第2話 29

「ネコさん。おかえりなさい、意外と早かったですね」


宿舎の貧民街に近い側の出窓をテオが開けた。


「うむ、少し日差しを眩しく感じてな」


「でしたか、夏も近いですからね。勇者様とはお話できましたか?」


「ああ、先日にうぬから聞いた事件の顛末について報告しておいた。ふむ、何か書き物をしておったのか」


「ええ。孤児院の院長宛にお手紙を」


「そうかアカデミーでは書きにくいか…… にしても珍しいな。何故なにゆえにだ」


「リントさんとテルトスさんの子どもについてですね。ああ、そうか。ツウが付き添ってリントさんと王宮を出た後、王弟殿下とお話をしましてね」


「ほう、その話は聞いておらんな」


「事件とは関係が薄いかなと思いましてね、割愛しました」


「であるか」


「リントさんが産む子はどうなるのであろうか? と、殿下が心配されておりまして」


「父は居ない、母は牢獄となれば、やはり孤児院かのう」


「ええ、そうなるでしょうと僕も殿下にそうお伝えしました。殿下が個人的に引き取ることも考えたようですが、王弟という立場がそうはさせてくれないだろうと」


「ふむ、そうであろうな。人の世のことに疎い我でも想像に容易い」


「ええ、他家からの、要は貴族様からの養子を散々と断った王家ですからね、罪人の子という事実は世間が許しません」


「赤子に罪はないのだがな」


「ですねぇ。やはり人の世というのはネコさんから見ると不思議に見えるかもしれませんね」


「うむ。時おりな、理解に苦しむ事が時おり」


「時おりですか…… 」


「うむ」


「まあ、そこで殿下に頼まれたんですよ。アイン君は孤児院につてがあるだろうと」


「はて、うぬは小僧の弟子に出自を話したか?」


「んー、どうでしたでしょう。記憶にないなぁ。ま、あれですよ。王宮にナイフを持ち込む許可を申請した時に色々と調べられたのでしょう。出自を含めて」


「ふむ、それが小僧の弟子の耳にも入ったと」


「そう考えるのが自然でしょうね。それで、僕から手紙を出しますとお伝えしたわけです。それを受けてですね。おそらく秋ごろから冬にかけてそちらが預かる事になる赤子は王族のとある方が祝福した子どもです、と。いま丁度そうしたためたところです」


ネコが手紙を覗き込んだ。


「ふむ。ご無沙汰しております、院長さん。と、ふむふむ…… おう。これはなかなか…… さて、うぬよ」


「なんでしょう」


「これはなかなかの金額ではないか?」


「ん? 金額ですか?」


「こんなにも寄付するのか」


「ええ、今回の報酬ですよ憲兵隊からの。それでも半分です」


「なんと。買った本の支払いは大丈夫か?」


「ええ、ひとまずは。それにこれからは王弟殿下からもお仕事を貰えそうなので、資料の購入もはかどるかもしれません」


「ふむ、それは良い事だろうが。うぬよ」


「なんでしょう?」


「国や王家に仕えるのは嫌と、そう申しておったではないか?」


「ええ。聞いてくれますかネコさん」


「話すがよい」


「実はあの日も直接いわれたんですよ、アカデミーを辞めて王宮で勤めないかと」


「小僧の弟子にか」


「ええ、王弟殿下に」


「断ったのか」


「ええ、もちろん。僕ははっきりと答えがあることの方が好きですからね。9割の人にとって良い政策でも1割の人が不幸になる、そういった仕事は僕には難しい、僕には出来ません。そう言って断りました」


