遠出のあとで

佐藤山猫

ASHENPUTTEL

 むかしむかし、あるところに、お金持ちの男と妻と娘が、三人で幸せに暮らしておりました。

 男は阿漕な商売で貴族の末席を購った成金でしたが、家族には優しく振舞っておりました。

 男の妻は貴族として生まれた気位の高い女性でした。たいそうな美人ではありましたが、病弱で床に臥せがちでもありました。

 娘はそろそろ初等教育を終えるくらいの年齢で、母親譲りの美貌と高潔さ、父親の優しさを受け継いだ愛らしい少女でした。学校でも友人が多く誰からも慕われておりました。そして、勘の冴えた悪運の強い子でもありました。


 ある日、とうとう男の妻が亡くなりました。今際の際に、母親は娘にペンダントを託してこう言いました。「つらいときや困ったときは、このペンダントを握りしめ強く祈りなさい」。

 以来、彼女は言いつけを守って、いつしか祈るように胸元のペンダントを握りしめる癖がついていました。


 葬儀から二回目の春に、新しい母親とその連れ子が二人やってきました。

 こちらもたいそうな美人で気位も高く、男はたちまち心を奪われてしまいました。恋は盲目という言葉の意味を、娘はこの時学習しました。

 美しい女性たちでしたが、心は卑しく、ことあるごとに娘に不当な扱いをしました。


「今日からお前は私たちの召使だよ。とっとと働きな」


 娘は、水汲みから食事の支度、掃除にと、朝から夜遅くまで休みなく働き、月明りを頼りに手習いをし、そして灰の上で凍えて眠りました。そんな娘を、継母たちは「灰被り」と蔑称で呼んでおりました。

 そのころ、灰被りの父親は、海を渡った先で香辛料を仕入れて大儲けしようと大船に乗り込み、それから行方が分からなくなっておりました。残された財産は、継母たちが多少豪遊をしようと使い切れぬほど潤沢でした。


 灰被りはみるみるやつれてしまいました。働かされるため学校へは満足へ通えなくなり、自然、以前の級友にも馬鹿にされながら避けられるようになっていました。また、連夜、暗い焼却炉の前で勉強をするので、目をすっかり悪くしてしまっていました。

 文句ひとつ言わずけなげに働きましたが、眠るときはいつもペンダントを握りしめておりました。祈りは未だ届いた例はありませんでした。


 ある夜のことです。

 お城で舞踏会が催されることになり、継母とその二人の娘も着飾って出席することになりました。

 灰被りに長女は言います。「お前は当然留守番よ」。

 次女も言います。「いつも通り薄汚れた格好で家事をなさい」。

 「わかりました」。か細い声で灰被りは答えました。


「そうは言っても、なんとか舞踏会に出席してみたいものだわ」


 灰被りはもうデビュタントに相応しい年頃でした。

 舞踏会の絢爛な光が屋敷に届いていました。庶民街からは貴族の豪遊ぶりに反発する市民が自分たちの生活苦を訴えていました。

 費用を用立てようと質屋に母親の形見のペンダントを入れましたが、二束三文でした。


「こんなじゃ今夜の夕食に白パンをつけるくらいにしかならないじゃない」


 消沈し夜道を歩く灰被りの前に、突然魔女が現れました。


「ペンダントは売ってしまったのかい?」


 魔女は失望したように言いました。

 どことなく母親の面影を感じました。懐かしさと腹立たしさが同時に灰被りの心の中に到来しました。


「まあいい。カボチャとネズミを二匹、それから麻紐を用意してごらん。舞踏会に連れて行ってあげるから」


 灰被りはカボチャと麻紐とネズミ二匹、魔女に差し出しました。「このネズミ、死んでいるじゃないかい」と魔女は口をへの字にしながらそれらを配列し、魔法をかけました。

 たちまち、カボチャは馬車に、ネズミは馬に、麻紐は手綱に早変わりしました。


「服装もあつらえてあげるよ」


 ステッキを一振りすると、たちまちガラスの靴とドレスで着飾った娘の姿が現れました。どこにもあの小汚い「灰被り」の姿はありませんでした。


「これで、さあ、舞踏会へお行き」


 魔女は灰被りを馬車に押し込みました。


「そうだ。魔法は十二時で解けてしまうからね。真夜中の十二時までに戻るんだよ」


 灰被りは目を白黒させながら、お礼の言葉もそこそこにお城に発ち、気付いた時には舞踏会の会場にいました。恐る恐る中に入り、辺りを物珍しく見まわしていると、王子様と目が合いました。


