ELYSIA

 目が覚めると、真っ白な空間にいた。

 ああ、これは地球じゃないな、そうぼんやりと思った。


「あなたは亡くなりました」


 どこからともなく聞こえてくる声で、自分が死んだことを聞かされた。何となく覚えはあった。

 あまり大した感慨は湧かなかった。

 恋人はもちろん友達もおらず、夢も希望も持ち合わせがない。父親は海外に単身赴任中で母親は看護師で夜勤もある忙しい家庭。おまけに兄はいじめられて引き篭もっている有様だ。


「それで?」


 実際に声に出したかは知れないけれど、そう反問したら、相手は間髪入れずに「勇者として異世界に行っていただきます。魔王を討伐するのです」と言ってきた。


「なんかいい感じの能力でもないとダメだろうよ」


 強請ると、まるで自動応答のように即座に答えが返ってきた。


「問題ありません。あなたには異世界においても無二の能力が与えられます。私の名に於いて。あなたが使命を果たすまで、私が共にありましょう」

「へえ」


 目の前の男とも女とも知れないこいつは、やはり神様的な何かなんだな。

 それにしては送り込んで放置という訳ではなさそうで一安心した。


「それでは」


 はいはい。

 と思う間もなく意識が暗転した。






 どしゅっ。

 ぐしゃっ。


 見た目はナメクジかウミウシのようだった。毒々しいまでの極彩色の身体から、色とりどりの花が生えていた。その繋ぎ目の辺りから毒を噴霧したり蔦を伸ばして攻撃してくる魔物。植物と同化した軟体動物の魔物だった。地球にも植物の細胞を身体に取り込んだウミウシがいるが、蔦を自在に伸ばしたりはしてこない。さすがはファンタジー世界だ。

 魔王軍の四天王なる存在。残った最後をようやく倒し、ジメジメと暗いこの平原を進んできたら、俺は遠く黒い雲の隙間に顔を覗かせる魔王の居城を見やった。


 実のところ、初めからイージーゲームというのでも無かった。

 そもそも出生からのスタートだったからだ。

 満足に喋れず這い這いすら叶わず、神様的なあいつが俺の中にいて困った時に示唆をくれなければ心細くてたまらなかっただろう。

 地球での家庭環境はなるほどあまり良くなかったが、この世界ではたっぷりと愛情を注がれた。表明するのは少し恥ずかしいが、久方ぶりに幸せだと思った。

 そして、その溢れるほどの愛情と熱心な教育の賜物で、俺は早くからこの世界のおぼろげなメカニズムを理解することができた。

 魔法がある世界。

 一言で表すとそうなるが、魔法そのものの定義や発動条件はよく分からなかった。

 与えられた『無二の能力』というやつも魔法なんだろうか。

 自分のチートスキルに思いを馳せる。

 基礎的な身体能力にこそ絶大なアッパーがかかっていたものの、チートスキルの類は最初の頃は実感しづらいものだった。

 それは、倒した相手のスキルや能力を自らのものにする能力だった。

 つまり、炎属性のモンスターを倒せば炎の力を得ることができ、魔力に対して絶大な耐性を持っているものを倒せばその耐性を手に入れ、瘴気を生み出す類を倒せばその効果をものにした。能力自体は一度に複数獲得できることもあったが、反面何度も同じモンスターを倒さないと熟練度が足りないことが殆どだった。


 経験値が確かに存在している。

 とことんゲームな世界だと思った。


 冒険者としてまずは始めて、レベリングの賜物か巨大なドラゴンを討伐したことで王様に目をつけられた。

 謁見し、いずれは魔王を討伐したい、と申し出ると王侯貴族は願ったり叶ったりという表情を見せた。魔王の侵攻は国防上の大事だったからである。

 嬉しい事に(王にとってはそうではないだろうけど)王女様と親交を持つことができた。地球上のどんな美人ですら敵わないであろう美貌とスタイル。そして性格の良さ。

 城下のあちこちを二人で見物し、大層懇ろになることができた。王女は俺に惜しみない愛情と、そして素晴らしい体験をくれた。正式な婚礼こそまだだが、王女様は既に王都にある俺の邸宅に自分の荷物を移しているし、諸儀式についても王家との交渉を終えている。魔王を倒せば俺は王女様を妻に迎えることができる。晴れて結婚だ。最後に王女様と交わした言葉を胸に刻む。「必ず帰ってきてください。いま──」


 いま俺は、魔王城の周りに巣食っているモンスターを倒している。

 遠くの拠点には精鋭の兵士がいて、危険がない位置で俺のサポートに従事してくれていた。

 この辺りには魔王らしく何かしらの瘴気が漂っているが、生息しているモンスターはそれに耐性があるようで、倒せば倒すほど俺はこの毒の溜まり場のような環境に順応していく。


