BULLYING

「あなたですか、僕の話を聞きたいというのは」

「はじめまして。本日は宜しくお願いします」

「記者だそうですね。悪趣味なことだ……まあいいですけど」


 相手は鼻を鳴らした。

 どこかつっけんどんな口調は緊張の裏返しか。ぶっきらぼうな言い方にそぐわぬくらいに、相手の手はぶるぶると震えていた。


「それで、あの件ですよね」

「はい。よろしいですか」

「いまさら『よろしいですか』はないでしょう」


 長い話になりますよ、と相手は念を押した。それは先刻承知のことである。

 私の様子を感じ取って相手ははあっと溜息をついた。

 そしておもむろに、前置き無しに本題を切り出した。


「いじめがあったのは中学に入学して半年くらい経ってからです。夏休みが終わって二学期になってからですね。

 入学したての僕は周りとうまく馴染むことができませんでした。

 いわゆる五月病にも頻繁になって、学校に行きたくないと言って憂鬱を隠そうともしませんでした。

 親はどちらかと言えば過保護な方でしたが、不用意に僕を甘やかすことはありませんでした。学校には行かされましたし、休みたいと仄めかすだけでもめくじらを立てました。それで、基本的には毎日きちんと通学していました。

 ただ、どういう訳か友達ができなかった。


 元々引っ込み思案というか、意見を溜め込みがちな子どもだったのですが、それでも小学生の頃は親しい子もいたはずなんです。僕と同じくおとなしめの子どもたちが。

 でも、その子たちとも、次第に疎遠になっていきました。

 新しい環境に馴染んで、彼らは垢抜けていった。僕だけが取り残された──そんなところだといまは思います。でもその時は、なんだか裏切られたような、置いてきぼりの仲間外れにされたような気持ちになりました。


 休み時間も教室の隅でぼうっとしていることが多くなりました。手持ち無沙汰だったから、適当な本を広げてじっと忍んでいるような。

 昼休みなんて地獄みたいでしたね。みんなが思い思いに机を動かしたり席を移動したりして、それぞれの友だちと弁当を食べているのに、僕はひとりぼっちで。席が教室の隅っこでは無かったせいで、むしろ居ると他の子の邪魔になったんです。トイレの個室の、あの独特の鼻の奥がツンとするような中で、弁当を食べるんです。味なんかしませんでした。

 で、トイレの個室で弁当を食べているのを、からかわれ始めたんです」


 相手は喉がカラカラになったのか、水を探して手を動かした。けれども水など無い。目の色が再び濃くなった。


「初めは数人の男子生徒にからかわれる程度で済んでいました。昼休みになるたびに『お、またトイレでメシか?』『トイレで食うメシはうまいか?』とかその程度でした。もちろん、笑いながらです。ごく一週間くらいでしたけど、まだこれなら耐えられた。

 そのうち、他の生徒も混じりまじめました。休みを告げるチャイムがなって、教師が部屋を出ていくなりみんなして僕を煽りたてるんです。『ほら、早く行っちまえよ』『邪魔だよ』『昼中帰ってこなくていいから』『帰ってきても席無いからね』みたいな。直接は言ってこなくても、もうそれが当たり前というか、容認する雰囲気がありました。そういう意味では、男女問わず、クラスの殆どが加担していたような気がします。みんなそれなりに明るくて、団結力のあるクラスだったのが良くなかった。

 トイレでお弁当を食べるなんて、まあ不衛生な感じがあるじゃ無いですか。それで、僕自身も不衛生な子なんじゃ無いかって、遠巻きにされてました。僕の触ったものは徹底して触らない。自分が触りそうなものは決して触らせない。チョークとか、あとは理科室の機材とかの学校の物品を使おうとすると『やめて!』と悲鳴が上がるんです。心底嫌がっているような声でした。そう言ったのを聞いてしまうと、どうしても僕は竦んでしまって。