「一緒に踊ってくれるかい」

「ええ。喜んで」


 王子と灰被りは一緒に踊り始めました。

 灰被りはとても楽しい時間を過ごすことができました。

 随分と夢中になっている灰被りの耳に、やがて鐘の音が飛び込んできました。


「いけない、十二時だわ」


 灰被りは王子の腕を振りほどくと、城の大階段へと急ぎました。


「私の腕を振りほどくとは……面白い女……」


 王子は茫然としてそう呟きました。

 そして、そんな灰被りを追いかけるべく、会場を走り出ていきました。


 灰被りは慣れない踵の高い靴で必死に走りますが、大階段の途中で躓いてしまいました。


「あっ」


 片足の靴が脱げてしまいます。

 後ろから、王子の足音が迫ってきていました。

 灰被りは、靴を拾うのを諦めて、城を大急ぎで離れました。


 結局、灰被りを見失った王子は、大階段にて落ちているガラスの靴を見つけました。


「この靴に合う女性こそ、私の妻となるべき人間だ!」


 王子は大階段の真ん中で拳を突き上げました。


 灰被りは屋敷に逃げるように帰ると、残ったガラスの靴を囲炉裏の奥に隠し、服を庭先に埋めると眠りにつきました。


 しばらくして、王子によるガラスの靴の持ち主探しが始まりました。


「靴の持ち主と認められた女性は、我が妻として迎え入れよう」


 王子はそう喧伝したため、多くの女性たちが我先にと靴の賭けに挑戦していきました。


「身分には捉われるな。女給が着飾ったのやもしれぬ」


 担当者はそう言い含められていました。

 シュプレヒコールの止まらない庶民街にはむかわなくてよいだろうと担当者は判断していましたが、貴族街の女性だけでも相当な人数になりました。


 その頃、灰被りの継母は衰弱し臥せっていました。

 薬代は嵩む一方で、娘たちの遊興費は減らないばかりであったので、家自体も落ちぶれつつありました。

 継母にとって、自分の娘が王子の妻になることは生活の為にも必須なことでした。

 まともな思考ができなくなっていたのでしょう。自分の二人の娘がガラスの靴を履くことができないと知ると、強引にでも履かせようと二人の踵をダガーで削ぎ落してしまいました。

 痛みに悶絶する二人は足を差し出しましたが、とうとう靴を履くことは叶いませんでした。


「この家には、他に娘はいないのですか」

「……いいえ、私がおります! 私にも機会をいただきたい!」


 灰被りはここぞとばかりに姿を見せました。

 薄汚い格好。明らかに女給で、担当者はどうかなあと思いましたが、一応は履かせてみることにしました。

 すると、驚くべきことに、靴がぴったりと足に嵌ったではありませんか!


「実は、私がガラスの靴の持ち主なのです」


 灰被りはもう一足のガラスの靴と、当日着ていたドレスを差し出しました。


 こうして、瞬く間に灰被りは王子の妻になったのです。


 灰被りが王室に迎え入れられたことは、国全土に広まっていました。

 ですが、海の向こうまでは届きません。

 実は海の向こうで生きていた灰被りの父親の男は、荒波と闘いながら荷物を積んで海路を自国に向けて進んでいました。

 男は、自分の家が斜陽であることや、後妻が実娘に殺鼠剤を盛られ死の淵にあることを知りません。


 やがて、灰被りの継母の喪が明けた頃、ようやく彼女の王妃の就任式が催されました。

 灰被りと王子に対して、皆臣下の礼を取りました。灰被りをいじめていた二人の義姉も、臣下の礼をとります。


「余興をお願いできるかしら」


 灰被りは無邪気に笑いました。


「ガラスの靴を用意したの。ちゃんとお姉さまたちの足に合わせた特注品よ。それを履いて、タップダンスでもお願いできる?」


 小首をかしげ、灰被りはそう二人に命じました。

 あまりにサイズがぴったりで、それは脱ごうにも脱げない代物でした。そして、融点にいかないまでも湯が余裕で沸く程度の温度まで熱されていました。

 二人は悶絶しながら、衰弱し倒れるまで踊り続けました。悪くなった目でも、滑稽な様子ははっきりと分かりました。灰被りは笑いをこらえることに必死でした。


 王子と灰被りは幸せに暮らしました。

 灰被りは、母親が生きていた時ですら経験したことのないような豪奢な生活を送っていました。悪くなった視力も、メガネという、高価なガラス細工のレンズが二つあてがわれた器具で矯正されていて、普段の生活には支障が出ていませんでした。







 灰被りの父親がようやく帰国しました。

 なにやら市民がバタバタしています。

 問うと、市民の一人が驚いた顔を作りました。


「あんた、知らないのか!? クーデターだよクーデター。王政が終わるんだよ!」


 貴族はことごとく牢に入れられ、次々と死刑を執行されていきました。

 王子は広場の前で断頭台に首を断ち切られました。


 灰被りはクーデターを察知していました。

 変装し、みすぼらしい格好になると、牢に入れられまいと逃げて、逃げに逃げて、やがてかつて父母と過ごした屋敷の近くまでやってきました。服は擦り切れ、陶磁のようだった肌は泥まみれで青あざが浮き出ており、頬はこけ髪は雑に切り落とされて痛み切っており、やつれた雰囲気が全身から漂っていました。

 高価だから庶民らしくないとメガネを置いてきたことを、灰被りは苦々しく思いました。以前にもまして灰被りの目はすっかり悪くなっており、景色はどれも靄がかって見えました。


 ちょうど付近を、父親の操る馬車が通りかかりました。成り上がりでも貴族の末席にある自家の、屋敷の財産と中にいる家族が心配で、取るものも取り敢えず駆けつけたのです。


 見通しの悪い曲がり角で出会い頭に、人と馬車が接触事故を起こしました。人というのは灰被りで、馬車に乗っていたのは父親です。灰被りは即死でした。


 男は慌てて馬車を降り、少女の亡骸を抱え上げましたが、それが実娘だとはついぞ分かりませんでした。

 


 

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