第84話 謎の黒い物体

 咄嗟に思いついた方便だったが、コスタは真に受けたらしく愚痴をつぶやきながら出て行った。

 ジャンニは彼のポケットに吸い込まれていったカードのことを考えた。

 マンゴー・ラウンジという店名と、オレンジ色のロゴマーク。客がVIPルームで乱痴気騒ぎを繰り広げているという例の店だ。マヤはそこで写真を撮られたと訴えている。


 足音が遠ざかるのを待ち、ジャンニはカードが入っていたファイルに近づいた。動かされたと分からない程度に引っぱり出し、中をのぞいた。プリントされた画像がはさまっているかと期待したが、案の定、領収書やメモの類だけだ。


 ミニスカートの学生を遠くから撮影し、写真を猥褻画像サイトに投稿したのが、よもや大学の教授だったなんてことは……


 頭のどこかでは、これは緊急かつ事件に関係のある案件ではないという声があがっていた。しかし、どうにも胸騒ぎがした。あれを撮ったのがコスタなら、他の学生にも同じような――もしくはさらに悪質な狼藉をはたらいている可能性がある。ジャンニはそう己を納得させ、電話でレンツォを呼び出し、相手が出ると小声で言った。


「〈マンゴー・ラウンジ〉にアンドレア・コスタって客が来たことがあるかどうか問い合わせて聞いてみろ。どうも会員登録してるような気がするんだ」

「えっと……みかんラウンジ?」

みかんマンダリーノじゃない、マンゴーだよ。説明はあとでしてやる。コスタがどうしてあの店のカードを持ってるのか知りたい」


 デスクトップ型パソコンは電源が入ったままで、ロックはかかっていなかった。どうせ何も発見できない。見られたらまずいものはパスワードやら何やらを設定するし、そもそもいかがわしい画像を職場の端末に入れておかないだろう。


 ディスプレイの前のスペースに珍妙な物体が置いてあった。手のひらほどの大きさの黒い物体で、側面からケーブルが伸びている。何だこりゃ? セックス・トイかなんかか? だったら触るのは遠慮したかった。どこにあてがって、どんな用途に使ったものやら。横から眺め、恐る恐る手にとって振ってみたが何の音もしない。外付けハードディスクドライブなる、データを保存するための機器と知ったのは後になってからだった。


 もとの場所に置き、端末の画面に目を戻した。表示されているのは仕事の資料ばかりに見える。


 黒い箱が誘いかけているように思えた。ケーブルがあるからにはコンピューターの周辺機器だろうが、いじって壊したら厄介だ。くそ、こんなことならラウラかミケランジェロを連れてくればよかった。


 ものは試しで、ケーブルを本体の横の穴に差し込んだ。かすかな動作音とともに緑のランプが点灯し、画面にウインドウが出現して画像が並んだ。いずれも何が映っているか見えないほど小さい。ジャンニは1つを選んで拡大表示した。


 スカートの中を撮影したと思しき画像だった。全体が暗く、ピントがあっていない。エスカレーターなどでスマートフォンを使って撮るとこうなる。次の画像も同じような写真だった。


 フォルダは膨大な数があり、複雑な入れ子式に格納されていた。いくつかには女性の名前がついている。うちひとつに目が吸い寄せられた。



 MAYA



 最終更新日は金曜日、つまり昨日。


 カーソルを合わせたところで足音がした。ジャンニはケーブルを引っこ抜き、本棚に駆け寄って背表紙を眺めているふりをした。


「ここにある本はなかなか興味深いですな。おっ、事務員の人とは会えました?」


 コスタは事務室から戻ってきたところだった。探るような黒い目でジャンニを見ている。


「ええ、でも呼んだ覚えはないと言われましたが……」

「そうですか、じゃあおれの聞き違いだったかな。そうそう、マヤ・フリゾーニって学生がどうしてるか、ご存知だったら教えてほしいんです。朝から連絡がつかなくて」

「しばらく休むと聞いてます。事件にショックを受けているようで、我々も気がかりなんですよ」

「最後に姿を見たのは?」


 コスタの眉間に皺が寄った。


「先週の金曜の授業だと思います。出席簿を確認しましょうか?」

「いや、それには及びません。どうもお邪魔しちまった」


 ジャンニは廊下に出た。再び携帯電話を取り出す手は汗ばんでいた。

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