 次第にエスカレートしていって、弁当の中身をゴミ箱に捨てられたり、教科書が破られたり落書きされていたり、物を失くすことだって、ちょっと考えられない頻度でありました。筆箱に虫を詰められていたこともありましたかね。ジッパーを開けたらケムシが何匹も湧いて出て、総毛立ちました。校舎裏で服を脱がされて、丸出しにされた……その……男性器を写真に撮られたりも……ありました。

 巧妙なのは、どれも教師に見つからないように、見つかっても不自然ではないように工夫されていたことでした。直接的な暴力は徹底して無かったですし、教師のいる前では決してイジメらしいことはされませんでした。

 ええ。主犯格はいなかったように思います。敵、という言い方はあまり良く無いですけど、間違いなく全員が敵でした。四面楚歌っていうんですかね、国語の授業で習いましたけど。

 担任が国語科の教師でした。若い男性教師で、意欲ある献身的な先生に見えました。イジメはないかと定期的に配られるアンケートがあったので、僕はある時溜まらず『イジメられている。つらい』と書き込んだんです。

 次の学活の時間は、僕のための時間になりました」


 相手はキョロキョロと辺りを見回して、やはり飲み物を探しているようだった。


「先生はクラス中を見渡してこう言いました。『このクラスの生徒からイジメの報告があった。先生はとても驚いた。みんな仲の良い、最高のクラスだと思っていたからだ!』──誰かが呼応し被せるように『最高の仲間です!』『イジメなんてねぇよな!』と盛り上げ始めました。先生も一緒になって『そうだよな! 俺たちはみんな仲間だ! 仲間を傷つける奴なんて居るはずない!』と盛り上がって、そしてこう言ったんです。『それなのにこんなこと書くなんてタチの悪い悪戯だ! 先生は良くないと思うぞ!』。心なしか、視線は僕に向けられていた気がします。

 その間、僕は何も話せなかった。それどころか俯いて、顔を上げることさえできなかった。

 僕の他に告発をしたのはいなかったようでした。それから、アンケートは原則匿名で、任意で名前を書いても良い仕組みでしたけど、僕は敢えて名前を書いて提出したんです。その方が信用性があるかなと思って。だから、先生は誰がSOSを出しているのか分かっていたはずなんです。

 僕はその時から、先生には頼れないんだと悟りました。

 実際、あと何度か『助けて』と訴えましたし、保健室だったり、他の先生にも相談しようとしたんですけど、うまくいかなかったんですね」

「ちゃんと伝えたんですか?」


 思わず口を挟んでしまった。

 非難がましい目を向けられる。

 しばらくの沈黙。やあやってもう一度相手は彼の口を開いてくれた。


「……そうですね。いま思えば遠回しに仄めかすような、たとえば『最近しんどいんです』『学校がつらいんです』くらいのことしか言わなかった。そんな気がします。

 ……でも、だからどうしたっていうんですか!? 限界だった。朝が憂鬱で夕焼けが嬉しくて嬉しくて。それでも学校には行かないといけなかった。そう思い込んでいました。親にはとても言えませんでした。その頃、僕の家は雰囲気が良くなかったからです。うち全体が切羽詰まっていました。

 知っているんでしょう。父親が働けなくなったからです。脳梗塞でした。

 かろうじて一命は取り留めましたが、入院費用と生活費、月々のローンあたりを考えると、母親はフルタイムで朝から晩まで働かなくてはならなくなりました。

 母親はそれまでスーパーのレジ打ちをしていましたが、新しく夜勤の工事現場の誘導員のアルバイトを始めたようでした。

 生活リズムがずれて、お互いに顔を合わせない日々が続きました。

 学校生活にあたって変わったのはまずお弁当です。コンビニやスーパーのお惣菜を持ち込むことが増えたので、連中も手を出すハードルが一段と下がったのでしょう。毎日毎日全部のメシが無くなりました。