「そうか、うぬらしいと言えばうぬらしい」


「僕らしいですか」はははと頭をかいた「でも、その後に一人の友人として相談に乗ってくれるぐらいはかまわんだろう? と、言われました」


「ほほほ。それは無下にはできんな」


「ええ。王族に友人としてと言われるとは思ってなかったですからね」


「断り方が解らんかったか」


「いやぁ、断ったらこの国に居られなくなりますよ」


「さもありなん。なんと返事したのだ」


「相談ごとという事であれば仕事が無い日にはなりますが馳せ参じます。ただ、憲兵隊からは相談料を戴いているのですが、友人にたかる訳にはいかず…… 」


「たかるか、ほほほ。たかる、確かにそう言うたのか?」


「言いましたよ」


「したら」


「ふむ、車代をはずもう。と」


「やったではないか。どれ、もう少し広い部屋に引っ越さんか」


「気が早いなぁ、ネコさん。また次いつ殿下に呼ばれるかも決まってないですから、気が早いですよ。まあ、でも引っ越すのもいいかもしれませんね」


「そうであろう。汝も言えば良いのだ。このために王城近くに引っ越しましたと」


「殿下の為に王宮近くに引っ越しましたと言えと? さすがにその勇気はないですよ、ははは」


「であるか。言ってみるのも良いとおもうがな、きっと喜ぶぞ」


「引越し代金をたかりに来たと思われるだけですよ」


「わからんぞ、わからん。人の心はわからんものよ」


「他人様の心の内なんて解らないってのには賛成ですが、今はお車代だけで十分ですよ。頂いた仕事が骨が折れるなってなったら、その時にまた言ってみましょう」


「ふむぅ。そういう事であれば我も納得である」


「納得して頂けてよかったです」


「そう言えばだうぬよ、人の心がわからぬついでだ」


「なんでしょうか」


「犯人の魔女っ子は何故あそこにナイフを捨てたのだろうか」


「さて、なぜ。うーん、なぜなんでしょうね…… ツウは犯行直後の事はあまり記憶に無いと、彼女はそう証言している。とは言ってましたが」


「ふむ」


「また逢えたら結婚しましょう、と言って突き落とした。王宮でのあの夜の発言は鬼気迫る言い方でしたし。それに、彼女は情報操作までして危険地帯の森林へと捜査員を誘導しました」


「つまり、ナイフを捨てた場所の記憶はあるが何故あの場所にしたかの記憶は無いと」


「そういう事になります」


「いささか矛盾しておるようにも感じられるが」


「そうなんです。ですがツウはこうも言ってました。テルトス氏を偲ぶ会の後、近衛に自首するつもりだったと。ツウもわかっていた様ですけどね」


「そうなのか?」


「ええ、非番といえど逮捕は出来ますから。ツウがあそこで一緒に出頭しましょうと言ったのは彼女の意思を尊重したかったのでしょう」


「なるほどのう」


「となると何故あのタイミングで自首をしてきたか、あたりが鍵なんだと思いますよ」


「というと」


「組合長さん曰くリントさんは魔素酔いはしない体質の人だった」


「うむ」


「それでも警戒をしたのではないでしょうか」


「魔素酔いをか? いかに耐性のある者でもいきなりの地上はかなり堪えると言うからな。犯人として捕らえられば、どうしても地上に連行される、それを嫌ったか。ふむ…… 」


「魔素酔いも、というのが正確かなと僕は思っています」


「となれば…… そうか、腹の子か」


「ええ、僕もそう思いました。彼女は一度流産を経験していますからね、崖から突き落とす際も、また逢えたら、つまりは森を生きて出られれば結婚しようと言ったに等しい訳です。やはり被害者の事を憎からず思っていたのでしょう、そんな相手の子を授かって、出産するには高齢でもありますから大事をとりたかったのかも知れません」


「ふむ、汝のいう事もわからぬでは無いがなあ。ふむ、時間を稼ぐのであれば凶器など消し去ればよかったであろうに」


「ええ、その通りなのですが。例えば、事件当初は気が動転していて…… 」


「5階層で猫娘らを手伝っておる間にいくらでも時間がとれたであろう」


「まあ、そうなんですけどね…… やはりここはツウの言葉を借りましょうか」


「ふむ、猫娘はなんと言ったのだ」


「自首をするのは大変勇気のいる事にゃ。です」


「ふむ」


「自首をするよりも警察に捕まる方が楽と思う人は多いみたいでして」


「なるほど、わざと証拠を残したと」


「ええ、地上に無理なく滞在できる身体になる為の時間も稼ぎながら。いざって時に自主が出来ない、自分がそんな心理状態になるかも知れない。そこまで見越して、そうなった時は誰かが見つけてくれると信じて。それで、あの藪の中にナイフを捨てたのかも知れません。さらに言えば証拠隠滅の誘惑にも耐えながらです」


「そうか…… ふむ。強い女だ。名はなんといった?」


「リントさんです」


「うむ、留めおこう」


「ええ」


「ふむ、そうか…… だから孤児院に寄付するのだな?」


「わかりましたか。今回の事件は僕が居なくとも解決は時間の問題でした」


「そのようであるな」


「なので、報酬の内半分はおふたりの子供のために、残り半分も先日購入した資料の代金を差し引いた分は腕の良い弁士にと」


「良いのではないか?」


「ええ、ネコさんにそう言って貰えると自信がわきますね。まあ、憲兵隊からすれば利敵行為に近いところがありますが、ツウはたぶん納得してくれました」


「話したのか」


「ええ」


「そうか、汝はよい伴侶をもったのだな」


「いやいやいや。伴侶じゃないですよ、結婚してません」


「では、あれか。よい恋人であるな」


「いやいや、恋人でもありませんよ。まだ」


「ふむ…… そうか。まだ、であるか」

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王立迷宮殺人事件 荒瀬ふく @huku_a

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