 何日か経って、充分に耐性を得たと判断できた頃、俺はようやく魔王の居城へ乗り込んだ。

 入口で精鋭の兵士たちに、ここに残り魔王を倒すまで各自で身を守るよう命じる。


「いよいよだな」


 魔物の気配の絶えない薄暗い廊下を進みながら俺は独り言を発した。

 俺の中にいる神様的なあいつは、この世界に来てしばらくしてからはもう俺に応えなくなっていた。


 扉を開け放つ。

 俺の体格の二倍は優に超える。見るもおぞましい怪物がそこにいた。

 シルエットはなめくじのようだった。ブヨブヨとした身体は紅芋のような薄桃色で、所々から触手のような何かが飛び出て蠢いている。

 ぽたぽたと粘液が石畳の床に滴る。

 頭部にかけて大小様々に人面が浮かび上がり、その目は落ち窪んで焦点が定まらず、口の部分が虚ろに動いて何か喋っているようである。

 本体の頭部には昆虫の複眼のような目と、ヒトの腕のような構造体が天頂を突くように伸びていてゆらゆら動いていた。


「ほ、本当にこれが……こんなのがっ、魔王なのか……?」


 異形に怯みを隠せない俺に、魔王はキシャッッッとしか言葉にできないような悲鳴を浴びせた。


 怖い。

 一歩、また一歩と後ずさる。

 壁に背中をぶつけるところまで行って、ようやく俺はハッとして目が覚めたようになった。


 俺の中には真っ白空間にいたあの神様的な存在がいる。その実感がある。与えられた能力がある。

 そして、期待をかけてくれる人がいる。俺を待っていて、必要としてくれる人がいる。

 王女の鈴のような声を思い出す。「必ず帰ってきてください。いま、私のお腹には、あなたとの子が宿っているのです」

 生まれてくる子のためにも、俺は魔王を打ち倒し、王都に凱旋しなければならない。


 俺は剣の柄をぎゅっと握り直した。


「いくぞ! 魔王っ!」


 俺は床を蹴った。




 そして激戦の末、いま。


 俺は魔王の死体を見下ろしている。

 やったのか。

 しばらく実感のないままで、俺は呆気にとられていた。


 瘴気が急速に消えていくのが分かる。

 兵士たちが飛び込んできて、おぞましい魔王の死体に恐る恐る近付き検分している。


「外傷ひとつありません!! ご無事なようで何よりでしたっ!!!」


 俺の調子を見ていた衛生兵が叫んだことで、やっとこさ実感が追いついた。

 ようやく終わったんだ。

 俺は安堵した。


「ご苦労様でした」


 帰り道の馬車の中。

 幌の中で微睡んでいる俺の頭の中に神様的なあいつの声がした。


「あなたは為すべきことを為した。魔王を討伐した。生物としても、あなたは次代をつくった」

「そうだな」


 実際に口に出していたのかは分からない。

 俺の心は充足感に満ち満ちていた。

 仮にいま「地球に戻す」などと言われても拒否するだろう。


「いえ、あなたの肉体も魂も、もう地球にはありませんので。

 あなたはもう役割のない個体です」


 神様的なあいつが、初めて笑みを形作った気がした。奇妙な笑い声もしたようだ。


「どういうことだ」


 不穏な言葉に、俺は思わず問い返した。


「言葉通りの意味です。あなたは死にます。病死です。私のために、私の力で死にます。……エリシア・クロロティカという生き物をご存知ですか?」


 なんの話だ。

 夢の中で、俺は訝しむ顔を保っていた。

 ロクな説明もされないまま突然話題を変えられて、少し腹が立った。


「エリシア・クロロティカはウミウシの一種です。ウイルスの力で、餌の植物から光合成の機能を奪い自分のものにします。そして繁殖を終えると、今度はウイルスに細胞を攻撃され、個体はたちまち死に至ります。

 つまりそういうことです。それでは短い余生を」


 その晩、俺は熱を出した。


 きっと熱に浮かされたせいだけど、視界にあいつが何人も無数に映り込んでいて、奇妙な笑みを浮かべたままどんどん分裂・増殖していく。鼓膜に響くのではなく、脳の中を直接揺さぶるようにして奇妙な笑い声が響く。

 身体の節々が痛い。

 食事も喉を通らず、辛うじて入れた食事はすぐに吐き戻してしまった。吐き戻すことでまた体力が失われていった。

 兵士たちは誰かが毒を盛ったのではと互いに疑心暗鬼になっていたが、そうでないことが俺にはよく分かっていた。


 あの神様的なあいつの仕業だ。

 こうしている間にも俺の内側で分裂し続け、俺を攻撃しているのだ。


 三日三晩耐えて、ようやく王女様とその間にできた俺の子の待つ王都の高い外壁が見える頃合いだ。

 視界を覆う神様的なあいつのせいで最早景色も何もない。命の灯というのがあるなら、それはいまにも消えかかっていた。


「勇者様! 気を確かに!」


 衛生兵が側にいるらしい。どうも何か譫言うわごとを言っていたらしい。

 でももう分からないな。

 嘘のように憔悴した身体。

 懐かしい感覚に襲われる。地球での最後のあの感覚。

 ああ、死ぬんだ。

 俺は目を閉じ、意識を手放した。


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