 物が勝手にゴミ箱に捨てられると、それを探してゴミ箱を漁るように探しました。ペンやノートのような安物でもストレスですし、懐具合から言っても痛手でした。上靴や体操着みたいに、ちょっと値が張るものがやられたらもう惨事です。一度や二度なら我慢して買い替えられましたけど、もうそんなことを言っている余裕はなかった。

 そして、悪いことは続くもので、エスカレートした連中はとうとうカツアゲをするようにもなりました。

 直接的な暴力はまだ無くて、代わりに大勢で取り囲んで罵声を浴びせかけられるとか、僕が座っている机をバシバシ叩いて大きな音を出すとかでした。

 不思議な顔をしていますね。無視していたらいいのにって。

 それは部外者だから。あなたが強い人だから言えることです。学校なんて閉じた空間では孤立というのは何よりの枷でした。牢屋ってのはこんなではないかと想像させるような。

 もちろん、あの輪から離れた僕もいまは、どうかしていたんだな、心が麻痺していたんだなと感じますけど。

 話を戻しますね。

 カツアゲされても、お金なんて当然ありません。連中も実利が無いと悟ったんでしょう。僕に万引きを教唆し始めました。

 脅すように唆して誰も止めないクラスの人間も、それを受け入れて実行に移した僕も、みんな狂っていました。

 決まってコンビニで、盗るものは文房具とかお菓子とかばかりでした。何度かはうまく行きましたが、結局は見つかってしまいました。

 警察が呼ばれて、どうしても親に迷惑はかけたくなかったので懇願して、代わりに担任の教師が駆けつけてくれました。一見して申し訳なさそうで低姿勢でしたけど、僕の前ではありありと迷惑そうな顔を隠しませんでしたね。

 僕はただ、店員と警察と教師の前で俯いて泣きべそをかいて、これは命令されてやったことです、イジメられているんですとたどたどしく訴えました。


『本当ですか』


 警察官が胡乱な顔で担任に尋ねました。


『いえいえ、そんな事実はありません。全く把握していませんよ』


 担任は即座にそう言いました。

 それから俯く僕の頭頂部に目を向けて、


『そんな嘘をつくな。先生は失望したぞ』


 それからもう先生はもう僕に目を合わせさえしませんでした。


 家に帰ると、母親が珍しく居ました。

 なんだか嫌な予感がしました。


『あんた万引きしたんだって!?』


 どこからか連絡がいったみたいです。

 頭が真っ白になりました。


『本当にもう! あんたって子は……!』


 母親の表情は見たこともないくらいでした。日頃の疲れと、驚きと、怒りと悲しみ。有無を言わせない迫力がありました。

 みなまで聞かず家を飛び出して、夜の街をふらふらと彷徨していました。

 柄の悪い連中に囲まれて、有り金は全部、物足りないからって殴る蹴る火のついたタバコを押し当てられる──全身ボロボロでした。

 どこにもいない世界に行きたい、なんて考え出すと止まらなくて、川にかかる橋の欄干に身体を預けたところまでは確かな記憶です。

 水は冷たかった気がしますが、よく覚えていませんね。

 ああ、その表情を見る限り、僕の死体はまだ見つかっていないんですよね? 多分川底に沈んでいるんだと思いますが、自分でもよく分かりません。

 ──え? 死体の話はどうでもいい? そうですか」


 その言葉を最後に、途端に脱力し、彼女は完全なる無表情になった。それまでの情感溢れる語り口と表情がまるで嘘だったかのようだった。

 それで私は、彼が去ったことを悟った。

 相手が去ってからも、私はしばらく動けなかった。


「いかがでしたか」


 正気に戻った口寄せの巫女に、私はただ黙って頷き、御礼料を差し出した。


 死者の話は生々しかった。きっといい記事になるだろう。

 口角が上がっているのがわかる。私はほくそ笑みを隠そうともしなかった。

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