘があったら、こっちを使うけどね」


 俺は黄色い小瓶を取り出す。


「改造ヘロインってやつですか。よくそんなもの持ってますね」

「さっきも言った通り、蛇の道は蛇さ」

「さいですか。とにかく、お疲れ様です」

「ああ、お疲れ」


 そう言い残し、俺は牢屋を後にした。

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